2018.07.17 シカの食害を考える
――八ヶ岳山麓から(262)――

阿部治平 (もと高校教師)

私がいま住んでいる部落は、親村よりも2キロ離れ、標高差にして150mも高い。敗戦直後に農家の2,3男、満洲引上者が入植した子村である。ここはもともと村の共同入会地で、牛馬の飼料や茅葺屋根のススキ、青刈り肥料の刈敷を刈ったり、こたつ用の炭を焼いたりするための灌木の多い原野だった。
開墾入植した人たちは、まず種ジャガイモの栽培と乳牛の飼育を始めた。牛はホルスタインで大量の飼料を食うから、かなり広い牧草畑が必要だった。餌の乏しい辛い冬を過ごしたシカ(ホンシュウジカのこと)にとっては、いち早く芽を出す牧草は願ってもないごちそうだっただろう。春先、クローバーやオーチャードグラスに30~40頭のシカの群れが殺到し、青刈牧草の収穫が半減することもあったという。このために従兄は鉄砲をもつようになった。
60年代になると、シカの食害はさらに深刻な問題となった。というのは我村の畑作物は1960年前後から桑からセロリーやキャベツ、レタス、ブロッコリー、カリフラワーに転換したからである。新来の野菜はタネにも農薬・肥料にも金がかかっている。この幼苗がシカにかじられてはたまらない。

シカの食害は春先芽吹きの時期が深刻だ。彼らはまず林に隣り合わせの畑にやってくる。たとえばトウモロコシだが、これもまず幼苗がやられる。つぎに夏場出荷間際の成熟期にもやって来て実を食う。彼らが群れでトウモロコシ畑に入ったとしよう。茎1本に1つか2つ実がついているが、皮をむいてちょっとかじる。全部は食わないで次々と別な茎に移る。少しでもかじられるとトウモロコシの商品価値はなくなる。
そこで農家は畑の周りに垣根やロープを張り巡らしたり、夜間点滅電灯を設置したり、鉄砲花火を爆発させたりした。だが、彼らが慣れてしまうと効目は薄れてゆく。垣根やロープは人の胸くらいの丈でも簡単に越えられた。
食害はシカばかりではない。従兄のトウモロコシ畑にクマ出たことがあった。クマもシカ同様に次々つまみ食いをしていった。このときはクマの後にシカの群れが入り、数列のトウモロコシがダメになった。クマは元来八ヶ岳西麓にはいなかった動物だが、山伝いに来たものらしい。
ハクビシン(白鼻唇)もトウモロコシ畑に来るようになった。タヌキより大きいように思うが、私が中学生のころまでは名前さえ知らなかった害獣である。シカとは違い、道端のトウモロコシには取りつかず、畑の奥に入り込んでシカ同様の荒らしかたをする。こいつが交通事故に遭ったのを見たことがあるから、かなりの数が我村にも棲息しているようだ。

森林のシカ食害も、野菜同様深刻なものがあるが、私はこれについて何かいう資格はない。10年前の調査だが、長野県の小山泰弘・岡田充弘・山内仁人3氏による「ニホンジカの食害による森林被害の実態と防除技術の開発」(www.pref.nagano.lg.jp/ringyosogo/seika/.../iku-24-1.pd)という詳細な調査記録がある。これによると、日清・日露戦争の時期はシカ頭数が減ったという。兵装のために皮革の需要が高まり、多く捕獲したからである。では、今日のシカの食害が増えたのは、個体数が増加したからか、それともシカの棲息域をヒトが犯したからか。これについては定かではないが、従来シカがいないとされた北アルプス山麓や木曽谷にも棲息域が拡大しているという。
また厳冬期シカは林床のササを食うからササの食餌跡を見るとシカの頭数が推測できるというが、我家周辺にはササ類を食った跡がない。シカの好みも地方によって異なるらしい。我家付近では、冬はミズキやカエデ、リョウブなどの細い枝や冬芽、さらには幹の皮を剥いで食う。常緑のイチイの葉を食うことも多い。あんな苦いものをあえて食うからにはよほど腹が減っているのだろうと思う。
高山植物の被害も深刻である。八ヶ岳硫黄岳山荘では、太陽光発電による電気柵でコマクサ群生地を囲って保護している。ホンシュウジカが山を登ってカモシカの領分を荒らしているとのことだ。だとすれば、カモシカにとってはいい迷惑だ。そのうちに高山植物が激減する山が出てくる可能性は十分にある。

ところが、意外にも専業農家の友人は「ここ2,3年は、食害はそれほどじゃないな」といった。以前、マルチを踏み荒らされて穴だらけにされたこともあったが、この頃はそれもないという。マルチとは、畑のウネに敷いて、雑草や病虫害を防ぐ黒いビニールシートのことである。
こういわれてみると、セロリーやブロッコリーの畑で、シカ脅しのために夜間点滅電燈を設置することも、鉄砲花火をはじけさせることも少なくなった。秋のカラマツ・アカマツの混淆林のなかでキノコを捜していると、コケややぶに覆われた林床に、1坪くらい土がむき出しになっているのを見ることがある。奈良公園のシカは発情期のオスが林床をひっかいて草だのコケだのを頭にかぶって、これでメスをひきつけるという。我村のシカも変りがないらしい。
秋にはまた鋭い口笛のようなシカの鳴き声が川の向こうから響いてくる。これも発情期のオスがメスを呼んでいる声で、ひところはうるさいくらいだった。「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きくときぞ 秋はかなしき」というが、私は何の詩情も感じなかった。
近頃は林床をひっかいた跡も少なくなり、鳴声もそう多いというほどではなくなった。かつてはいくらでも見分けられたシカの踏み跡も目立たなくなった。

私がこの話をすると、従兄は「シカが減ったから食害が減っただけのことだ」といった。従兄の見方は、「鉄砲打ちは減ったが、改良式のくくり罠が普及して、大人のシカだけでなく仔ジカの捕獲も容易になった。ここのところ村当局が力を入れてかなりの頭数を仕留めたからな」というものだ。
なるほどくくり罠は多くなった。去年我家の周りにくくり罠を仕掛けた知人が「1週間に1回くらい見てくれ。おまえにも肉を半分やるぞ」といったが、私はまだ罠にかかったシカを発見していない。
シカ個体数が減ったについては、私はくくり罠に、3年前の大雪を付加えたい。何十年ぶりという大雪の翌夏、登山の途中でシカの死骸を見た。カモシカの子供の死骸もあった。同じ年仙丈岳へ行った息子も死んだシカを見たといった。おそらくかなりの数のシカが冬の餌がなくて餓死したのである。

なるほど。つまりは、作物の食害がそう大きくならない程度にシカを駆除するのがよいのだ。これについては好いことがある。我部落に女性で狩猟免許を持ち、鉄砲を打つ人が移住してきたのだ。新来の移住者のなかには罠にかかった仔ジカを哀れがって釈放する人もいて、はなはだ迷惑に思っていたが、これは吉報である。とくにメスシカを殺してもらいたい。そうして都会から来た人も「仔ジカのバンビ」という感覚は捨てて、シカの肉を食えば、新来の人も在来農家も互いのためになるのである。

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