2018.06.07  ガザ抵抗の2か月余、死傷者1万3千人以上(1)
          ― 苦闘を続けた国際医療チーム、看護女性も犠牲に

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

 土地の日(3月30日、1976年にイスラエルがパレスチナ住民の土地を大規模に接収し住民を追い出した日)から、ナクバ(5月15日、大災厄。1947年イスラエルが建国宣言に続いて、パレスチナ住民の大規模追い出しを開始、アラブ軍が開戦した日)まで、パレスチナ自治区のガザ、ヨルダン川西岸で毎年行われてきたパレスチナ住民の抗議デモ。ことしは、米国のトランプ政権が、5月14日を選んで米大使館をテルアビブからエルサレムに移転し、イスラエルのネタニヤフ政権を狂喜させたため、パレスチナ側の抗議デモと、イスラエル側の武力弾圧が、例年よりはるかに激化し、イ軍の武力鎮圧行動によるパレスチナ住民の犠牲が激増した。
 ガザでは、かなり以前から中心的なアルシーファ病院などの施設で、国際赤十字からの派遣者と国際医療ボランティア「国境なき医師団」の医療チームなどが医療支援にあたってきたが、今年は死傷者が激増したため、国際赤十字は50ベッドの外科手術施設を設置、外科医、麻酔師、看護師の増派に取り組んできた。毎日デモが行われた境界近くの地域では、イ軍の地上と航空機による攻撃が容赦なく行われ、重傷を負った市民の応急処置に走り回るボランティア看護女性が活躍した。そして、その一人ラザン・アルナジャルさん(21)が1日、境界の金網のすぐそばでイ軍に射殺された。
 アルナジャルさんの死に抗議するデモが2日、ガザ全土で行われた。血でそまった白衣とともにアルナジャルさんの遺体は、パレスチナの国旗で包まれ、街路を埋め尽くした市民たちの中を、父親とともにガザ市内を運ばれていった。

 ガザはイスラエルと一部はエジプトとの境界と長い海岸線で囲まれ、それぞれ1か所の検問所だけが外部世界との出入り口にされている。陸の境界は厳重に高い金属網で包囲され、長い海岸線は6カイリ(11キロ)沖でイスラエル海軍によって封鎖されている。イスラエルに故郷を奪われ、ガザで苦しい難民生活を送ってきたパレスチナ住民が、故郷への帰還を要求する大規模なデモが1か月半、連日続いた。デモはガザの最有力抵抗組織ハマスのリーダーシップのもとに、イスラエル軍が立ち入り禁止を宣言した境界に沿った地域で行われ、イスラエル軍は、空爆と金網越えの砲撃、銃撃でデモ隊を攻撃した。イスラエル軍によると、パレスチナ側から手製のロケット弾などで攻撃があった。しかし、その回数、規模は象徴的な攻撃に過ぎず、実害はほとんどなかった。
 ハマスの当初プランでは、デモは「土地の日」からナクバまでの1か月半だったが、例年をはるかに激しいガザ領内へのイ軍の攻撃、犠牲者の多さに抗議して、ナクバを過ぎても、境界の金属フェンス連日抗議デモが行われ、死傷者が増えつづけている。

               ガザ抵抗の1か月半、死傷者1万3千人以上(1)
(写真説明)ガザで1日、イスラエル軍の銃火で殺害された、医療ボランティアのアルナジャルさん。
英公共放送BBC中東版が6月2日報じた“Gaza Violence:Thousands attend funeral”
For Palestinian medoc”の併用写真。 国連人道問題調整事務所(OCHA)提供の資料写真。OCHA,世界保健機関、国連人権高等弁務官事務所連名で「医療ボランティアの殺害に深い懸念をいだき、医療従事者の保護を要求する」という文章が付けられている。


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