2018.10.19  ローソクでよみがえった「傷ついた龍の夢」
    韓国通信NO574

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 朝鮮半島が南と北に分断されてから70年。
 一触即発の危機的対立からは想像もできなかったことが現実になろうとしている。歴史的な融和、後戻りのない平和が実現しようとしている。韓国人の北朝鮮に対する感情には複雑なものがあるようだが、同じ民族として争いをしたくない、将来は統一すべきという国民感情、雰囲気は最大公約数として感じてきた。同族同士で血みどろの殺し合いをした経験のない日本人には想像ができない。それも好んで行った戦争ではなく、東西の「代理戦争」だったことは多くの韓国人が認めるところだ。
 38度線を境にした分断という現実から生まれた国家保安法の存在が韓国の民衆に重くのしかかっていた。休戦状態を前提に、政府は、政府に対する批判を北朝鮮、共産主義を賛美するものとして、つまり「利敵行為」として取り締まってきた。日本の治安維持法を下敷きにしたといわれる治安立法によって憲法に保障された人権は無力だった。
 1987年の民主化宣言以降も国家保安法は存続し続け、学問、芸術、政治活動、労働運動は北朝鮮の影に怯えてきた。北朝鮮との関連を指摘されただけで、個人も組織も社会から孤立を余儀なくされた。セウォル号事件の遺族らの抗議活動に対してすら、背後に北があるという噂が流布されたほどだ。
 笑い話に聞こえるが、国家保安法を理由に文大統領を「アカ」と主張する勢力さえいる。理屈からすれば、北朝鮮を敵視する法律が存在する以上、南北の融和は難しいはずだが、現実が既に法律を越えてしまった。注目の第三回南北首脳会談はソウルで予定されている。

 統一を望みながら帰郷を果たせなかった作曲家尹伊桑(ユン・イサン)(1917~1995)の夢と苦悩から韓国の将来を考えてみた。
ローソクでよみがえった「傷ついた龍の夢」

<祖国の統一を強く望んだ尹伊桑>
 南北分断は無数の悲劇を生んだ。生涯を音楽に捧げ、祖国統一の夢を追い続けた尹伊桑の人生も悲劇と波乱に満ちた人生そのものだった。日本と韓国、北朝鮮のはざまにあって苦悩、苦渋の連続だっただけに、私たちに多くのことを問いかけてくる。
尹伊桑は20世紀が生んだ世界的な作曲家として知られるが、国家保安法に違反した「北朝鮮スパイ」としても記憶されている。ドイツでKCIA(韓国中央情報部)によって拉致され(1967)、拷問による自白に追い込まれ、終身刑に。二審、三審で減刑され、拉致から2年後に「大統領特赦」によって釈放された(東ベルリン事件)。
 イーゼ・リンザー女史との対談『傷ついた龍』(1981、未来社刊)では生いたちから59歳までの人生を振り返り、そこで育まれた人生観と作曲に対する思いが詳しく語られている。

 拉致された時期、朴正熙政権は韓日条約反対の学生運動の高揚に危機感を強め、大統領再選へ向けて「人革党事件」をデッチあげるなど、反対勢力の弾圧に血筋をあげていた。自伝では、「はじめにスパイ事件ありき」という苛酷な拷問の実態と茶番劇のような裁判が語られている。ドイツを始め日本を含む全世界の音楽家から抗議の声が湧き起り、西ドイツ政府の抗議によって韓国政府は釈放せざるを得なくなった。
 1973年に起きた金大中拉致事件が日韓政府の「政治決着」によって、うやむやにされたのとは好対照だった。金大中拉致事件がKCIAによって引き起こされ、アメリカの関与が明らかになったが、ベルリンの拉致事件もアメリカの関与が示唆されているのは注目に値する。

 <日本敗戦、祖国解放を求めて>
 自伝では音楽芸術と東洋思想、さらに芸術と政治について語られている。何故、政治や社会に関心を深めていったのか。きっかけは屈辱的な日本の植民地支配への反発だった。彼は1919年に起きた3.1独立運動に対する苛酷な弾圧を周囲の人たちから聞いて育った。音楽を学ぶために日本へ。大阪で作曲法を学んだ。帰国後、祖国解放のためのパルチザン闘争にかかわった。それとは別件だったが、故郷、統営(トンヨン)の警察署で凄まじい拷問を受けた。
彼の母親は妊娠中に龍の夢を見た。吉兆と言われる龍は智異山の上空を傷を負って舞っていたという。彼は母親が夢に見たとおり、生涯二度にわたる拷問をうける「傷ついた龍」となった。

 <断ちがたい故郷への思い>
 釈放後も室内楽、交響曲、オペラ、声楽曲、器楽曲の作曲に取り組み、数多くの作品を残した。朝鮮の民俗音楽、中国の老子、荘子の思想などの東洋思想を土台にした前衛音楽はヨーロッパ音楽界で高い評価を得た。
体調を崩し、故郷統営への思いを募らせていた※頃、25年ぶりに帰国のチャンスが訪れた。1994年ソウルで開催された「尹伊桑音楽祭」に招かれたのである。
 当時は金大中氏とともに民主化闘争を闘った金泳三の「文民政権」だったこともあり帰国は十分可能と思われた。彼自身も故郷への思いを切々と大統領に書き送った。
 音楽を通して南北の融和を目指した尹伊桑には南も北も無かった。金日成との公然とした交友は知られているが、彼は「イデオロギーなしの祖国統一のための活動」と語っている。
 結局、彼の考えは理解されなかった。南北統一を公然と主張する尹伊桑に対する世論は冷たかった。文民政権はそれに気兼ねして、反省文の提出を求めた。反省する必要を認めなかったため帰国は認められなかった。(1994月刊『朝鮮日報』「尹伊桑からの二つの手紙」に詳しい)。失意のうち翌年11月3日、ベルリンで78才の生涯を閉じた。
 ※月刊『朝鮮日報』記事には「統営の海を眺めながら歌を歌うことが生涯の夢」と周囲の人に漏らし、『傷ついた龍』インタビューでも故郷への思いが切々と語られている。

 事件はKCIAによるデッチあげだったことを政府が認めたため名誉回復が実現した(2006年)が、死後も受難は続いた。
尹伊桑を記念する音楽ホールの名称にクレームがつき尹伊桑の名前が外された。そればかりではない。記念事業に国家情報院(元KCIA)が介入して、平壌にあった尹伊桑の胸像展示、東ベルリン事件関連資料の展示の妨害事件(2010/2/16『ハンギョレ』電子版)も起きた。
  「尹伊桑国際音楽コンクール」「尹伊桑平和財団」が設立されるなど、評価が高まってきた矢先、朴槿恵政権が極秘裏に作った「文化人ブラックリスト」に9千人を超す文化人とともに「尹伊桑平和財団」がリストに含まれていることが明らかになった。政府に批判的な人物に「アカ」というレッテルを張り、排除の対象としていたというから驚く。

 <ローソクとともに蘇った夢>
 参加者延べ人数1700万のローソクが朴槿恵政権を倒した。尹伊桑が目指したこと―世の中の不正をただすこと、平和な社会の実現という夢が、ローソクに引き継がれた。尹伊桑がめざした南北統一と平和がローソクとともに実現に向けて走り出した。
 統営に帰ることを強く望んだ尹伊桑の遺骨が今年、死後23年ぶりに帰国を果たした。希望通り「海が見下ろせ、波の音が聞こえる」統営国際音楽堂の裏庭に埋葬された。
 日本の植民地支配に抗い、軍事政権によって命まで奪われようとした尹伊桑の人生は悲劇的だった。死後も正当な評価を得られなかったことも不幸だったといえる。
  「生きることは死ぬことであり、死ぬことは生きることだ」と自伝で語っている。彼の祖国統一と平和な社会への思いは、彼が亡くなって蘇った。2017年、尹伊桑生誕100年記念コンサートが世界各地で開かれた。

 <尹伊桑との出会い>
 私の尹伊桑へのこだわり。26年前の1992年11月、東京・新宿で開かれた尹伊桑氏の講演を聞いたことから始まる。
同氏は、講演会の3年後に亡くなるとは想像できないほどお元気だった。ゆっくりした口調の中で選ばれた言葉が強く印象に残った。講演をメモ書きにしたものを目に通しただけで講演内容が声となって再現されていくようだった。前夜の夕食のメニューが思いだせないそまつな記憶力にもかかわらず、講演記録はたちどころに完成した。今でも声や表情まで昨日のことのように思いだされるのが不思議だ。
 記録を何人かの友人に読んでもらったが、日本人より韓国人に伝えるべきではないかと思った。講演を聴く機会がない韓国の友人たちに伝えるためには訳す他はない。当時、韓国語の勉強が面白くなり始めたばかりだったが、これほど長い韓国語の作文はしたことがない。「使命感」に燃えて翻訳に取り組んだ。

 完成した翻訳を当時の韓国語の先生だった姜玉楚さんに見せたら快く添削を引き受けてくれた。彼女は私の下手な韓国語を我慢しながらスペルの間違いと文法上の間違いを直してくれた。姜さんは帰国後、仁川の仁荷大の教授になった。その後も尹伊桑を主人公にした小説『蝶の夢』を送ってくれたり、資料を送ってくれた。
 完成した翻訳文を在日のピアニストハン・カヤ韓伽耶さん(ドイツフライブルク音大教授)にドイツに持って行き、ドイツにいた尹伊桑さんに読んでもらえないかと頼んだのも楽しい思い出だ。日本に帰ってきた彼女に「何か言ってた?」と質すと「笑ってましたよ」という答えが返ってきた。亡くなる一年くらい前のことだ。

 <井邑(チョンウブ)・内蔵山(ネジャンサン)・全州・統営への旅>
 今月23日から一週間の予定で韓国旅行を計画している。
 統営は韓国の作家として著名なパク・キョン朴景の故郷でもある。代表作である小説『土地』の舞台は統営周辺であり、東学の影響を受けた人と地域について語られ、日本植民地下での独立運動と農民たちの生活がテーマとなっている。
小説は全10巻だが翻訳は5巻までしか完成していない。仕方なく後半部分は韓国のドラマ『名家の娘ソヒ』で見た。これがまた長い。全て見るには52時間かかる超長編ドラマだ。光復60年記念番組として2005年に放映された。没落した両斑とその子孫。日本の警察官として「不逞鮮人」狩りに執念を燃やす朝鮮人、独立運動家、身分制度に苦しむ庶民、男女の愛情、親子の葛藤、資産家、権力者、日本人が登場する。
 統営にはかつて三道水軍統制営が設置され、そこを拠点に李舜臣将軍が豊臣軍と戦った。それが地名発祥の由来になっている。現在は東洋の「ナポリ」といわれるリゾートという一面を持つ。韓国の三大紅葉名所地のひとつ内蔵山観光も含め観光地統営への期待もふくらむ。

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