2017.07.25 アリスとの出会いーその「奇跡」の人生から学ぶ
韓国通信NO530

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 一年ぶりのアウシュヴィッツ平和博物館※。
水仙、桜、れんぎょう、こでまり、芝桜が一斉に咲くのを見て14年間の歳月を思い出した。栃木県から福島県白河へ移転した博物館のオープンを記念して植えた芝桜が特に思い出深い。<写真/アウシュヴィッツ平和博物館本館>
(※1988年からポーランドのアウシュヴィッツ博物館から借り受けた資料等を全国巡回後、2003年から福島県白河市で常設展示。原発事故後、原発災害資料センターを併設)
韓国通信530

 ホロコースト、チェコのテレジン収容所に長年かかわってきたピアニスト志村泉さんの『アリスの奇跡』コンサートが、アウシュヴィッツ平和博物館主催で4月22日、同博物館で開かれたので、それを聴きに白河を訪れたのだった。
アリス・ヘルツ=ゾマーは1903年生まれ。チェコ出身のピアニスト。4年前に110歳で亡くなるまでピアノを弾き続けた数少ないホロコーストからの生還者。ピアニスト、ピアノ教師、母親として、一市民として、愛にあふれた生涯を送った。

<ピアノとお話>
 ピアノ演奏の前に志村さんはアリスの数奇な人生を語り、曲ごとにアリスとのかかわりについて聴衆にレクチャーした。<写真下/志村泉さん> まず、ショパンのエチュード「別れの曲」。
 1943年7月5日、アリスは隣人のナチス党員夫妻の求めに応じて、「別れの曲」を弾いたといわれている。アリス一家がテレジン収容所に送られる前夜である。すべての財産を奪われ、空っぽの部屋に残されたピアノで弾いた。(『アリスの奇跡』キャロライン・ステンジュー著より)。
 志村さんは、この曲を収容所に送られるアリスの気持ちになって演奏したはずだ。狂おしいほど不安なはずだったアリスは絶望せず、希望を失わなかった。
 アリスは生涯ベートーベンを尊敬し、「熱情」ソナタを好んで演奏したといわれる。ピアノがうなり、息を呑むような情熱的な演奏から、志村さんのアリスと曲への思いが伝わってきた。
 初めて聴くウルマン(チェコ出身。1898~1944、作曲家、指揮者、ピアニスト)のソナタ第2番。アリスは、テレジン収容所で、アウシュヴィッツへ送られるウルマンの前でこの曲を演奏した。とかく難解といわれる現代曲だが、初めて聴くソナタは、ベートーベンやショパンを感じさせる甘く親しみやすいメロディながら、ウルマンの「不安」と「苦悩」が重なる。
 会場では福島原発事故をテーマにした三人の絵画展が開かれていた。その作品に囲まれたウルマンの曲は「フクシマ」と響き合った。アリスは100回を越す「収容所コンサート」を開いたという。志村さんは、アリスを語り、アリスになり切って熱演した。
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<テレジン収容所(1941/11~1945/4)のこと>
 チェコのテレジン収容所には音楽家を始め多くの芸術家や科学者たちが収容された。最盛期にオーケストラが四つもあったとは驚く。劣悪な環境の中で子どもたちのためのオペラまで上演された。「文化」に溢れた収容所に見えるが、ガス室による大量虐殺をカムフラージュするためだった。そのため国際赤十字団を招いてコンサートまで開かれる一方で、収容されたユダヤ人を次々とアウシュヴィッツのガス室へ送るという類まれな「通過施設」だった。
 収容されたユダヤ人は156千人、解放時には生存者はわずか17千人。生存率は11%たらず。「消えた人たち」はアウシュヴィッツに送られ、あるいは収容所内で死亡した。
 アリスのピアノは、収容された人たちを励まし、希望を与え続けた。自分を待ち構えている苛酷な運命に絶望してはできないことだった。強制労働と特別に許可された練習とコンサートがその後のアリスの生き方を決定づけた。

<アリスの世界>
 音楽の力によってナチの恐怖を超えたアリスは奇跡的に生き延びた。夫はすでにアウシュヴィッツで殺されていた。彼女は42才になっていた。解放後、イスラエル、イギリスへ移住してピアニストとして目覚ましい活躍を続けた。
 ピアニストとしての名声とは別に、彼女は私生活をとても大切にする人で、たびたび友人たちを招いてはホームリサイタルを開いている。これは生涯続いた。アリスは自分の体験から「愛」と「希望」の大切さを語り続けた。<写真/本の表紙/アリス・ヘルツ=ゾマー>
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 志村さんのこの日のコンサートはアリスの世界を彷彿とさせた。演奏会が終わって参加者たちとアリスの世界を語り、音楽の素晴らしさを語った。テレジン収容所でアリスが弾いたピアノはポンコツだったが、この日、主催者が用意したピアノは生前アリスが愛用したスタンウェイだったことも話題となった。

 アリスは大変な勉強家、読書家でもあった。高齢になって大学で哲学を学び、カフカやスピノザに親しみ、シュテファン・ツバイクの『昨日の世界』を愛読し、生涯、日々学び、思索を重ねた。数多くの著名な文化人、演奏家、指揮者たちが彼女の自宅を訪れたが、無名の人たちとも心を開いてつきあい、孤独とは無縁な生活を送った。
 憎悪を嫌ったアリスは、無限の寛容な心を持った人だった。「私たちは永遠からやって来て、永遠に戻る」と語り、マーラーの交響曲第二番四楽章の歌詞「私は神から出でて、神に戻る」はアリスの魂のテーマだったとも伝えられる。
 アリスは夫や家族、友人たちを奪ったナチスの残虐行為をどのように考えていたのだろうか。アイヒマンの公判を傍聴して、ハンナ・アーレントと同様に「自分の責任を果たしただけ」と平然と述べたアイヒマンの凡庸さに衝撃を受けた。だから、彼女はホロコーストがなくなっても世界は何も変わっていないと感じていた。人を理解すること、愛することからすべてが始まると主張してやまなかった。2001年9.11事件以降、憎しみの連鎖が世界を覆ったことに心を痛め続けた。

<憎しみにあふれた世界にも春は来るのか>
 今、世界は「憎しみの連鎖の」なかにある。そして、テロと戦争が続発している。自国第一主義、排他主義が広がり、至る所で人間の尊厳が貶められている。
 「ホロコーストは終わっていない」という収容所からの帰還者であるアリスの言葉は重い。終生、音楽と愛の力を信じ、憎しみのない未来を願ったアリスは私たちが忘れがちな大切なことを思いださせてくれる。アリスは自分を苦しめたナチスに対して憎悪を燃やすことはなかったが、憎悪そのものは許せなかった。憎悪を煽ったヒットラーを「無教養」な「ポピュリスト」とあざ笑い、闘おうとしなかったことがホロコーストを生み戦争を生んだというアリスの指摘は、今でもそのまま通用する。トランプ米大統領のポピュリズム、安倍首相の無知蒙昧を笑ってすましてはいけない。アリスがもし生きていれば、間違いなく彼らとヒットラーに違いはないと答えるはずだ。
 韓国の詩人李相和の「失われた野にも春は来るのか」は、日本によって奪われた祖国に春が来ることを願った詩である。私はその一節を、憎しみに覆われた地球に春が訪れることを願う人類共通の願いとして心に留めておきたい。

 なお本文は「未来へのかけ橋」<テレジンのピアノの会発行>NO39掲載文章を加筆修正したものです。

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