2017.05.26  国会論議の不毛を逆照射する対話
 ―『吉本隆明 江藤淳 全対話』(中公文庫)を読む

半澤健市 (元金融機関勤務)

 本書は、1965年から1988年の間に行われた、吉本隆明(1924~2012)と江藤淳(1932~1999)の対談の全記録である。五回の対談のタイトルは、「文学と思想」、「文学と思想の原点」、「勝海舟をめぐって」、「現代文学の倫理」、「文学と非文学の連理」であり、文学論義を軸にして、戦後思想、歴史認識、国家論、知識人論、サブカルチュア論、米軍占領論など、テーマは多岐にわたる。
親本は2011年に中央公論新社から出版。文庫化にあたり吉本へのインタビュー(2009年)や内田樹・高橋源一郎の解説対談が追加されている。

《左右対立ではない内在的対話》
 従来、江藤は右、吉本は左の評論家として評価されてきた。たしかに、二人の対話には緊張があり考えの衝突があるが、論争は相手への内在が強く意識されており、各回ともに不思議なケミストリーが醸し出されている。そこが特に面白い。本稿では、「現代文学の倫理」(雑誌『海』1982年4月号)の知識人論争に注目したい。
夏目漱石の研究から出発した江藤は、この対談以前に、米国に滞在して米軍の対日占領政策の研究に注力していた。『一九四六年憲法―その拘束』などはその成果である。吉本はこれらの研究についていう。
■交戦権がないと、万が一というようなことが国家と国家の間に起こった時、戦術、戦略上、どんなに不利なことがあっても、それを制し、抑止することができないんじゃないか、従ってこの条項を変えなくてはいけない。しかも江藤さんはこの問題について実証的に調べてこられたわけですね。それによると、もともとこれは連合国の占領軍がその政策上、日本の敗戦後の国家主権を制限しようというモチーフで歴然と設けた条項なんだから、国家主権を考える時にこの条項を変えるのは当然じゃないか、という論旨だと思うんです。この問題提起は、戦後日本の政治過程論とか統治形態論とかのレベルでいえば一つの業績として評価できる立派なものだと思うんです。しかし、江藤さんが、半年も一年もかかって調べて、確かにこうなっているんだろうと実証するほどの意味があるのかと考えると、その点は疑問に思うんです。(中略)

江藤さんから見ると、ぼくは理想主義者で、空想的、抽象的に見えるかもしれないけれど、ぼくは江藤さんが逆に非常にリアリストすぎると思うの。つまりこれは自民党でも社会党でも共産党でもいいんですが、彼らが政権を握れば、もういかようにもできる事柄、つまり知識人はせいぜい示唆を与える程度の役割ぐらいしかできないというようなことについて、あまりに熱心に追究するなんてことは意味ないんじゃないか。ぼくの知識人像というのはもっと根本的な問題、例えば国家、つまりいかなる国家であろうと、歴史のある時代に実現し、また歴史のある時代がくれば、きっとなくなってしまうだろう、そういう相対的なものなんだといういうようなことについての明瞭な認識、そういうことをピチッと決めていくみたいな、そういうことに携ったほうがいいんじゃないか■

《江藤の60年代論は「政治の時代」を強調》
 江藤は、1969年12月24日の『東京新聞』に「一九六〇年代を送る」というエッセイを書いた。そのなかで江藤はエリック・ホッファーという米国人のアフォリズムを、日本の文学者の精神状況にあてはまるものと感じて、引用した。それは次の通りである。
「一民族が外国の支配下に委ねられると、その民族のもつ創造性はおおむね、貧寒なものになる。これ〝民族的天才〟の無能化によるのではなく、外国人の支配に関する憤激があまりに強いため、民族をひとつのものにまとめすぎ、その結果、潜在的に創造的な個人は、かれらの力を完全な実現に必要な明確な個性を獲得できないからである。かれの内面生活は、大衆の感情と関心事にもっぱら刺激され形成される。多数の未開人部落のようにかれは個人として存在するのではなく、かたまった集団の一員としてのみ存在する」。いささかわかりにくい文章だが、占領された国の文化は様々な掣肘とそれへの反発によって、本来の自立的文化が開花できないと言っているのだろうと読んだ。
これを前置きにして、江藤は六〇年代論を展開する。吉本の江藤批判に対する応答となっている。
■六〇年代というのは、今からふり返ると良い時代だったという人もいるかも知れないけれども、実はきわめて政治的な十年間だった。つまり岸内閣の日米安保条約の改定に始まり佐藤内閣の沖縄返還交渉の終わった十年間です。私はその『東京新聞』のエッセイの中でなによりもまず文学者は、この政治的な文脈と、それと裏腹の所得倍増政策下の経済成長に左右されてきた、といっています。「これを」要するに、安保騒動と所得倍増計画によってはじまった一九六〇年代は、文学者にとってもまた政治と商業の十年間であった。ために文学そのものは疲弊し、おおむね解体と崩壊の一途をたどりつつあるというのが私の判断であり、・・・したがっていよいよ政治と商業にいそしみ、早いところ行きつくところまで行ってしまったらどんなものだろうかというのが私のいつわらざる感想である」と。その後に起こったことは、ほぼ正確にこの予感の通りでした。戦後の日本人は、第二次大戦の戦勝国の支配下にある知的、言語的空間で生きることを余儀なくされている。そういう状況の中ではどんなにそういうものが存在しないかのような顔をしてみても、人はなかなか「創造的な」な「個人」にはなれない。「憤激」の表現は、たとえば六〇年安保の騒ぎのような形をとることもあれば、異常な経済成長という形をとることもある。また通俗的な平和主義への同調という形をとることもあるし、一見高踏的な、その実、怠惰で無責任な政治に対する蔑視という形をとることもあるけれども、いずれにせよこれらはすべて「憤激」のさまざまな表現であることに変わりはない。(中略)

《私がなぜこんなことをしているのか》
 私(江藤)がなぜこんなこと(占領政策検証)をしているのか、それは結果的にある持続を確かめたいからです。つまりズバリ何かと言えばすぐピーンと通るようなそういう公明正大な知的空間を再建したいと私は思っているのです。まあ吉本さんは、そんなものはすでにあるとおっしゃるかもしれないけど、私はそうは思わない。そういう知的・言語空間を再建するためには、非常に面倒な論証の手続きがいるんです。いまや戦後三十七年も経ってしまいましたからね。
ぼくは吉本さんが理想主義者といわれたことはよくわかりますが、どうもあなたの理想主義にはラディカリズムが足りないような印象を受けます。型通りの理想主義といいますかね。ひょっとすると私のほうがもっとラディカルな理想を実践しているのかも知れないと思っているんです。■

江藤は、戦後の言論空間がGHQの占領政策がいかに日本の文学者―さらには日本知識人―を洗脳し、日本人の自立精神を奪ったかを実証しようとした。それは「ナショナリズム」を主軸にした戦後再審の意図があった。国家の共同幻想性を論ずる吉本への批判をも内包していた。

《対談の内在性と先見性》
 私がこの対談集を読んで強く印象に残ったのは次の三点である。
第一は、江藤の六〇年代論の画期性である。
第二は、相互理解への努力である。
第三は、いまここにある危機との関係である。

第一。1960年代の高度成長は戦後日本の明るい時代であったいうのが世間の常識である。私もそう思っている。すなわち、「政治の10年」の50年代に続く経済の時代である。高度成長の終焉をどこに見るかは判断が分かれる。長く見ればバブル崩壊の90年までの30年間、短く見ても第一次オイルショック崩壊までの14年間はある。
しかし江藤は、60年安保から72沖縄返還までで、政治の季節とする。しかも言論空間は、占領下だというのである。
なるほど、自覚していないほど恐ろしいことはない。米原子力空母に付き従う自衛隊の護衛艦―性能は新鋭空母―のテレビ映像を見ていると、江藤のラディカリズムが吉本の「型通りの理想主義」を凌いでいる。

第二。二人の論者は、激論を交わしているが、レッテル貼りの批判はしていない。戦後民主主義者が、今日のように説得力を失った理由はいくつかある。相手の立場を理解しようとせず、内在的な批判を怠たり、レッテル貼りをしてきたのは、そのひとつだと思う。江藤のナショナリズムが、ほとんど人種主義に傾斜していると批判するのは容易だが、リベラル側が江藤的言説に正面から対決してきたかといえば覚束ない。

第三に、二人のテーマが、今日の危機を先取りしていたことである。文学論争ではあるが、話題は戦後の思想・言説全般に及んでいる。私の事例紹介でわかりにくい読者は、是非本書に当たって二人の対話を熟読して欲しい。60~70年代の新左翼運動における吉本隆明の圧倒的な人気は何であったのか。近代日本が次々と輸入し消費し廃棄してきた新型理論の国産版であったのか。むしろ江藤のナショナリズムが鈍い光を放って読者を離さない。(2017/05/21)

『吉本隆明 江藤淳 全対話』(中公文庫)、2017年、1000円+税
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack