2008.07.20 「相手の正義」容認は歴史・時代小説の本筋か?
〔書評〕梶よう子著『一朝の夢』(文藝春秋、¥1680)

雨宮由希夫 (書評家)

時は幕末。場所は八丁堀。幕府の一下級官吏にすぎない「八丁堀の旦那」が安政の大獄をひきおこし桜田門外の変で死んでいった幕閣の重鎮・井伊直弼(いいなおすけ)と私的な交友関係にあり、深いかかわりを持つという、当時の社会制度、身分制度を考えれば、ありえない人との出会い、出来事が、歴史・時代小説を舞台として繰り広げられている。
北町奉行所で所員の名簿作りという閑職についている主人公の中根興三郎(こうざぶろう)は30を過ぎて未だ独り身。役所への出退勤を定時に繰り返しているが、朝顔作りという趣味があり、「朝顔同心」と綽名されている。
モノの本によれば、奈良時代に薬用として中国より伝来した朝顔は、文化・文政の頃より観賞用植物として盛んに栽培されるようになり、武家や裕福な商人、文人たちの間で大流行した。「入谷(いりや)の朝顔」と世に宣伝されるようになるのは、明治も中頃のことという。
八丁堀の中根家の小さな庭には、興三郎が丹精こめて栽培した200鉢ほどの朝顔が咲いている。
興三郎には夢の一朝があった。朝顔の花色は、赤系統から青系統と白色はあるが、黄色は本来存在しないものであるというが、興三郎は夢の花である黄色の朝顔を咲かせたいと思っている。
興三郎には夢の一朝があった。朝顔の花色は、赤系統から青系統と白色はあるが、黄色は本来存在しないものであるというが、興三郎は夢の花である黄色の朝顔を咲かせたいと思っている。
「彦根藩主井伊掃部頭直弼(かもんのかみなおすけ)がこの春、大老になってからというもの」とあるから、本書の時代背景は安政5年(1858)。そのころ、江戸の町に続けざまに辻斬りが起こる。ひと月の間に罪なき町人や商人が4人も犠牲になる。しかもすべて彦根藩に縁のある者が狙われていることが特異であった。
幕末の風雲が間近に迫っていたが、“現実”と趣味の世界は別であることは今も昔も変わらない。趣味には趣味特有の別の時間が流れているのである。そうした時間の中で、興三郎は趣味を一にするさまざまな人物とかかわりを持つことになる。
ある日、興三郎は江戸朝顔界の重鎮・鍋島直孝の招きで鍋島杏葉館を訪れる。直孝は閑叟(かんそう)と号した佐賀藩主・鍋島直正(なおまさ)(1814〜71)の兄であり、鍋島杏葉館は五千石のご大身鍋島直孝自慢の庭であるという造形である。そこで興三郎は「茶人・宗観」と名乗る壮年の武家に呼び止められる。興三郎と井伊直弼の出会いであった。
 ふだん寡黙な興三郎だが、朝顔の事になると我を忘れて熱く語りだし、興三郎は宗観の開く茶会のための朝顔をつくるよう宗観から依頼され引き受けてしまう。
上州浪人の三好貫一郎も趣味を通じて知り合った人物である。三好こそは桜田門外の変の首謀者である水戸藩士関鉄之介であった。朝顔の同好者を装った関はある目的を持って興三郎に近づくのである。
一介の町奉行所同心の屋敷を宗観が訪ね来るのは、「将軍家定(いえさだ)の薨去が発表されたころ」とあるから安政6年(1859)7月のことである。このとき、まだ興三郎は宗観の正体を知らない。
共に部屋住みの身から、藩主となった直弼と、長兄が急逝し思いかげずに家督を継いだ興三郎は似た者同士といえる。こうした実在と架空の人物を配して、
「………人の運命というのは、まったくわからぬものだ。朝顔と同じじゃ、どんな花が咲くかはわからんからのう、中根」
 と宗観が興三郎に語りかけるシーンは味わい深く、「安政の大獄」や「桜田門外の変」以上の、本書の読ませどころになっている。
 朝顔にかかわる1人の女性がいる。名を里恵(さとえ)という。
里恵は興三郎がしばしば足を向ける一膳飯屋のおかみであるが、もともとは南町奉行所定橋掛り同心西沢儀左衛門の娘で、かつては興三郎の家と西沢家は軒を並べていた。里恵が15の時、父儀左衛門が不祥事を起こして自害し、母と娘の里恵は八丁堀の屋敷を立ち退(の)いた。再会した里恵はもう30にとどく歳であろうか、一子・小太郎をかかえて生活苦にあえぎ、日本橋の質屋富田屋徳兵衛の妾同然の暮らしに甘んじ、一膳飯屋で生計を立てていたのである。
朝顔は脆さと、凛とした強さを持つ清楚な花である。興三郎は幼馴染の里恵の姿に朝顔を重ねていた。興三郎は人助けのために手塩にかけた朝顔「撫子咲」を里恵にゆずる。やがて2人はある事情から同じ屋根のもとで過ごすことになる。
2人の密やかな恋の行方はどうなるかと、読者は気をもむだろう。
行き先も告げずに出かけ尊皇攘夷をかたる数人の男に弄(もてあそ)ばれた挙句の無惨な姿となった里恵の亡骸(なきがら)と興三郎はあい見(まみ)える。
里恵の死にどのような意味があるのか。里恵を死なすことなく、ハッピイエンドストリーとすることも可能ではなかったか?
不満な点といえば、勝麟太郎(海舟)の名はあっても、小栗(おぐり)上野介の小(お)の字もない遣米使節団の説明記述は、多くの歴史・時代小説にありがちな曲解として一笑に付せても、水戸の過激浪士を陰からたきつけ、皇女和宮の降嫁を画策したとする老中・安藤信睦の人物造形は歴史の真実であるか、検証が必要であろう。
時代の奔流は安政の大獄から桜田門外の変への道を突き進む。時は容赦なく過ぎ去り、二度と戻らないが、桜田門外の変の前後に直接聞いた関鉄之介と直弼の言葉が興三郎の胸をうずかせる。鉄之介は事を決行するにあたり、
「俺たちのなすことが正しいとはいわぬ。大老のやり方が正しかったともいわぬ」
といい、直弼は暗殺されることを予見して、
「おのれの信ずるもののために生きる、それはどんな場合でも、どちらの立場においても正しいのだ。相容れぬことも、また互いの正義のためなのだ」
と言ったと回顧している。この興三郎のほろにがい感傷こそが作家の歴史認識なのだろうか。
人間のはかなさに、朝顔のはかなさを重ね合わせるという創作上の修飾技法としては有効かもしれないが、歴史は非情なものである。「どちらも正義である」ことなど、ありえない。後世の、第三者の戯言(たわごと)ならいざ知らず、対峙する当事者がいずれも相手の正義を認め合うことなど、歴史の真実からほど遠い。真実は何事にあれ一つしかない。
『釣りバカ日誌』の朝顔版として、傑作の部類に数えることはやぶさかではないが、歴史の真実に肉薄しようとする歴史・時代小説の本来的な使命からかけ離れた作品といわざるを得ない。ちなみに本書は第15回松本清張賞受賞作。
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