2017.11.13 ロシア革命100年から何を学ぶのか
盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 ロシア革命から100年の時間が経過した。ソ連社会主義はおよそ70年、中・東欧の社会主義はおよそ40年時間を経て自己崩壊した。20世紀におけるロシアと中・東欧の社会主義実験から何を学ぶことができるのか、それとも学ぶことは何もないのか。20世紀から21世紀に生きる者にとって、この100年あるいは40年の歴史をどう理解するかは、ないがしろにできない課題である。
 しかしながら、日本のみならず、ヨーロッパ諸国でも、社会主義社会・経済を研究してきた学者や政党政治家が、体制転換からの四半世紀の間、この課題に真摯に取り組んできたとは到底思われない。学者の多くは体制崩壊以後の新しい社会現象の分析に精をだしても、なぜ20世紀社会主義が崩壊したのか、そこからどのような理論的結論が得られるのかという営為に真摯に取り組むことはなかった。政治家もまた同様に、何十年にもわたって賞賛してきた社会主義国家が崩壊したことに真正面から向き合うのではなく、「あれは本当の社会主義ではなかったから崩壊するのは当然」と「知ったかぶり」で済ませようとしている。このような姿勢や態度は浅薄極まりない。
 日本においても、学者個人や学会が、総力を挙げて、ソ連や中・東欧における社会主義社会崩壊の分析に取り組んできたとは思われない。学者がこの体たらくなら、政治政党はもっと浅薄な総括で事を済ませている。「ロシアと中・東欧社会主義の崩壊は社会主義の失敗ではなく、覇権主義と官僚主義の失敗だった」というような一片の政治的言明で、20世紀社会主義の分析を終わらせようとしている。このような安直な態度からは、歴史の総括のみならず、現代社会分析や将来社会のあり方について、説得力のある議論を期待することなど不可能である。

社会主義体制崩壊の最大の教訓は何か
 20世紀社会主義崩壊の最大の原因は、資本主義に代わる計画経済システムを構築できなかったことに尽きる。ロシア革命直後には、国民経済計画策定のための手段や方法が探求されたが、その実現の不可能性から、経済計画は早々と共産党政治局による集権的管理・配分、事実上の戦時的配給制度に堕してしまった。この視点から、私は20世紀社会主義を、「封建時代から資本主義時代への歴史的転換において一時的に出現し短命(失敗)に終わった社会主義実験で、戦時社会主義を超えるものではなかった」と総括した(拙著『ポスト社会主義の政治経済学』日本評論社、2010年)。
 20世紀の共産党独裁体制はいわば啓蒙君主制の労働者階級版を超えるものではなく、その意味で歴史時代に制約された社会体制であった。ソ連型社会主義は20世紀に現れた啓蒙独裁政治体制であり、国民経済計画の不可能性によって、その経済システムは共産党の恣意的な政治指導対象物に転化した。経済の政治的指令を貫徹させるために、個人事業者を抑圧し、市場経済を一掃した。こうして個別経済主体の活動能力を抑え込んだ結果、社会主義経済は定常経済に陥ったが、対西側との鎖国政策は国民が経済停滞状況を感じ取ることを妨げた。しかし、社会主義体制が崩壊し、それぞれの国民経済が世界に向かって開かれた時に、旧社会主義国家は埋めることができない西側との経済発展格差に直面し、社会主義工業企業は体制転換恐慌に陥り、工業部門の全般的崩壊という危機に陥ったのである。
 人類の経済社会は「交換」をベースにする市場システムをベースにしない限り、持続可能な経済システムを持ちえない。しかも、「交換」は経済主体の平等を前提とする。つまり、give and takeという原理は「交換」における主体の同等性を前提している。これにたいし、中央集権的な「配分」は容易に、give, but obeyという支配-従属の原理に転化する。「交換」をベースにする経済システムは平等・公正の社会的規範を発展させるのにたいし、「配分」をベースとする経済システムは与える者と与えられる者との支配従属関係を生み出し易い。
 市場的交換システムを全面否定した20世紀社会主義は、国民経済を発展させる基盤を失った。「市場は悪」というイデオロギー的な断罪が、国民経済の発展を阻害し、20世紀社会主義の自己崩壊を帰結したのである。

社会発展の契機で見た二つの基底的経済行為の特性比較

社会的・経済的モーメント

基底的経済行為

交  換

配  分

1.コミュニケーション

情報的・双務的

物理的・片務的

2.制度化

自己組織化された市場制度

官僚制度

3.人間関係

非人格化-文明化

人格依存-非文明化

4.組織化

開放性と透明性

閉鎖性と秘密性

5.社会的行動

自立と個人責任

権威への依存

6.複雑性

継続的に増大

単純化への退化

7.自己発展

自生的・継続的

劣化的・自己破滅的

 出所:拙著『ポスト社会主義の政治経済学』7頁(日本評論社、2010年)

西欧の社会民主主義
 20世紀社会主義は何もロシアと中・東欧世界だけの話ではない。ロシア革命の影響は直接間接に、西欧社会に社会保障制度を充実させる圧力となり、西欧ではソ連型社会主義とは異なる社会民主主義国家の建設が急がれた。そこでは市場経済をベースに、社会保障制度を構築することが追求された。
 市場経済の発展に裏付けられた福祉国家は、ソ連型社会主義国家よりはるかに高水準の社会保障制度を構築することができた。西欧社会を構成する諸国は単純に資本主義国家と規定できない。そもそも社会主義か資本主義かという問題の立て方は、戦争か平和という問題設定とほとんど同義であり、政治的な問いかけである。現実世界はもっと複雑であり、西欧福祉国家は市場経済をベースにしつつ、巨大企業の社会的制御を強め、社会保障制度の充実を図って、ソ連型社会主義よりはるかに高度な福祉国家が建設することができたのである。
 このことは、医療制度や年金制度を比較すれば一目瞭然である。旧社会主義国は体制転換から30年近くを経ても、いまだに旧体制の医師主権の権威主義的システムから脱皮することができず、医療サービスの質はきわめて低い。年金額も西側に比べて、きわめて低い。市場経済の発展を抑圧してきた数十年の歴史は、いまだに旧社会主義国家に負の影響を与え続けている。
 社会主義的政策を掲げてきた西欧型福祉国家社会とソ連型社会主義社会を比較すれば、その本質的な違いは明瞭である。だから、体制転換を契機に、西欧諸国の共産党が20世紀社会主義から決別して政党名称を変更したのは必然的な帰結である。世界を見渡しても共産党の名称が残存しているのは、社会的後進性をもつアジア世界だけという事実はたいへん興味深い。権力にある共産党は自らの専制的支配を正当化するために「社会主義・共産主義」のスローガンを利用し、権力にない共産党は地上に存在することのない桃源郷を目標に「社会主義・共産主義」の旗を降ろさない。前者が自らの支配を合理化するための社会主義イデオロギーの便宜的利用だとすれば、後者は20世紀社会主義の現実の営みから目を背け、19世紀のイデオロギーにしがみつく空虚で空想的な社会主義への回帰である。

ロシア革命100年から何を学ぶのか
出所:Eurostat (online data code: gov_10a_main) 2017年4月24日
図 EU諸国の対GDPで見た財政支出と歳入

 ソ連や中・東欧諸国の社会主義は、国家の再分配率が高くても、基礎となる経済発展水準が低いために、高い水準の社会保障サービスを提供することができなかった。そのため、労働者の不満を抑えるべく、有給休暇だけは、西側諸国を上回る制度を構築してきた。体制転換後も、西側並みか、それ以上の休暇制度だけは何の変更もなく存続しており、就業年数とは無関係に、自然年齢による有給休暇が取得できる。ハンガリーの場合、年休は年20日から始まり、40歳半ばには30日で上限を迎える。このほかに、病欠が年15日認められるので、これをすべて消化すると、50歳になる前に、年45日、実に9週間の休暇の取得が可能になる。
 この休暇制度は体制転換後の経済発展を阻害する要因になっている。社会主義時代は休暇の自由時間だけを享受する、まさに貧困を分け合う共産主義(コルナイは、これを「未熟児として生まれた福祉国家」と称している)だったが、体制転換後は「EU共産主義」にジャンプしたかのように、40歳代半ばで9週間の休暇を得る「早期年金生活国家」を維持している。何のことはない、旧体制時代と本質的に変わっていない。市場経済の発展にもとづく高いレベルの福祉国家を目指すのではなく、市場経済の発展に裏付けられることのない低いレベルの福祉国家を維持するという点で、旧体制が抱えていた問題をそのまま引き継いでいる。
 
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