2018.10.17  40周年を迎えた読書サークル
    哲学者・古在由重の理念を実践し続けて

岩垂 弘 (ジャーナリスト)
  
 一般市民を会員とする読書サークルが、スタートから40周年を迎えた。どんな活動であっても、中断することことなく、ずっと40年も継続してきたというケースはまれ、と言っていいだろう。こうした長期にわたる活動を可能にした理由には様々な要因が考えられるが、決定的な要因は、この読書サークルの主宰者であった老哲学者の理念がサークル参加者の心を強くとらえ、老哲学者が亡くなった後も、参加者全員がその理念を引き継ぎ、実践してきたからだと思われる。

 9月8日、東京・内幸町の日本記者クラブ会議室で「版の会40周年を祝う集い」と称する会があった。主催は版(ばん)の会。同会の会員、会員OBら20数人が集まった。
   
 版の会とは、真下信一(1906年~1985年) が1977年に東京都内で始めた、一般市民を対象にした読書サークルである。真下は哲学者で、当時は名古屋大学名誉教授、多摩美術大学学長。読書会の会場が東京・四ツ谷駅近くの喫茶店「版」であったところから、サークル名を「版の会」とした。

 ところが、例会を数回行ったところで真下が病気になり、出席できなくなった。その時、真下に頼まれてサークルの主宰者を引き受けたのが、真下の親友の古在由重だった。1978年2月のことである。当時、76歳。
 古在はマルクス主義哲学を確立した哲学者と知られ、戦争中は治安維持法違反で逮捕され、拘禁された。戦後は、東京工業大学講師、専修大学教授、名古屋大学教授を務め、1965年に名古屋大学を定年退官した後は、ベトナム反戦運動や原水爆禁止運動などの大衆運動に積極的に加わった。そのかたわら、若い人たちを集めて「哲学サークル」や「古在ゼミ」を続けるなど、若い人たちを念頭に置いた教育に力を注いだ。
 
 真下から版の会を引き継いだ古在は、版の会を「哲学塾」と呼び、独自のやり方を発揮する。それがどんなものであったかは、版の会8周年を記念して刊行された版の会編の『コーヒータイムの哲学塾』(同時代社、1987年)をひもとくと、よく分かる。古在は同書の「まえがき」を書き、エッセイを寄せているが、それらの中でこう述べている。

 「人生とはなにか? 世間や社会や自然といわれているものはなにか? それらのうちにいきる人間の本質とはなにか? 歴史とはなにか? これらについては、たとえぼんやりしたものであっても、人はなんらかの観念あるいは疑問をもっているにちがいない」
 「人はいかに生くべきか? いまこの時代にあって、なにをなすべきか? はたらく者たちは、どんな階級的な哲学を身につけるべきか?」
 「この『哲学塾』はそのような展望のもとに成立した三〇人ほどの集まりにほかならない、しかもそれはコーヒーをのみながらの気楽な勉強会である」(以上、「まえがき」から)

 「喫茶店のあつまりでは、毎回なにかの古典をテクストとして、これを中心にみんなで話題をすすめてゆく。もちろん、わたし自身がしゃべる時間がながくなるけれど、なるべく参加者たちが意見や感想をのべる時間をのこしておく。(テクストを)えらぶのは参加者たちの運営にあたる人たちであり、それらのテクストはわたしの話のなかにでてきたもの、またはいま世間の話題になっているものがおおい」
 「『塾』の参加者は二〇人か三〇人にかぎることにしている」(以上、エッセイから) 

 当時の参加者によると、塾は月1回。塾の参加者は10代から70代までで、職業は中・高校生、大学生、サラリーマン、主婦、教員などだったという。『コーヒータイムの哲学塾』の巻末には、哲学塾で取り上げたテキスト一覧が掲載されているが、そこには、E・ノーマン、中江兆民、幸徳秋水、宮本百合子、福沢諭吉、カント、ルソー、トルストイ、ベルグソン、芥川龍之介、石川啄木、戸坂潤、丸山真男、三木清、加藤周一、小林多喜二、マルクス、エンゲルスらの作品が並ぶ。

 古在の、こうした哲学塾に対する理念と運営方針は、塾参加者たちの心をつかみ、塾参加者に受け入れられた。そして、塾参加者たちの間では、古在に対する信奉が高まった。とともに、塾参加者たちの読書熱は高まり、同時に人生や社会、世界や政治に対する考察も深まった。『コーヒータイムの哲学塾』には、塾参加者たちが、塾で取り上げた作品中の心に残った言葉をいくつか挙げ、それに対する感想やコメントを記しているが、それを読むと、それぞれが、読書という行為から何を学び、何を得たかが分かって興味深い。   
 ところが、古在は1990年3月に死去する。88歳だった。古在は12年間にわたって、版の会の主宰者を務めたことになる。
 これを機に「古在さんがいない読書会なんて意味がない」と、版の会を去った人も少なくなかった。が、残りの会員は会の続行を決め、以後、古在のやり方を踏襲しながら、例会を1度も中断することなく、ずっと続けてきた。会場は喫茶店が閉店したのであちこち転々としたが、昨年秋からは、東京・大塚の生協東京高齢協の会議室を借りている。
 現在の会員(参加者) は十数人である。テキストは、古典を取り上げることはまれで、憲法、経済、エネルギー、環境、国際、現代史などの分野のタイムリーな課題に迫った著書を取り上げることが多い。

 「版の会40周年を祝う集い」では、出席者全員が「版の会と私」というテーマでスピーチをした。
 ある男性OB会員は「当時、高校の教員をやっていたので、版の会で得た知識がとても役に立った。ベルグソンというフランスの哲学者を知ったのも版の会だった。それまでは、全く知らない人物だったから、すごく新鮮だった」と語った。
 女性のOB会員は「古在先生には実に多くのことを教えていただいたが、一番印象に残っているのは、先生が『民主主義とは、いちばん分かりやすく簡潔に言えば、人をばかにしないことだ』とおっしやったことです。この言葉は忘れられません」と話した。
 現役の女性会員も「古在さんには、世相の見方を教えてもらった」と語った。
 古在死去の後に会員になった元教員の女性は、こう話した。
 「会にはいろいろな考え方の人がいて、とても勉強になる。テキストにいろいろな本が取り上げられるので、それを読むと自身の人間の幅が広がるような気がする」

 世は、電子メディア全盛で、活字文化は衰退する一方だ。が、息の長い「版の会」の活動は、やりようによってはまだまだ活字文化も捨てたものではないと感じさせてくれるというものだ。

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