2018.05.25  「国体」論による鮮烈な戦後批判
 ―白井聡『国体論―菊と星条旗』を読む

半澤健市(元金融機関勤務)

 気鋭の政治学者白井聡(しらい・さとし、1977~)の近著『国体論―菊と星条旗』は次のように始まる。(■から■)

■本書のテーマは「国体」である。この言葉・概念を基軸として、明治維新から現在に至るまでの近現代日本史を把握することが、本書で試みられる事柄にほかならない。「国体」という観点を通して日本の現実を見つめなければ、われわれは一歩たりとも前へと進むことはできないからだ。(中略)そのようなものとしての「国体」と手を切ったのが、敗戦後の諸改革を経た日本であり、現在のわれわれの政治や社会は「国体」とはおおよそ無縁なものになっている、というのが一般的な常識であろう。
しかし、筆者(白井)は全く逆の考えを持っている。現代日本の入り込んだ奇怪な閉塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が、「国体」である。■

《戦前・戦後の「国体」には三段階ある》
 惹きつける文章である。しかも新書にしては347頁の大冊である。
著者は、戦前と戦後の「国体」がそれぞれ、①「形成期」、②「相対的安定期」、③「崩壊期」の三段階を歩んだと述べる。
戦前の三段階のキーワードは、
①「近代主義国家=国民国家の建設」、副題が「天皇の国民」
②「アジア唯一の一等国」「大正デモクラシー」、副題「天皇なき国民」
③「昭和維新革命」「ファシズム」、副題「国民の天皇」である。
戦後は、
①「占領政策」「高度経済成長」
②「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
③「失われた20~30(?)年」である。ほかに時代のキーワードがあるが省略。
詳細は原本に譲るが、ここでは私(半澤)が最も関心を惹かれた戦後日本の「国体」形成期についての内容を紹介したい。

《戦後「国体」の形成とその帰結たる現在》
 降伏の「御聖断」に至る過程で「国体護持」の客観的な定義が、支配層の誰にも明確に認識されていない。この「日本的」状況の記述を改めて興味深く読んだ。
天皇制崩壊の危機は日米支配層の取引で回避された。米側は天皇利用による占領政策の円滑な遂行を求めた。日本側は、形式上の「国体護持」でも可としながら、宮中・リベラル派官僚機構の主導による間接統治を求めた。そのディールが成立した。最初の面談で、天皇はマッカーサーを感動させたという神話が流布した。しかし日本占領の計画策定は1942年に始まっていた。マックの感動で始まったのではない。
占領下の主権は日本ではなくGHQの手中にあった。占領下の国会で新憲法が成立し発布される。その新憲法で日本は平和的な民主国家となり、対日講和条約(実体は日米安保)で独立した。世界第二の経済大国になった。そして日米同盟は対等の関係である。

《戦後国体への断固たる異議申し立て》
 白井の分析は、常識的「戦後論」への異議申し立てである。敗北したのに、天皇制の温存と米国の庇護の合作である「日米同盟」関係を、白井は「永続敗戦」と呼びつつその実態は「主人と奴隷」の関係だと強調する。我々は厳しい現実―たとえば沖縄、あるいは沖縄化する本土―に背を向けている。見たくないものはないことにして我々は70年余を過ごしてきた。神話を現実と見てきたのである。『国体論―菊と星条旗』の核心は、「天皇から米国へ」の主権の移転、その「不可視化」の成功論であると私は読んだ。
 
この「永続敗戦」のレジームにあって、米国は日本の国力回復が必要だった。東西冷戦の時代だったからである。1ドル360円の円安容認と自国市場の開放によって米国は日本の経済復興を支援した。反共の砦は日本だと考えてそうした。しかし日本という隷属者が、競争者となったとき米国は、「グローバリゼーション」戦略によって日本を攻撃する。冷戦終結で米国に敵はいなくなり、日本を護る必要性がなくなる。中国は統制された資本主義国家である。こういう客観的事実の変化があっても、この30年間、「永続敗戦体制」は、日本人に認識されず、再審判もされず、脱却への試みもほとんどなかった。白井は本書の結論部分(336~337頁)にこう書いている。

■「戦後の国体」の末期たる現在において現れたのは、「戦後日本の平和主義」=「積極的平和主義」=「アメリカの軍事戦略との一体化」(実質的には、自衛隊の米軍の完全な補助戦力化、さらには日本全土のアメリカの弾除け化)という図式である。(中略)朝鮮半島の緊張に対する日本政府の対処とそれに対する世論の反応は、「戦後の国体」の臣民たる今日の日本人が奉ずる「平和主義」の内実を明るみに出した。「平和主義」の意味内容の変遷は、「戦後の国体」の頂点を占める項が菊から星条旗へと明示的に移り変わる過程を反映している。今後の東アジア情勢次第では、「天皇制平和主義」を清算しない限り、われわれは生き残り得ないであろう■

《私の三つの率直な感想》
 「奇怪な閉塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が、『国体』である」という著者の目的は達せられたか。自負は本当であったか。以下は私の率直な読後感である。

第一 一点突破全面展開の強さ
戦後の日米関係について日本の従属体制を論じたものは多い。実際、白井著作においても明示的・暗示的に先行研究への言及がある。しかし個別の事態や事件を深く追及したものはあったが、「国体」というキーワード一語で、あるときはピンポイントに、あるときは強引な飛躍で、あるときは事柄の両義性をフルに応用して、これだけ執拗に論理を展開している、こんな言説は今までなかった。

第二 戦後論への鋭い問題提起
メディアや学会の戦後論は、「敗戦」が画期だという断続説から連続説へ次第に軸足を移した。その過程で起こったことは、「日米同盟」への言及欠落であり、そのなし崩しの承認であり、更には積極的肯定ですらある。多くのマスメディアにあって、安保批判はいまや「国賊」「非国民」の言語である。政治家の世界はどうか。いま日米安保即時撤廃をいう政党は一つもない。
しかし総体としては戦前・戦後の連続説に立つ白井分析は正面から日米同盟批判を行っている。奇矯な指導者を奉ずる二カ国の会談結果予測は困難だが、場合によっては「外交の安倍」が世界の孤児になる可能性もある情勢だ。

《思い切った明仁天皇への肯定》
 第三 明仁天皇への肯定的な評価
本書の帯で、思想家内田樹、経済史学者水野和夫、宗教研究者島薗進、ノンフィクション作家保阪正康の四識者が白井著作への短い賛辞を述べている。

白井聡は本書で、明仁天皇の「お言葉」(2016年8月8日のテレビ放送による実質的な生前退位宣言)に関して踏み込んだ発言をしている。白井は「お言葉」に衝撃を受けた。それは「この国の歴史に何度か刻印されている、天皇が発する、歴史の転換を画する言葉となりうるものと、筆者(白井)は受け取」り、「古くは後醍醐天皇による倒幕の綸旨や(中略)、孝明天皇による攘夷決行の命令、明治天皇による五箇条の御誓文、そして昭和天皇の玉音放送」の系譜につながると解している。現天皇発言に関して、「腐朽した「戦後国体」が、国家と社会、そして国民の精神をも破綻へと導きつつある時、本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである」とまで述べている。
同趣旨の発言は、上記識者のうち内田樹からは公然と、保阪正康からも示唆的に発せられている。三人が同一意見だと私はいわぬが、彼らの思考ベクトルは概ね同方向だと思われる。これらの発言が意味するところは何か。私自身に今発言する準備はないが、「明治150年」は、安倍内閣が望む年ではなくなるのでないか。そういう予感をもっているとは書いておきたい。

改めての結論。白井聡の力作『国体論―菊と星条旗』が多くの読者を獲得することを期待する。(2018/05/19)

白井聡著『国体論―菊と星条旗』、集英社新書、集英社2018年4月刊、940円+税
Comment
拝読しました。日本人は霊的一体性を保つことができるのか(p338)。
平成天皇は、主として昭和天皇の負の遺産の贖罪を基に行動、祈りつつ、国民の霊的一体性を築きあげてきたことにに深く敬意を表するが、小生としては玉砕のアッツ島、インパールの白骨街道、シベリア捕虜収容所などまだ残っているよと書いてほしかったが。
市畑 進 (URL) 2018/05/30 Wed 12:06 [ Edit ]
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