2018.09.08 東海第二原発は廃炉にするしかない!~水戸集会に参加して~
   韓国通信NO570

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

9月1日、茨城県水戸市で開かれた、東海第二原発(茨城県東海村)の再稼働に反対する集会には同県県民を中心に近県から約千人が参加、会場は終始熱気で溢れた。
主催者を代表して挨拶に立った小川仙月さんは、原発と関わりある地域として、原発が立地する「立地地元」、原発によって被害を受ける「被害地元」、原発でつくられた電力を消費する「消費地元」を挙げた。集会にはこの三つの地元を代表する人たちが集まった。原発から45キロの栃木県益子町から多数の人たちが集会に駆けつけたことが報告された。

◇「原子力明るい未来のエネルギー」は福島県双葉町に設置されていた標語である。立地地元の双葉町は経済的に潤ったが、明るい未来はなかった。少年時代にその標語を作った大沼雄二さんは「騙されていた」と集会の壇上で怒りの声を震わせた。
◇桜井前福島県南相馬市長は津波と原発事故で孤立した南相馬が、政府とマスコミによって切り棄てられたと、被害地元となった当時を振り返った。宇宙飛行士は南相馬の子どもたちに「宇宙から見た都会は光り輝いていたが、南相馬周辺は暗かった」と語った。消費地元の東京を福島が支えてきた理不尽さ。「トリチウムを放出するなら、いっそのこと東京湾に放出しろ!」と、桜井前市長は被害地元の怒りを露わにした。
私は以前取材したことのある井戸川前双葉町長を思いだした。彼は政府の責任をトコトン追及して辞任に追いこまれた。桜井氏も前回選挙で落選。二人に共通するのは、正論を述べたために「潰された」ことだ。
◇原中勝征元日本医師会会長(元茨城県医師会会長)は子どもの甲状腺ガンが他県に比べて70倍も多い福島の実態に触れ、「因果関係はない」という政府の無責任ぶりを指摘した。
◇常陸農協の秋山組合長は「農民は保守的と言われるが、首都圏に食糧を供給する立場から原発の再稼働に反対するのは農業者として当然」と言い切った。
◇原自連(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟)の河合弘之弁護士は「今、国が亡びるかどうかの瀬戸際に立っている」と述べ、「万が一にも事故はあってはならない」「最も危険な東海第二は首都圏を壊滅させる」と警告した。
◇立地地元の村上・元東海村村長は原子力研究所誘致の顛末、軟弱地盤に原発を含め原子力関連施設が続々と建設され、東海村と茨城県が日本でも最も危険な地域になったことを紹介、国に騙されてきた無念を語った。
この他、東海村で福祉法人を経営している伏屋淑子さん、中島栄美浦村長、茨城県生協連会長の佐藤洋一さんらの挨拶は2時間に及び、集会参加者に感銘と勇気を与えた。

当日の模様は下記ユーチューブで見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=BJ-o53wlPAM
 小川仙月さんが挙げた三つの「地元」は、地域によって異なる原発との関わりを表現したものだが、このような「区分け」に異議を唱えたい。多額の助成金が落ちる「立地地元」、30キロ圏内は避難が必要という「被害地元」、電力の受益者である「消費地元」という区分けは、福島第一原発事故が明らかにしたそれぞれの地域の実態を明らかにはしたが、将来のことを考えるとこうした区分はあまり意味はない。東海第二原発を例にとるなら、事故が起きたら、関東・中部・東北のすべてが「被害地元」になるのは明らかだ。
原発の立地自治体に対して「命より金」を選んだなどと非難しても始まらない。同じように、地方の犠牲で都会が繁栄しているという見方も捨てた方がいい。
デモ行進中、二人の茨城県の人と話した。彼らは一様に県民の「保守性」を嘆き、他県の「無関心」に展望を失っているように感じられた。千葉から参加した私に「ごくろうさま」と言う必要はない。茨城県だけが「地元」ではない。首都圏すべてが「地元」という理解が必要だ。それは国内すべての原発についても言える。
土曜日の午後、千人を超すデモは水戸っ子たちを驚かせた。11月の再稼働期限まであとわずか。30キロ圏内の五市一村の同意がなければ再稼働できないところまで市民は追いつめた。周辺自治体の反対決議が相つぎ、東海第二原発は市民たちによって包囲された。

      20180906小原紘


<我孫子の朝鮮人虐殺事件の続き>
前回、関東大震災時に千葉県我孫子で遭難した朝鮮人のことを紹介したら反響があった。「知らなかった」と衝撃を語ってくれた我孫子市民祖母から聞いて知っていた人。事実を記録として残した『我孫子市史』を評価する感想もあった。市の歴史編纂に関わっている方からは「関係者の縁者が現存しているため」「事実関係のみを記述することになった」と市史編纂の苦労を聞くことができた。
自分の町の恥ずかしい事件を「通信」で取り上げたのは、知らなかった事実を知った衝撃を伝えたかったからだ。「通信」には書かなかったが、「市史」を読みながら関東一帯で繰り広げられた「朝鮮人狩り」全体を思い浮かべた。
何故、市民たちがあのような集団殺人に走ったのか。時代背景とそこから生まれた時代の空気のなかで、「自分だったらどうしただろうか」と自問した。歴史は自分と無関係ではない。客観性と科学性が求められるのは当然だが、現在と自分とのつながりの中で歴史を考える。単純に過去を称賛、断罪してすむことではない。

9月3日、我孫子駅頭でのスタンディングを終えた仲間と事件現場の八坂神社に立ち寄り、我孫子で虐殺された朝鮮人の慰霊をした。95年前の3日に事件は起きた。
私には狭い境内から悲鳴と喧騒が聞こえたように感じられた。
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack