2017.06.17  ポピュリズムとイデオロギー的同調性に依拠する安倍政権(上)
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

知性や知力に富んでいるとはとても言えない安倍政権が長期間にわたって高い支持率を保持してきたことに、首をかしげる人が多い。しかし、現代の政治は基本的にポピュリズムに支えられている。どの国の政治的指導者を見ても、権力を維持する権謀術数の政治力はあっても、社会を発展させることができる豊かな知性や知力を持ち合わせている政治家はきわめて少ない。逆に、知性や知力とは無縁だが、強引な政治力を発揮出来る政治家が、国民の人気を得て、独裁的な権力を維持できる事例の方がはるかに多い。安倍政治もこの例に漏れない。
北朝鮮の個人独裁社会の無残さを見聞きし、多くの人々は、「なぜ北朝鮮の人々が狂気の指導者に支配され続けているのか、なぜ反乱を起こさないのか、なぜ殺される前に幹部が独裁者と腹を刺し違えないのか」と疑問に感じているだろう。しかし、それこそ「他山の石」である。
豊かな知性があるわけでもなく、特段に賢明なわけでもなく、高潔な気概があるわけでもなく、確かな思想に裏打ちされた政治的信念があるわけでもない安倍晋三に、好き勝手なことをされても、なお安倍政権を支持する人が多いことをみれば、日本人に北朝鮮の支配を嘲笑する資格があるとは思われない。
今の政治家の知性は国民の平均的知性を超えていないだろう。政治家は大衆が容易に理解できる単純なスローガンで政権への支持をつなぎ留め、大衆は分かりやすい政治スローガンを簡単に受け入れる。国の将来を見据えた政策を展開するより、大衆の短期的な感情を操る権謀術数を凝らすことで、安定した権力を獲得できる。そのための政治的武器が、ポピュリズムであり、それにもとづくイデオロギー的同調性による支配である。しかし、このような政治は社会を歪め、将来社会に大きな負の重荷を残すだけだ。

独裁権力の構造
 イデオロギーの同調性にもとづく政治的支配は、20世紀をとおして、社会主義社会で一般的に観察できる現象だった。ソ連型社会主義イデオロギーに同調し、共産党幹部になれば、立身出世ができる社会が存続してきた。国によって程度の差はあるが、共産党支配を批判し反抗する者は冷や飯を食わされるか、最悪の場合は労働キャンプへ放逐された。戦争と平和が繰り返し生起した20世紀は戦争の時代であり、敵対心を煽るイデオロギー的高揚で社会を支配することが普遍的に見られた。西のヒットラーと東のスターリンが20世紀前半の時代を支配し、20世紀後半には世界覇権を争う冷戦のための米ソのイデオロギー闘争が世界の政治を支配してきた。
北朝鮮の現状は、前世紀の遺物であるイデオロギー的忠誠にもとづく個人独裁政治の破滅的な末路そのものであり、歴史博物館的存在になった20世紀型個人独裁社会の戯画的な状況を見せてくれる。
 しかし、程度の差こそあれ、21世紀になってもなお、世界の政治権力はイデオロギー的同調性をベースに権力支配を維持している。大衆の感情や大衆の直接的利益になりそうなものに訴えることで、大衆の支持を得て、権力を保持することができるからである。
 他方、権力が維持される背景には、権力者に無条件に従う官僚機構が存在し、権力に群がり、権力者をヨイショして自らの地位を獲得し、経済的な利益を得る一群の人々が存在する。官僚機構が政治指導者に忠誠を誓い、メディアや物書きが権力者を持ち上げ、それにたいして権力が褒美を与えることで、相互に依存し合う権力機構が持続する。いわば権力の座にある者とそれに群がって生きる者とは、持ちつ持たれつの関係にある。
 こういう相互扶助関係のなかで、権力者をヨイショする者は、犯罪すら免罪されることがある。社会主義社会で共産党幹部の犯罪が問われないのと同じである。独裁度が高まれば高まるほど、その度合いは露骨になる。安倍礼賛本の著者として知られ、官邸ともツーカーの山口敬之・元TBSワシントン支局長は、成田空港到着と同時に、準強姦罪容疑で逮捕される予定だった。ところが、逮捕直前にその中止命令が下された。命令を下したのは、菅官房長官の秘書官を務めた中村格警察庁刑事部長である。官房長官秘書官であれ官邸補佐官・秘書官であれ、あるいは現職であれ元職であれ、権力者に仕える官僚は、親分の虎の威を借りて、自らが権力の分身であるがごとく権力行使することに何のためらいもない。それは忖度というレベルを超えた、権力者の分身としての行動である。
加計学園であれ、山口逮捕阻止であれ、補佐官・秘書官がやったことは、権力者の意思にもとづく采配である。一昔前まで、地方都市では警察署長と懇意にしていれば、スピード違反などは簡単にもみ消してもらえたのと同じ構造だが、今回の事件はスピード違反とは比べものにならない犯罪である。どうでもよいタレントの不倫問題や電車の痴漢で大騒ぎする日本社会が、これほど重大な犯罪を免罪する権力者の行動にたいして、厳しい批判を加えないのは理解不能だ。
 政府の政策に賛同する新聞があっても不思議はないが、権力者と癒着して益を得ようとし、天下の日刊新聞が「安倍・菅新聞」に成り下がってしまえば、それこそ「社会的公器」の堕落である。それを恥じる意識すら失ってしまうほど癒着している新聞社の幹部は、権力者と「同じ穴の貉」と言われても仕方がない。

倫理性・社会的公正さを欠くイデオロギー支配
 権力者が唱えるイデオロギーに同調さえすれば、権力の庇護が得られるというのは、ソ連型社会主義と同じだ。そこには倫理性とか道義性とか社会的公正という観念が存在する余地がない。イデオロギー的同調性があれば、能力や適性とは無関係に無能な人物や政治家が要職に就いたり、各種の便宜を得られたりするのは、ソ連型社会主義社会と同じである。
 森友学園、加計学園、山口敬之事件のどれをとっても、それぞれの事件の主役たちや、そこに群がっていた人々が高い倫理性や社会的公正観念を持っているとは到底思えない。それどころか、ふつうにみても、きわめて胡散臭い人々であり、権力に寄り添うことによって実利を得ようとする俗物たちにしか見えない。にもかかわらず、彼らが権力者の庇護を受けた、あるいは受けるようになったのは、権力者とイデオロギーを同じくするからである。
 醜いことに、政治家だけでなく、籠池学園を支援し、何度も講演してきた右派の論客たちもまた、黙りを決め込むか、逃げ回っていることだ。菅野完氏の調査によれば、「曽野綾子、櫻井よしこ、村上和雄、渡部昇一、中西輝政、竹田恒泰、青山繁晴、高橋史朗、八木秀次各氏などなど、数多くの保守系文化人もあの幼稚園で講演している」(AERA dot.)という。しかも、櫻井氏などは講演料が80万円(通常の2割引き)いうから驚く。幼稚園での講演である。何のことはない、彼らもまた、イデオロギー的共有を錦の御旗に、籠池学園に寄生しただけなのだ。籠池学園の教育を絶賛していながら、世間の目が光り出すと、手のひらを返すように背を向けるのは、自らの思想やイデオロギーの時代遅れに後ろめたさを感じているからではないか。もし自らの思想の実現に命を賭けているなら、なぜ籠池学園の教育を擁護しないのか。それができない人々には、言論人としての矜持などないと断定して良いだろう。
 同じことは、安倍内閣の無能な大臣たちにも言える。彼らが大臣の職責を得たのは、ひとえに安倍晋三が信奉する単純なイデオロギーに恭順の意を示したか、積極的な同調者だったからである。そこには、人品・人柄や能力、適性という観点が完全に抜けている。たんに自分と意見を同じくする「お友達」だからである。本当に能力・知力のある人は、自分より能力のある人を要職に抜擢できる「目」をもっているが、安倍晋三には人を見る目がない。それは安倍晋三という人物の能力の限界を教えている。自分より能力が低い者を選択しているのではないかと思われるほど、人品・人柄に欠ける人物を庇護し便宜を与え、無能な政治家を要職につけている。
 しかも、安倍晋三にはそれぞれの事柄にたいする責任意識が完全に欠如している。今現在問題になっているどの事件も、昭恵夫人が善意で行ったという単純な話ではなく、すべて安倍晋三夫妻が絡んでいる。絡んでいるというより、完全に当事者である。しかし、「私や妻が関わっていれば首相も国会議員も辞める」と啖呵を切っておきながら、というより啖呵を切ってしまったために、逃げ回るよりほかに延命の方法がない。それどころか、こともあろうに、警察情報を利用して「安倍・菅新聞」に醜聞情報を流し、権力に歯向かう者を陥れる手回しだけはしっかりしている。まるでKGBが暗躍しているロシア並みの権謀術数である。高潔さや社会的公正さに欠ける安倍晋三に、国家・社会を語る資格があるだろうか。
 イデオロギー的同調性だけを基準に政治を行ってきた政治は、ソ連型社会主義のように、社会的倫理性や公正さを欠き、やがては行き詰ってしまうだろう。そのことを自民党だけでなく、野党も肝に銘じることだ。
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