2017.04.21 蛮族勇士著「特権階級の権力変化と権貴経済」を読む(下)
――八ヶ岳山麓から(219)――

阿部治平(もと高校教師)

第四世代の指導者
第四世代は胡錦涛と温家宝である。彼らは国家指導者としては極めて性能の劣るコンビであったが、権力相互牽制の原則は維持した。
胡錦濤は(徳目宣伝の)「八つの栄誉、八つの恥」と先進的教育をやった。これは「三つの代表」の政治的高さと比較すべくもなかった。だが、胡錦濤は経済方面にむやみに口を出さなかったし、中国を文革時代に戻そうともしなかった。
だが(鄧陳時代に中共総書記だった胡耀邦の)弁公室出身であった温家宝は、直面する財政・経済の複雑な局面にまったく対応できなかった。朱鎔基の改革によって中央政府は税収の70%を召し上げた。当時の貧困財政からはこうするのほかなかった。だが、これは臨時的措置であった。長期にわたって続けるわけにはいかなかった。続けるとしたらそれなりの配慮が必要だった。
たとえば地方政府に教育をやれの、医療保険をやれのといったが、地方はふところに一銭もないのだからどうすることもできなかった。カネのかかる教育と医療という仕事は、二つながら別のどこかがやるべきだった。
温総理は朱鎔基財政をやめるか、完全なものとするかという状況に直面していたが、これが理解できないものだから、いま思っても不可解な選択をした。なんにもしないことにしたのだ。
だが、歴史の法則は動き、「治乱循環」のスイッチは押された。高層に「力量を集中する」という臨時的性格をもった朱鎔基財政の措置は(以後も続けられたことによって)反作用をおこし、高層権貴の資源分配・争奪戦(すなわち国営資本の私物化)を引きおこした。
胡温時代の10年間を通して利益の区画が基本的に確定し、ほとんどすべての(国営の)産業分野があれこれ名のある高層権貴に分け与えられた。
ここで現在の高層派閥勢力を簡単に数えてみようか。
電力系・石油系・上海淅江系・民主同盟系・統一戦線系・共青団系・北京派・山西派・四川派・潮州汕頭派・客家派・五大軍系(陸・海・空・ロケット・戦略支援軍の5種?)等々。
利益は紛々錯綜し複雑であるが、それぞれの勢力はみな中共政治局常務委員クラスに同盟者をもっていて、それによってさらに巧妙に資源争奪をやった。2008年から胡温の第2任期がはじまると、権貴資本は猛烈に膨張しはじめ、民営企業の活力はじょじょに弱体化し(いわゆる「国進民退」)、この国は崖っぷちに向かって歩き始めた。

習近平の登場とその悪果
2013年、現代政治史上最大の事件が起きた。新型の支配者が登場したのだ。
当初、彼は大衆・知識人の希望であった。私のような懐疑派ですらこの人に期待を寄せたのだったが、しかしご存知の通り現実は容赦なく望みを裏切った。
国家の痼疾は何なのか、どこにそれはあるのか?
国民は基本的に無知である。自分の生活がだんだん苦しくなるのはわかっているから、誰もが改革をというのだが、どこをどう改革すればよいのかわからないのである。
鄧陳の改革は統制をやめることだった。鄧小平の超高度の政治的頭脳のもとで、また当時の高層長老たちの相互牽制の下で、それをやり遂げるのは難しくはなかった。
江朱の改革は当時の中小の権貴どもを抑えつけ、民間資本に生存空間を与えることだったが、同時に資源が高層へ過度に集中し、高層権貴資本の発育空間をもたらし、これが禍根を将来に残した。だから胡温のやるべき改革は、高層権貴から骨を奪って老百姓に与えることだったのに、何もやらなかったのだ!
とはいえ、こうした種類の改革は、はたして成功するものだろうか?中国の歴史上似た例としては王莽の改革がある。王莽は貴族から田地を奪い農民に与えようとしたが、失敗して汚名を着せられてしまった。ほかに高層権貴のチーズに手を触れるのに成功した例はまったくない。

ある個人の意図を探ろうとすれば、ことばではなくやったことを見ればよい。習政権は2013年の1年を通して何をやったか。財税(徴税)系統を強化した。これはほかでもなく国家資本強化の道である。
これと同時に世論に対する統制を未曽有の程度に高めた。ネット上の大V(高名な発言者)は、なんと反政府の代名詞となり、ときには身の危険を感じるようになった。これはさらに権力の集中を強化するものであった。
だが、最も危険な表れは改革領導小組と国家安全委員会という機構を二つ新設したことである。しかも習総書記が二つながらその頭を兼任するというのである。これは改革開放以来、前例を見ないふるまいだった。
鄧陳がつくった高層の相互牽制原則を一夜にしてぶち壊した。権力はすべて総書記一人の手に集中した。総理は名前だけ、いようがいまいがかまわない存在になった。
いま、国家の資源が加速的に高層権貴の手に集中し、民営資本が難行苦行する一方で、高層権貴は相互牽制のゲームの規則を捨て、赤裸々な権力争いを始めた。これが我々が直面している現実である。
1980年代、中小権貴が資源争いをやったが、高層にはゲームの規則を遵守するという最低ラインがあった。このため、若者たちが熱血を激発し世界を驚かせた(天安門事件を起した)にもかかわらず、最終的には危機を回避できたのである。だが、このたびは高層権貴らが直接資源の奪いあいをやり、規則の最低ラインをも放棄しているのである。いったい何ごとが生れるのか?

2013年、高層の(反腐敗名目の)権力闘争は激越となり、それ以前の30数年をはるかに越えるものとなった。西南系(いわゆる上海閥)は根こそぎにされ、石油系(周永康)は影も形もなくなり、前の軍機大臣(軍制服組最高位だった郭伯雄・徐才厚)は失脚し、ウワサではさきの「中堂大人(もと総理温家宝?)」は密かに逃亡をはかったという。
知識分子は文字の獄(言論弾圧)の脅しのもと、小さくなって押し黙り、高層人士もいまだ枕を高くして眠れない。だれも相手の出方がわからない。さあここで唯一打てるパイはなにか?――国際矛盾を挑発し国民の注意を国内問題からそらすことである。そこで東シナ海と南シナ海などで領海紛争をやり、天地がひっくり返る騒ぎを起した。
中学の歴史教科書しか勉強したことのない中国の若者は隣国をあざけって、今日はベトナムで血で血を洗う騒ぎをやれ、明日はフィリピンを爆破しろ、あさっては東京大虐殺をやれという。まるで現代中国が歴史以来、未曽有の最盛期にあり、天下に覇を唱え四夷来朝をあたりまえとするかのごとくである。
明日が見えない状況で権貴たちのゆきすぎた資源略奪によって、脆弱な実体経済は持ちこたえられなくなっている。なにしろ中国は通貨発行量世界最大の国家なのに、意外にも流動性危機が生じ、市場全体からカネがなくなったのだ。「銭荒」である。
権貴どもが略奪した資源は、山分けした分を除き過剰生産能力と地方債に投入せざるをえない。この領域には資金がたまるばかりで、利潤の創造が不可能だ。
匪賊が収入全部でダイヤモンドを買い、楽しんだのちにこれを売ろうにも、売ることができない。老百姓はカネを全部匪賊に取られているものだから買うに買えないのである。ダイヤを抱え込んでいては餓死するだけだが、匪賊には食いものを買うべきカネがないのだ。
とりもなおさずこれが我々が直面している「銭荒」の本質である。権貴が生きる方法はただ一つ、カネを奪いつづけることであり、これに対応して国家はカネを印刷しつづけるのである。
おかしなことに、この国家のカネの番人は、いてもいなくてもけっこうという地位にある総理大臣(李克強)である。彼はカネの増刷を拒絶すると公式に発言している。権力闘争がここまで来れば、生きるか死ぬかだ。となれば、国家が持ちこたえられるかどうかなどかまっていられない。

以上が私の政治観である。私はマクロ角度から改革開放以来の政治制度の変遷を書いてきた。この国家の原資は高度の政治的知恵のある高層権力の相互牽制メカニズムだったが、それは現今の権力によって徹底的に破壊された。ゲームの規則を破壊したのだから、その悪果は引受けなければならない。しかも結果はまもなく現れる。すくなくともこの2年以内に。
私の望みは天佑のみ。このような危機に直面して、わが愚昧の国民、自分がどこにいるのかわからない国民が一縷の望みを探すことができるか。かりにこの希望があるとしても、かすかすぎて私自身ですら信じられないのだ。(了)

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