2017.12.05 さいころ物語
さいころの目は制御できるか

松野町夫 (翻訳家)

さいころは主に室内のゲームやギャンブルに用いる小道具。形状は一般に立方体(正六面体)で、各面に 1~6 個の小さな点が記され、1 の裏が 6、2 の裏が 5 というように、両面の和はいずれも 7 になる。日本には奈良時代に中国から伝来した。賽(さい)ともいう。

私たちは日常、0~9 の10個の数字を用いる。しかし、普通のさいころは数の範囲が 1~6 に限定されているので十進法には不向きである。とくに乱数を得たい場合、20面体ダイスを使用するのが一般的だ。私は20面体ダイスを 2個(赤色と黄色)持っている。20面体ダイスは、各面は正三角形で、0~9 の数字が記され、全体として同じ数字がふたつ存在する。ただし乱数は現代では、コンピュータで発生させる場合が多い。

さいころには 1面体から 144面体までいろいろな形状がある。
1面体ダイスは、転がしても 1 しか出ない。数学ではこれを「メビウスの帯」(Möbius strip)と呼ぶ。帯を一回(180°)ひねって、両端を貼り合わせて作ったもので、表と裏の区別がない。2面体ダイスは二者択一には最適だ。100面体ダイスや144面体ダイスは、ゴルフボールに近い。
1面体から 144面体までのさいころの画像については、以下のサイトを参照してください。
http://oreore.red/polyhedron-dice-1-100

さいころは神事、占い、遊び、賭博、念力の検証、奇術、曲芸、乱数の発生などの用途に用いる。さいころは小さいので持ち運びに便利で、また、どこか知的な雰囲気があり、人を夢中にさせる不思議な魅力がある。

双六(すごろく)遊びに、さいころは欠かせない。子供の頃、兄弟姉妹たちと一緒によく遊んだ。双六には「振り出し」から「上がり」まで数十個のステップがあり、基本的に、さいころを振って出た目の数だけ前に進めるので、6 を念じながら振るのだが、なかなか思うようにいかない。

『平家物語』の巻一には、白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたとある。賀茂河の水を「天災」、双六の賽を「確率」、山法師(比叡山延暦寺の僧兵)を「政治・宗教」と解釈すれば、この「天下三不如意」は、現代でも難題であることに変わりはない。

さいころは念力の研究に使用される。アメリカの心理学者J.B.ライン教授 Joseph Banks Rhine (1895‐1980) は、超常現象のうち、ESP と念力を専門に研究し、数量的測定法を考案して、超心理学の学問的基礎を確立した。ESP(extrasensory perception; 超感覚的知覚)とは、透視、テレパシー、予知の三つをまとめていう。ライン教授はESP 研究にはESPカード(星、十字、波、円、正方形)を用い、念力の研究にはさいころを用いた。

さいころは六面体なので、さいころを転がして 1 の出る確率は1/6 で、6 の出る確率も1/6 である。しかし、たとえば、6 を念じながらさいころを振り、毎回 6 が出れば念力の存在を完璧に証明できるし、そうでなくても、その確率を著しく高めることができたとすれば、念力の存在をそれなりに証明できることになる。ただし、特定の目が出るように鉛などの重りを入れた「いかさま賽」(loaded dice)を使用してはならない。

さいころの目を思いどおりに出すには気力が充実していなければならない。そこで私は若い頃、毎週日曜の早朝に早稲田のヨガ教室に通い気力の鍛錬に励み、午後は念力の修練に努めた。これを半年ほど続けたが、確率を高めるのは至難の業で、残念ながら自分には念力の素質がないことが判明した。

しかし、すべてが無駄骨に終わったわけではない。ヨガの帰途、新宿の将棋道場に立ち寄り将棋を指したが、勝率が以前と比べて格段に向上した。以前ほぼ互角だった相手に 8 割以上の勝率で渡り合うことができるようになっていた。双六のような「運がものをいうゲーム」(a game of chance)の勝率を高めるのは至難の業だが、囲碁・将棋のような実力がものをいうゲームの勝率は気力で高めることができるということを実感した。ありがたいことに、気力はヨガや座禅などを通して誰でも鍛錬することができる。

透視マジック「箱の中のさいころ」や予知マジック「見えないサイコロ」は、私のもっとも得意とする奇術である。また、テーブルに並べた 5 個のさいころを、ダイスカップを左右に振りながら1個ずつカップに取り込み、最後に 5 個のさいころを縦に積み重ねるという曲芸、ダイススタッキング(Dice Stacking)に20代の頃、熱中した。ダイススタッキングのビギナー向け動画について、詳しくは以下のサイトを参照してください。
https://www.youtube.com/watch?v=GAbZ5l46h4I

さいころは英語でdice [dáis] ダイス。可算名詞。アメリカ英語ではさいころは単数形 die で、複数形 dice である。しかし、イギリス英語では dice は単複同形(a dice, two dice)である。

Each player throws one die. (アメリカ英語) 
競技者はそれぞれ、1 個のさいころを振る。
A dice is a small cube which has between one and six spots on its sides.(イギリス英語)
さいころは小さな立方体で、各面に1~6 個の点が記されている。

賽は投げられた。 The die is cast.
これは、Julius Caesar(ジュリアス・シーザー)が紀元前49年1月10日、元老院に背いて軍を率いて南下し、北イタリアのルビコン川を通過する際に言ったとされる言葉で、意味は以下の通り:
Today we cross the Rubicon. There is no going back.
今日、私たちはルビコン川を渡る。もう後戻りはできない。

神はさいころを振らない。 He does not throw dice.
これは、量子力学の確率的要素を嫌ったアインシュタインの言葉である。現代物理学では量子的できごとのレベルは本質的に不確定性がある(不確定性原理)と主張するが、アインシュタインは、宇宙はさいころ(確率や偶然)ではなく、確定的な法則(必然)に支配されているはずだと確信していたようだ。アインシュタインは無神論者である。彼は自然法則こそが神であり、人格のある神はいないと考え、神(God)を "the Old One" と呼んでいた。以下の文言は、Wikiquote “Albert Einstein” から引用した。

Quantum mechanics is certainly imposing. But an inner voice tells me that it is not yet the real thing. The theory says a lot, but does not really bring us any closer to the secret of the "old one." I, at any rate, am convinced that He does not throw dice.
【筆者訳】 量子力学はたしかに印象的だ。しかし、まだ本物ではないと内なる声が私に告げる。量子論は多くのことを述べるが、本当のところ、自然の神秘に私たちをさらに近づけているというわけではない。いずれにせよ、神はさいころを振らないと私は確信している。

さいころを振ってどの目が出るかは予測不能である。この意味で、さいころの目は確率や偶然の産物となる。しかし発想を変えて、さいころの目をニュートン力学(古典力学)における物体の運動と見れば、さいころの目は初期の条件で決まることになる。

人がさいころを握ってテーブルに転がす場合、さいころの状態(立ち位置)、転がす力の強度・速度、落下高度・角度など多数の条件が関係するので、どの目が出るかは現実には予測不能である。しかし条件をできるだけ単純化すれば、さいころの目は制御可能となるはずだ。そこで、一辺13 mm のさいころを、厚み23 mm のタバコの箱にのせ、1 を上に、2 を前にした状態で、静かに落下させたところ、毎回、5 が出ることが判明した。これは、力の強度・速度、落下高度・角度などを設定できる精密な人型ロボットを使えば、さいころの目は制御できることを示している。

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