2018.09.20 毅然とした時代批判に感動する 
  ―斎藤貴男『「明治礼賛」の正体』を読んで

半澤健市(元金融機関勤務)

《国策「明治150年」への果敢な反論》
 ジャーナリスト斎藤貴男(さいとう・たかお、1958~)による70頁の小冊子は
安倍晋三の「明治礼賛」論を粉砕する快作である。
本書『「明治礼賛」の正体』は三章で構成され、第1章では政府による「明治150年」の様々な「モノ・コト・ヒト」のプレゼンテーション―詳細はhttps://www.kantei.go.jp/jp/singi/meiji150/portal/torikumi.html―が、明治維新と日本近代を美化するプロパガンダであることを暴露する。しかし宣伝は殆どが周到に準備されている。たとえば、2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』、同年下期の連続テレビ小説『あさが来た』、18年の大河ドラマ『西郷どん』。読者も薄々は感じていた「明治礼賛」が計画的であることがわかる。

第2章は、安倍政権が目指すものは何かを論ずる。
安倍晋三は、明治維新に始まる日本近代を明るい時代と捉えている。「富国強兵・殖産興業」政策が、大日本帝国の滅亡に帰結したことには目を向けない。斎藤によれば、安倍晋三政権の目標は「21世紀版の富国強兵・殖産興業」である。

《インフラ輸出と自衛隊と財界》
 それは具体的に何を指すのか。最大のものは「インフラシステムの輸出」である。
「新興成長国群に対して、計画的な都市建設や鉄道、道路、電力網、通信網、ダム、水道などのインフラをコンサルティングの段階から設計、施工、資材の調達、完成後の運営・メンテナンスまでを〈官民一体〉の〈オールジャパン体制〉で受注し、てがけていく」。これがビジネスモデルである。
民主党政権時代にも同じ概念はあったし実行も始めた。安倍政権では、「インフラシステムの輸出」の中核に原発の輸出が位置づけられている。さらに安倍政権は「独自の要素」を組み入れた。「資源権益の獲得」と「在外邦人の安全」である。13年にアルジェリアの天然ガス精製プラントが武装勢力に襲撃され、殺害された40人の外国人労働者のなかに10人の日本人技術者がいた。「独自の要素」の付加の原因である。

この問題は自衛隊の行動の問題に収斂する。実際、13年11月の自衛隊法改正につながった。海外の日本人保護は、憲法解釈の通説「専守防衛」の範囲を超える。そこでプラント輸出のプレーヤーたる経済界は、2000年代はじめから自衛隊の権限拡大を提言していた。2017年には日本経団連会長が「平和憲法の精神を継続した上で自衛隊の存在意義を明確にすべきだ」と述べた。安倍首相がその三日前に『読売新聞』(17年5月3日・憲法記念日)で自衛隊の存在を明記した改正憲法を2020年に施行したい」と述べたのに続いたのである。

《「新帝国主義」でネオリベと安倍保守が握手》
 斎藤の筆鋒はさらに進む。財界の関心は少子高齢化の国内市場にはない。巨大企業は外需に活路を求める。まさに「オールジャパン」の「インフラ輸出」である。このモデルは「インフォーマル(非公式)な帝国主義」ではないか。「インフォーマルな帝国主義」は、国際関係論の用語だという。「ここにおいて、新自由主義と新保守主義は補完し合い、融合するのである」と書いている。「新保守主義」は「明治礼賛」の別名である。
2014年に施行された改正貿易保険法は「戦争やテロリスクへの対応」を盛り込んだ。14年4月には「防衛装備移転三原則」が決まった。平たく言えば「武器禁輸三原則」の廃止である。政府は武器輸出も貿易保険の対象としていく方針を決めている。
明治礼賛と新型「帝国主義」の関係がわかってきた。

《明治礼賛に潜む虚妄を暴く》
 第3章は、「明治礼賛」の虚構性について多くの事例で論証している。
日本資本主義は先進列強をモデルとして琉球を含むアジア諸地域を差別し侵略した。そのイデオローグとしての吉田松陰のアジア侵略論や、自由民権運動を貶めたり社会ダーウィニズムを擁護する福沢諭吉への批判は痛烈である。

松陰の『幽囚録』からは、侵略的な次の言葉を引いている。
■今急いで軍備をなし、そして軍艦や大砲がほぼ備われば、北海道を開墾し、諸藩主に土地を与えて統治させ、隙に乗じてカムチャツカ、オホーツクを奪い、琉球にもよく言い聞かせて日本の諸藩士と同じように幕府に参觀させるべきである。また朝鮮を攻め、古い昔のように日本に従わせ、北は満州から南は台湾・ルソンの諸島まで一手に収め、次第次第に進取の勢を示すべきである。(奈良本辰也編著講談社刊『吉田松陰著作選』の現代語訳)■

福沢の文章からは、自由民権論を批判する部分を引いている。空論批判の意であろう。
■唯一方に偏して天然論を唱るは、医者の有るを忘れて医術を廃せんとする者に等しきのみ。畢竟政法は悪人の為に設け、医術は病人の為に備るものなり。(中略)然ば則ち天然の民権論は、今日これを言ふも到底無益にし属して弁論を費すに足らず。故に我輩は、国に政府を立てゝ法律を設け、民事を理して軍備を厳にし、其一切の事務を処する為には大小の官吏を置き、其一切の費用を支弁する為には国税を納め、以て国内の安寧を求むるの説を説く者なり。(『時事小論』、1881=明治14年)

《オルタナティブとしての「新しい小日本主義」》
 斎藤は安倍の明治礼賛の背景を批判するだけではない。
彼は対案として「新しい小日本主義」を提示している。「小日本主義」のルーツを、幸徳秋水・安部磯雄・内村鑑三・三浦銕太郎らに求めながら、三浦らの考えが武力による膨張には異を唱えながら、他国の経済的支配を否定しなかった点を問題視する。経済成長は幸福のための有効な手段だが、日本ではつねに経済成長が「目的化」され、人権や生命が疎かにされた。真の成熟を基礎とした考えを、斎藤は「新しい小国主義」というのである。最近面談した作家井出孫六の戦中体験を引きながら小国主義の意義を強調している。

《ぶれない強さの衝撃》
 斎藤貴男の小冊子から私は意外なほどの衝撃を受けた。それは彼の原理主義、または理想主義の強さによる。腰がゆらいだメディア、社会全体の同調圧力、何があっても低下せぬ内閣支持率などによって、普段はその意識がなくても本書を読んで、私はおのれの思考軸がぶれていることを感じる。私は斎藤説のすべてには同意しないが、彼の立ち位置の強さに粛然とした。私はこの冊子から勇気をもらったのである。(2018/09/15)

斎藤貴男『「明治礼賛」の正体』、岩波ブックレット、2018年9月刊、580円プラス税
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