2017.09.11  ファシズムは死語になったのか(7)
  ―中島岳志著『親鸞と日本主義』を読む

半澤健市 (元金融機関勤務)

《麻原彰晃は往生できるか》
 本書はリベラル保守を自称する論客中島岳志(なかじま・たけし)が「日本主義と親鸞」の距離を測定した作品である。一九九五年、地震被災後の神戸で、二〇歳の中島は吉本隆明の「ヨブ記」と題する講演を聴いた。そこで吉本は、親鸞について多くを語った。講演後、中島は質問祇に「親鸞は悪人正機を説きましたが、親鸞だったら麻原彰晃は往生できるというでしょうか」と書いた。吉本の答えは「間違いなく、往生できると言うでしょう」であった。「思想の凄み」に触れた中島は、これを機に吉本の著作に没入していく。その頃、中島は「理性の限界」という問題にぶつかり、保守思想に接近して西部邁、福田恆存、エドマンド・バークを読んでいた。吉本ショックから、保守主義者の「理性」への懐疑と、論理的な親鸞の「自力」への懐疑が、中島のなかでスパークし、その統合を目指そうと考える。数年をかけて中島は仏教徒の自覚を持つことになった。

《日本主義との格闘のこと》
 戦前の「日本主義」は、中島の思想的格闘の対象であった。
「日本主義」とは、天皇を中心とした国体を信奉する国粋的イデオロギーである。当時の国家主義者―田中智学、北一輝、石原莞爾、井上日召―には日蓮宗徒が多かった。中島からみると、彼らは保守主義から遠い「設計主義者」であった。中島の考えでは、理性よりも経験や歴史を重んじる「保守主義」と理性を信ずる「設計主義」は対照的な存在である。
ある日、中島は「原理日本」のリーダーの一人三井甲之(みつい・こうし)が親鸞主義者であることを知る。親鸞の徒も日本主義者であることを知り、中島の関心は本書のタイトル「親鸞と日本主義」へと拡がっていくのである。以上は本書「序章」の要約である。

本書の大半は、中島が日本主義者と考える知識人・宗教者の言動と彼らの言説の批評によって構成されている。対象は次のような人々である。
暁烏敏(あけがらす・はや)、亀井勝一郎、金子大栄、倉田百三、小林杜人、蓑田胸喜(みのだ・むねき)、吉川英治、山崎俊英、真宗教学懇談会。
この幾人かを私(半澤)は名前さえ知らなかった。
彼らが、アジア・太平洋戦争をどう捉え、どのようにその正当化に関わっていったか。中島の読み込みと分析はスリリングであり大きな知的刺戟を受ける。是非本書を手にして内容に当たって欲しいと思う。

《真宗エリートの討論が圧巻》
 中でも興味深いのは、一九四一年二月に行われた教学懇談会である。三日にわたる真宗大谷派の会議のテーマは、「国家神道」対「真宗教学」の理論闘争であった。
平たくいえば、「天皇と親鸞とどちらが偉いのか」、「聖戦は仏法に照らして正当化されるか」などが論点である。大谷派の戦争への態度を決定する会議である。
彼らは、「仏と神の関係(本地垂迹)」、大日本帝国は「穢土か浄土か」、「真俗二諦」論(真諦=仏法的真理と俗諦=世間的論理)、などを論点として神道の「帝国」と真宗の「浄土」との関係をどう位置づけるか、の熟議をおこなった。

その結論は、天皇と神道の優位であり、親鸞と真宗は神道空間に包摂された。聖戦への協力が仏教徒の使命であると宣言された。時流に乗った声の大きい勢力が勝った。
論争の経過を読むと、論争当事者の論理とともに、倫理(=精神の強さ)が厳しく試されたことがよく分かる。真宗教徒は、この理論闘争を通して聖戦のイデオローグへ「転向」した。ただ中島は事後一方的な「転向」断罪には慎重である。

《国体論と親鸞思想の親和性》 
 本書の「終章」は「国体と他力―なぜ親鸞思想は日本主義と結びついたか」と題されている。そこでは、この両者が本来的に結合の種子を孕んでいたという結論が示される。本文は精緻な分析が続くが、私(半澤)は次のように大括りしたい。

国体論は水戸学と国学に別れる。両者はナショナリスティックな性格で共通しているが、決定的な断絶がある。水戸学は秩序意識が強く徳川体制を自明の前提としていた。明治維新に直接に結びつく思想ではなかった。
中島は、橋川文三をひいて吉田松陰にみられるように国体論は「封建制を超えた一般的な忠誠心」を見いだし、その対象を天皇に求めたというのである。橋川はいう。
■日本人にとって形成される政治社会の主権が天皇の一身に集中されるとき、他の一切の人間は無差別の「億兆」として一般化される。論理的には、もはや諸侯・志大夫・庶民の身分差はその先天的な妥当性を失うこととなる■

一方、国学は本居宣長のいう漢意(からごころ)のない世界、すなわち大和心(やまとごころ)を理想とした。中島は、宗教学者阿満利麿(あま・としまろ)に拠ってこう理解する。宣長の浄土真宗との関係は深く、その影響を強く受けていた。宣長のいう「神の御所為(みしわざ)」は、法然の「阿弥陀仏の浄土」と同種のものである。天皇制ユートピアを描いた「国体論」と「他力の世界」を同一視する論理に肯定的な中島はこう結論する。
■多くの親鸞主義者たちが、阿弥陀如来の「他力」を天皇の「大御心」に読み替えることで国体論を受容していった背景には、浄土宗の構造が国学を介して国体論へと継承されたという思想構造の問題があった■

《歴史的な文脈・原典への回帰》
 本書に欠落があるとすれば、国体論に転向した真宗宗徒が、戦後どのように自己総括をしたかに、ほとんど言及がないことである。特に真宗大谷派の自己批判があったのか、なかったのか。読者として不満が残る。 

「ファシズムは死語となったのか」という文章を書いてきた私は、最近の世間の風潮をみるにつけ、本物の国体論や右翼の言説に立ち戻り検証する必要を感じている。中島書はその一冊として読んだ。私の蟷螂の斧はどこまで立ち向かえるか。(2017/09/07)

中島岳志著『親鸞と日本主義』(新潮選書、2017年8月刊)、1400円+税
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