2018.10.05  強権が自ら踏みにじる「依法治国」
          ――大興区事件に見る習近平政治(上)
          新・管見中国(43)

田畑光永 (ジャーナリスト)

 昨年の秋も深まったころ、北京の一角で違法集合住宅から火災が起こり、その直後、広い範囲の建物が取り壊され、住民が追い出されたというニュースをご記憶だろうか。本ブログでも取り上げたが、あの件はその後どうなったか、という報告である。
―大興区事件―
 まず事の次第を振り返っておく――
 昨年11月18日の夜、北京の中心部から南へ20キロほどの北京市大興区新建村という場所で1件の火事が起きた。村といっても農地はほとんどなく、河北省など周辺の田舎から出稼ぎに来た人々が数多く住み着いた新興市街地である。その一角に建つ地上2階地下1階の雑居ビルから火が出て、地下の違法集合住宅に暮らす19人(うち8人が子供)が死亡した。地下には出入口が1か所しかなかったため、逃げ場を失って多くの人が犠牲となった。発生場所から一応「大興区事件」と名づける。
 翌日、北京市のトップ、つまり中国共産党北京市委員会の蔡(さい)奇(き)(サイキ)書記が「大調査、大整頓、大整理」との号令を発し(『毎日』17・12・6)、「区画丸ごと取壊し・住民強制立ち退き」が数日間のうちに北京市当局によって実行された。
 この祭奇という人物は習近平総書記が福建省、浙江省の幹部だった当時の部下で、杭州市長などを務め、習近平が中央でトップの座に就いた後、2014年3月に北京の中央国家安全委員会副主任という地位に移り、昨17年5月、平党員ながら北京市のトップに抜擢された。そして秋の党大会では中央委員候補、中央委員という幹部への階段を飛び越して、一気に最高指導部の中央政治局常務委員7人に次ぐ18人の中央政治局員の1人となった。習近平の長年の腹心と言っていい。
 私がこの件を知ったのは、香港メディアのニュースサイトで布団など家財道具を道端に積み上げて途方に暮れている人たちの写真を見た時だが、最初は事情がさっぱりわからなかった。それから報道によっておおよそのことを知り、昨年12月なかばに所用で北京に行く機会があって、現地を見ることが出来た。
 衝撃的な光景だった。建物の取り壊し現場というのは、雑然としているのは当然だが、加えてなにがなしもの寂しいものだ。しかし、そこに見えたものはもの寂しいどころではなく、大きな狂気が暴れまわった後に、それによって無残に打ち砕かれた人間の暮らしの体温がまだ残っている空間であった。私は実見したことはないが、市民を巻き込んだ激しい市街戦の直後、とでも言ったらいいだろうか。
 その印象はどうやら壊し方から生まれるようであった。壊すことより、人間を追い出すために壊したのであった。壊すのが目的なら、平屋だけでなく2階建て、3階建ても壊すはずだが、ちょっと頑丈そうなそういう建築物はガラス窓やドアを叩き割ったり、壊したりして、人が住めないようにして、次へ移るというふうにして、街全体を生々しい廃墟にしたのであった。
 そこには、この機をとらえてこの辺りに住む人間を一気に追い払ってしまおうという、取り壊しを命じた人間の固い意志が感じられた。
 それでは、その取り壊しと強制立ち退きの面積と人数はどれほどだったか。そこが肝心なのだが、じつははっきりしない。こんな荒業を働きながら、当局からは事件についての公式発表はなにもなかったからだ(私が気づかなかった報道がないとも言い切れないのだが)。
     強権が自ら踏みにじる「依法治国」
     取り壊し直後の現場(昨年12月)」

当時の日本国内への報道では、「数百メートル四方にわたり」(『読売』17・12・25)とか、「1キロメートル四方程度」(『毎日』17・12・26)とか、目分量による心もとない数字しかない。私の古巣のTBSの北京支局長に聞いても「700メートルかける500メートルという数字を聞いたことがある」という程度だった。
 私が見た時は、破壊から一か月近くが過ぎていたから、すでに周囲には青いトタン板の塀が張り巡らされていた。しかし、出入口や大きな隙間があったから、中を見ることはできた。数百メートル四方にせよ、1キロ四方にせよ、一望の廃墟となると、それはとてつもなく広く感じられた。
 そしてここで暮らしを立てていた人数は、となると、もともと出稼ぎの人たちが住み着いていたところだから、外の人間には判断のしようがない。当時の報道では「何万人もの出稼ぎ労働者」(『日経』17・11・29転載の英『フィナンシャル・タイムス』)、「一部メディアは10万人以上とも・・・」(『毎日』17・12・7)といった記述があるくらいである。
 それにしてもこれだけの破壊をするのに投じられたエネルギーはどれほどのものだったのか、そしてそれはなんのためだったのか、これ以外に方法はなかったのか・・・私の中で疑問符が堂々巡りした。
 勿論、この「暴挙」には憤激と同情の声が上がり、市民たちが「宿なし」となった人たちに宿所を紹介するネットワークを作ったり、当局に抗議したりという動きも伝えられたが、それも時と共にニュースから消えて、現在に至っている。
 昨年12月、現場を見て回っていた時に、私たちの前で車が止まった。男性1人、女性2人が降りてくるや、車内から大きな荷物を持ち出してトタン塀の反対側に立つ建物の間の路地に走りこんでいった。男性は寝具と思われる包みを背負っていた。
 それまで気が付かなかったのだが、破壊された地区と道一つ隔てて隣接する地区にも人の気配がなかった。そこの住人も立ち退かされたのである。取り壊しを免れた無人の建物が連なっていた。その無人地区の広さも知りようはない。
 しかし、走りこんでいった3人の行動は推測がつく。おそらく立ち退きを命令されて、とりあえずどこか知り合いのところにでも身を寄せていたのであろう。でもそうそう長くはいられない。元の住まいが無人のままになっていることを知って、切羽詰まってこっそり戻って来たとしか考えられない。逃げるような走り方がそう語っていた。
 その時はこの程度の見聞で引き上げるしかなかったが、その後も北京の中心部から目と鼻の先に出現したあの広大な廃墟がどうなったのか、どうなるのか気になっていた。
―現場再訪―
 8月末、旅行の帰途、北京で半日の時間ができたので、8か月ぶりに現地を再訪した。景色は一変していた。前回の青いトタン塀が灰色のコンクリートの塀になっていた。それも見るからに分厚く頑丈そうで、高さは2メートルほど、出入口とおぼしきところはあるが、しっかり閉まっていて、中の様子はうかがい知れない。内部でなにか作業が行われている気配は周囲を回ったかぎりでは全くなかった。
 でも、取り壊しの際に外壁や骨組みが残された2階建て、3階建ての建物は頭の部分がそのままの姿で外から見えるので、中の廃墟にはそれほどの変化はあるまいと思えた。
 火事の火元となった雑居ビルの場所に行ってみた。このビルは小さな四つ角の一隅をL字型に占めていて、火が出たのはその一端なのだが、意外なことに建物はそのまま残っていた。それならと火元の部分に近づこうとすると、なんとそこには踏切の遮断機のようなバーが道をさえぎっていて、初老のおじさんが見張っていた。
 ダメでもともと、同行の若い中国人が私のことを「遠くから来たのだから、ちょっとだけ見せてくれ」とかけあったら、なんとあっさりバーを上げてくれた。これが収穫をもたらした。その建物は以前のまま青いトタン板で囲まれていたが、それと新しいコンクリートの塀の間に隙間があり、外から肉眼では内部は見えないが、手を伸ばしてカメラを内部に入れて写真を撮ることができた。映った画面を見ると、なんとグリーンの地面!?、よく見ると瓦礫の上に一面、緑色の網がかぶせてあるのだった。
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  「あみが敷き詰められた現場(今年8月)」

 その意図は分からない。まさか瓦礫の山を緑の大地に見せかけようとしたのではなかろうが、とにかく網が敷き詰めてある。長大なコンクリート塀の建設といい、広大な網の敷き詰めといい、作業量は膨大だったはずであるが、要するに瓦礫を人目から遠ざけることに北京市はこの8か月間を費やしてきたことになる。
 火元の建物の壁には「この場所は監視されている」という脅しともとれる、防犯カメラの絵つきの警告ポスターが張られていた。
 戻ろうとして気が付いた。先ほどの遮断機のバーであるが、見渡してもそこの一か所にしかない。次の四つ角まではかなり距離があるが、その間にはなにもない。つまり反対側から入ってくる車も人も自由にバーのところまでやってくる。するとおじさんは当然のようにバーを上げる。
 双方向に通行できる道に1本だけバーを設けても何の意味もない。これもまた意図不明だ。あえて推測すれば、火元を見ようとする人は普通、建物が面した四つ角から来るだろうから、そこにバーを設けておけば、大体の人はあきらめて引き返すだろうという効果を狙ったのではあるまいか。反対側から来れば、自由に火元の前を通れるのだから、通してくれと言われれば通さない理由はない。なーんだ、それで私も通れたというわけだ。あらためてバーを見れば、本気で人を通さないつもりとは思えない、物干し竿程度のものであった。
 ところで、去年、家財道具を抱えて3人が駆け込んでいった無人地区はどうなったのか。火元と道一本挟んだだけで無人地区は始まる。
 ここはまた意外なことに、無人地区のはずがところどころに人がいる。去年は文字通り無人地区だったのに、通りに面して数は少ないながら店も開いている。飲食店が何軒か見えたし、衣料品店も開けていた。
 その衣料品店で話を聞いた。去年は急に立ち退けと言われて、店の商品をそのままにして、立ち退いたのだが、別に取り壊す様子もないので、大家さんの了解を得て在庫だけでも売りたいと思って、店を開けている。でもお客は来ない、ということだった。
 「大家さん」という言葉が出たが、住民に出稼ぎが多いということは、ほとんどが貸家、貸室の住民だったから、突然の取り壊し、立ち退き命令も出しやすかったのか、つまり大した抵抗はできまいという計算の上での強行だったのか、とすこし当局側の腹のうちがわかったような気がした。
 ところがそこに新しい住民もいた。がらんとした空き家に人の気配がするので、声をかけてみると、最近、引っ越してきたという女性だった。理由は家賃が安いから、という。そして水も電気も普通に使えるそうだ。
 なんだか狐につままれたような気分だった。もっとも「大家さん」には行き合わなかったから、彼らと当局との間に何らかの補償交渉のようなものがあったのかどうかも分からなかったが、すくなくとも借り手も要領をえないまま、その日その日を暮らしているという印象であった。おそらく無人地区も住民を追い出すことが目的で、その後についての計画なり、目算なりがあってのことではなかったようである。だからいったん住民を追い出して無人地区にしたところに人が住み着いても、当面、どうするというあてもないことから見逃しているのではなかろうか。
 以上が北京市大興区で起きた「区画丸ごと取壊し・住民強制立ち退き」事件現場の見聞報告である。何分短時間の見聞であるから、不十分かつ不明な点も多いことは自覚しているが、それでも現在の中国政治のありよう、習近平政治の特質といってもいいものが、この事件に色濃く映し出されていると思うので、以下にそれを記したい。(以下次回)
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