2018.06.12  習近平講話のなかのマルクス主義
          ――八ヶ岳山麓から(259)――

阿部治平 (もと高校教師)

5月4日、中国共産党の習近平総書記(国家主席)は、カール・マルクス生誕200年を記念する大会で「重要講話」を行なった。5月5日の「新華ネット」は、これを「マルクスの『一生』」「マルクス主義の四つの『是』」「マルクス主義の三つの『飛躍』」「マルクス主義の九つの『学』」という項目にまとめて紹介した。
この前後、中国のネットには、学者や幹部のマルクス記念発言がつぎつぎ公開された。マルクスは「共産党宣言」のなかで、資本主義と植民地主義がアジアに進歩をもたらすといった。だから私は(中国では言論統制が厳しいとはいえ)マルクスの中国論――太平天国やアヘン戦争――について、誰かが何か言うのではないかと内心ひそかに期待していた。
だが見た限り、マルクスは人類に偉大な貢献をした、中共はマルクス主義の原理を適用して革命と建設に成功した云々という、マルクスと中共と習近平氏に対する称賛のことばがあるだけだった。期待するほうがバカだった。

習近平講話のうち、多少とも中身があるかと思われる部分は、「中国において創造された奇跡」という副題がついた「マルクス主義の三つの『飛躍』」の部分である。
第一は、中共は結成以来、マルクス主義の基本原理を中国革命と建設の具体的な現実に結びつけて、新民主主義革命と社会主義革命を完成し、中国に社会主義の基本制度を樹立し、これによって中華民族はアジアの病人から偉大な飛躍を遂げた。これこそが社会主義だけが中国を救うことができた証明だという。
第二も同じ調子で、改革開放以後の「中国の特色ある社会主義の偉大な実践」によって中国は大きな飛躍を遂げ、中華民族を豊かなものにしたという。
第三は、現在についてである。中共は偉大な闘争をすすめ、偉大な工程を建設し、偉大な事業を推進し、偉大な夢を実現し、党と国家の事業を押しすすめて全面的で独創的な歴史的成果をかちとった。さらに根本的な歴史的変革を生んだことにより、中華民族は富国から強国への偉大な飛躍を遂げたという。
習近平講話は奇妙なくらい「マルクス主義の基本原理」の適用、「中国の特色ある社会主義」を強調する。これはいったいなぜなのかを考えたい。

第一の部分は、毛沢東時代を語ったものと理解できる。
習近平講話ではマルクス主義の原理を中国に適用し、1949年の革命をなしとげ、そのことによって中国が「アジアの病人」から立ち上がったという。実際は、かならずしもそうではない。革命以前の1945年抗日戦勝利直後、当時の国民党軍がまず台湾へ進駐し、ついで「満洲」を回復し、香港・マカオを除く領土の統一を獲得した。さらに国民党政府は、欧米各国間との不平等条約を廃止したのである。
習近平講話は、新民主主義革命と社会主義革命とを並べて書き、ふたつながら完成したといっているが、それはまったく異なる。新民主主義は抗日戦争勝利後の建国構想として登場したもので、市場経済を基礎に民族ブルジョア―などの経済的利益、私有財産を保護し、ゆっくりと復興するというものだった。
ところが、1949年革命後から毛沢東はこの構想を、自らも決定に参加したにもかかわらず、ブルジョアジー・富農の考え方、「纏足女のよちよち歩き」などとこきおろした。これで新民主主義は中断し、ただちに産業の国有化と農業の集団化がやってきた。
革命後の毛沢東には失政と破壊が連続した。1957年の「反右派闘争」では数十万の知識人を失脚させ、あるいは投獄して、建設の活力を衰弱させた。58年からの大躍進・人民公社では、3000万とか4000万という餓死者を出した。1966年から10年の文化大革命では、千数百万という人が犠牲になった。中共中央では誰も毛沢東の暴走を引きとめられなかった。
民主共和制とか人権とか経済といった観点からすれば、毛沢東の中国は抗日戦争以前の中華民国時代よりはるかに後退した。そんな高度のことでなくても、毛沢東時代民衆には引越しだの転職だのの自由はなく、親戚の葬式にも幹部の許可を得なければならなかった。
以上の経過を踏まえて1949年の革命の性格について、80年に元紅衛兵の王希哲は「毛沢東が成功裏に指導したこの革命は、農民革命に過ぎなかった」「毛沢東が死んだとき、中国人民に残したものは、崩壊した経済と公安テロだけだった」といった(『毛沢東と文化大革命』)。「マルクス主義の原理」とは関係がないというわけである。

習近平講話の第二第三はひとつづきのものである。
習近平氏は中共が「中国の特色ある社会主義」を維持発展させたからこそ「富国から強国への偉大な飛躍を遂げた」という。この跳躍板になったのは、ご存知鄧小平の改革開放である。
それは欧米留学組の経済理論のもと、民主化要求の抑圧、労農人民の低賃金を前提に、外資導入と輸出誘導によって経済発展を図るものだった。もちろん、これは鄧小平の発明ではない。同じことをすでに1960年代後半から韓国の朴正熙がやっていた。台湾の蒋慶国もやった。フィリピンのマルコスもやった。インドネシアのスハルトもやった。鄧小平は、いわゆる開発独裁の手法をまねたのである。マルクス主義の原理とは縁遠い。
もし、鄧小平がマルクス主義者で、市場経済の導入が社会主義へ進む手段のひとつとして行われたならば、周到な社会保障制度が準備されたはずである。だがこの配慮はなかった。
その過程で、高級官僚ととりまきによって、莫大な国有資本が合法非合法の手段で私物化された。いま中国の富裕世帯の上位10%が、総資産の64%を保有する。そのうえ都市農村間の格差は世界でまれにみるものになった。この土台の上に、2020年代にはアメリカを抜くかもしれないという、航空母艦2隻をもつ軍事大国の中国があるのである。

1949年以後の30年間は、堯舜を夢見た毛沢東によってめちゃめちゃにされた歴史である。鄧小平改革に始まる今日までの40年は、中共統制下の開発独裁――いわゆる新自由主義の歴史である。
だが前述のように中共中央は、いや学者たちも、ことあるごとにマルクス主義と「中国の特色ある社会主義」を引き合いに出して政策だの論文だのの正しさを証明しようとする。これは、おそらくは漢帝国以来2000年余りの強固な伝統によるものである。中国歴代王朝の国是の哲学は儒教であった。「四書五経」は真理の経典で、どんなに時代が変っても清帝国まで生きつづけた。各時代の支配者は、その解釈を自在に変えて自己の治政を正当化できたからである。
現代中国もこの伝統によって国是の哲学=経典を欲した。それは当然マルクス主義になった。ロシア革命の父レーニンが「マルクス主義は正しいがゆえに全能である」といったとおり、マルクス主義は体系的であり全面的である。どこにでも適用可能だから国是の哲学にふさわしい。ただし個人が勝手に解釈を変えるのは許さない。その権限は中共中央にある。
さる中国の友人が「マルクスの片言隻句をとりあげて、解釈を自分の都合のよいように変えれば、マルクス主義はもはや科学ではない」といったが、この嘆きは当分続くだろう。

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