2017.08.03 苦境での内閣改造―政権生命弱体化が過去の事例
 

野上浩太郎(政治ジャーナリスト)

 安倍晋三とは、亡き父親の安倍晋太郎が外相のころ、その秘書官として修行中だった晋三と会って会話を交わしたことがある。その時の印象はとてもよかった。当時、すでに父君は内臓にがんを抱えており、折角の竹下登首相からの信頼と友情に包まれ、後継首相(自民党総裁)就任は確実視されていたのに、がんさえなければ惜しいことだと思いながらその息子と飯を食った。父君ががんであることは政治記者の間で広く知られ、しかも発生場所が膵臓という難しい部分だったために、それさえなければ念願の政府・与党のトップになれたのに「気の毒」という気持ちだった。それを隠しながら「それにしても、秘書をしている息子さんは好漢だなあ」と思った。それが1989年ごろのことだ。
 どういう好漢ぶりだったかといえば、「最近の若者にしては感じがいいなあ。謙虚さがあるなあ」という程度で、強い印象を受けたわけではない。1959-1960年、祖父の岸信介元首相による安保条約の改定強行採決に、一学生として怒り心頭、毎日のように国会周辺デモに加わっていたご縁で、食事をしながら「うーむ。これがあの60年安保をやった岸さんの孫か。それにしては好青年だなあ」と漠然と思ったような記憶を呼び覚まされた。不幸にして父の晋太郎ががんで亡くなれば、この好青年晋三が地盤を継いで楽に衆院総選挙に初当選し、国会議員になることは当然の成り行きであろう。
 幼い晋三が、渋谷南平台町にあった岸邸の中で「アンポ、ハンタイ」と叫びながら祖父の膝に飛び乗ったエピソードは祖父も晋三本人も書いたりしゃべったりしている。大邸宅とはいえ、全学連などは南平台にもデモをかけていたから、幼児の耳に自然にはいってこびりついたのだろう。
 そして50数年後のいま、晋三は「右翼のこころ」を支えに、祖父並みの右寄り政策を掲げて、内閣支持率の低落にあえいでいる。その典型が7月29日に辞意表明した稲田朋美の防衛相辞任表明である。誰が見ても、弁護士出身の稲田は防衛省を率いる識見も指導力も持っていなかった。その結果、在任1年も経たないうちに、とんでもない失言を重ねた。最もわかりやすい失言が都議選の応援演説の中で「自衛隊、防衛省、自民党」がこの候補を応援しているからよろしく、とやったやつで、現職の防衛相がこんな演説をやれば法律(公職選挙法)はもとより憲法そのものに触れることは子供にでもわかる。さすがに稲田は発言した夜に陳謝し取り消したが、これ以外にも危なっかしい失言を次々と重ねた。
 ところが失言や暴言のたびごとに、安倍は稲田をかばいにかばった。なぜか?お互いに筋金入りの右翼であり、同志だからである。特に右でも左でもない普通の市民感覚を持つ多数派市民から見れば、弁護士出身にしては発言のきめの荒さに驚くところだが、安倍からみれば「将来の総理候補」とさえ表現しても見当はずれではない人材であるらしい。
戦前から連日有楽町の駅前で右翼老人としてだみ声で演説してきた赤尾敏は、筆者が若手記者のころ、たまたまそばを通りかかったとき「ビートルズにあの大切な武道館を使わせるのは許せない」とののしった。武道館は日本の伝統を象徴する貴重な建造物で、そこでガチャガチャとやかましいビートルズごときが、歌いギターをかき鳴らすのは許すべきではない、というのが赤尾演説の趣旨だったようだ。ビートルズファンの若者の一人だった筆者は、苦笑しながら通り過ぎた。
その数年前、山口乙矢という17歳の少年が大きな短刀で演説中の浅沼稲次郎社会党委員長の腹部を二度三度と突き刺し、出血多量で事実上即死させた。山口の所属先は赤尾敏のグループで、なぜ浅沼の腹を突き刺して殺したかといえば、ビートルズに武道館を使わせるような左翼の誤った思想は許せないという赤尾老人の思想を狂熱的に信じたからだ。
 安倍は「お友達内閣」とか「お友達人事」を繰り返しているうちに、「一強」と呼ばれるほどの大勢力をかき集めた。だが、先の都議選で歴史的敗北を喫したうえ、同志中の同志、稲田おばさんにまで辞任されては一強も憲法改正もお笑い草だ。そうかといって内閣支持率の急降下ぶりを見る限り、近い将来、解散ー総選挙をやれば確実に自民党は議席を減らし、改憲に必要な3分の2さえ失われる。改憲の発議ができなくなる。8月3日に内閣改造人事を予定しているが、こういう状況の中で改造人事をやれば政権の存続生命は一気に脆弱化するのが過去の例だ。(8月1日記)

 だが安倍もすでに第1-2次にわたり、合計6年間の首相経験を積んでいる。普通なら、閣僚未経験者を数人はめ込むのがこれまでの首相のやり方なのだが、今回は政権の危機対応ともいうべき、中身のある人事を断行した。
 第一に野田聖子氏の総務相起用。第2次内閣の組閣の際には、野田への推薦人を削り、出馬できなくした。
 第二に、うるさ型の河野太郎氏の外相への起用。河野を評価する菅義偉官房長官の進言もあり、河野家伝統の「権力者への噛みつき」を恐れなかった。
第三に林芳正氏の文部科学相起用。彼は自信家で、いずれは首相の座をうかがう秀才だ。安倍がもっとも苦手とするタイプだが、あえて閣内のトラブル生産者となった文科相に引き込み、「林君のお手並み拝見」といったところだ。
これらの人事で、自民党内の鎮静化をはかった。

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