2018.11.13 続・続からくにの記 (その2) 2018.10.23~10.30
韓国通信NO578
       
小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 「内蔵山(ネージャンサン)の紅葉は最高。気をつけてイッテラッシャーイ」。ホテルから乗ったタクシー運転手の声に送られ、私たちはソウル龍山(ヨンサン)駅から新幹線KTXに乗り込んだ。
 井邑(チョンウプ)駅で下車。まず目指したのはその日に泊るモーテルだった。(写真は井邑駅前広場、左の銅像は全琫準)
韓国通信578(1)

<モーテルに泊まったワケ>
 そのモーテルに泊まるのには訳があった。二年前、東学農民戦争の戦跡めぐりで、全羅北道の井邑(ジョンウプ)、古阜(コブ)を訪ねたことがある。 
 一帯は東学農民軍の総大将、全琫準(チョンボンジュン)が蜂起した地として知られる。帰りがけに「事件」が起きた。 
 モーテルにカメラを忘れ、青くなった。木浦行き電車の発車までいくらもない。そこへモーテルの主人が息を弾ませてカメラを持って駅に現れた。バスターミナルで探したが見つからないので駅までやってきたという。
 どんなに嬉しく、あり難かったことか! いつか井邑に行くことがあればお礼を言いたい。その機会がやってきたのだ。モーテルの窓口で二年前の「事件」を話し、お土産を差し出すとモーテルの奥さんは目を丸くした。その後、カメラを届けてくれたご主人とも会え、直接お礼をいうことができた。チェックアウトの時間を聞いたら、「何時でも構わない」と破格の便宜をはかってくれたうえ、客室にたくさんの柿と自家栽培した覆盆子(トックリイチゴ)のジュースまで差し入れしてくれた。

<韓国の旅館事情>
 モーテルはその名のとおり、ドライバーが泊まる宿泊施設で日本と同じ。(写真は宿泊したモーテル)
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 日本のモーテルに泊まったことはないので、日韓の違いはわからないが、韓国のモーテルには例外なく温泉マークが付いている。それも飛び切り大きなマークなので目につきやすい。夜になるとネオンが光り、一層存在感を増す。
 モーテルはラブホテルと考えられるが、一般客も利用しているようなのでこれまで何回か利用した。このほか「荘(チャン)」「旅館(ヨガン)」という宿泊施設もあるが最近はあまり見かけなった。
 モーテルの設備はホテルとあまり変わらないうえ料金がとても安い。
 最近は「チムチルバン」というオールナイトのよいんサウナに泊まる旅行客もいるらしい。ザコ寝だが設備もそこそこ、千円内外で泊まれるので意外な穴場かも知れない。
 あなどれないものに「旅人宿(ヨインスク)」というのがある。掘っ立て小屋のイメージ、相部屋の宿泊施設で、とても安いらしい。一度泊まってみたいと思っているがいまだに「夢」は果たせないでいる。
 紅葉観光にモーテルに泊まることに妻が何というだろうかと心配したが、私の事情を聞いて納得してくれた。特別室が一室6万ウォン(6千円)という。ためらわず特別室にした。
 部屋もバスルームも広く、清潔そのもの。驚いたことは大きなテレビがあったこと。2年前はタバコが吸えたのに今回は灰皿がなくなっていた。荷物を置いて早速、内蔵山観光に出かけた。

<ああ内蔵山>
 内蔵山は紅葉のシーズン、韓国中から観光客が集まる一大景勝地だ。日本で発行されている韓国旅行のガイドブックにも紹介されているが、ソウルや釜山から離れているせいか、短期間の外国人旅行者からは敬遠されているようだ。
 井邑市内からバスで30分、下車したあたりは食堂、土産物屋が軒を連ね、平日だというのにかなりの人出だ。

韓国通信578(3)

 腹ごしらえをすまして「登山」に向かう。ゆるやかな上り坂、紅葉の中を縫うように散策路が続く。まだ紅葉していない葉もあるが、それで十分と思われるほど、人の顔まで紅く見える。
 今日も快晴。木々の合い間から見える青空が紅葉を一層引き立てる。道に沿って流れる小川のところどころが段差となって水しぶきをあげ、水たまりには上流から流れついた紅葉が織布のように浮かんでいる。
 帰りのバスの時間が気になったが、とにかく行けるところまで行ってみようと歩き続けた。この景色のなかに出来るだけ長く留まりたかった。池に浮かぶ美しい観覧亭を眺めながら、やがてケーブルカー乗り場に着いた。ここまで来たら山頂まで行くしかない。乗車待ちする列の後に続いた。山頂駅に着くとそこからさらに展望台まで100メートル歩かなければならないことを知り、思わず疲れた足をさすった。展望台から見た景色は山頂の絶壁あたりを除いて、まさに全山紅葉、「織りなす綾錦」とはこのようなものかと見惚れた。
 紅葉の美しさに見とれはしたが、今回の旅行のもうひとつのテーマ、東学農民戦争を忘れたわけではない。
(写真は井邑 緑豆(ノクト)記念館前庭にある無名東学農民軍慰霊碑)
韓国通信578(4)

 井邑の古阜(コブ)は東学農民戦争発祥の地。全羅南北道と慶尚南道一帯で、農民軍は日本軍と朝鮮政府軍を相手に死闘を繰り広げた。
 韓国の人たちに脈々と受け継がれている東学の思想、「平等」、「民本」、「相互扶助」という理想社会の実現を目ざして戦い、そして敗れた地である。
 第二次農民戦争(1894年10月~95年1月)では南北農民軍が論山(ノンサン)(忠清南道)で合流、ソウルを目指し北上したが、多数の死者を出して敗走した。農民側の死者は日清戦争における日本側の死者(1万3千人)よりはるかに多い3万人以上、負傷者は30万人~40万人と推定されている。
 全琫準は現在の井邑から内蔵山を経て、盟友、金開南(キムゲナム)とともに再興を図ったが、94年12月に全羅北道淳昌(スンチャン)で捕えられ、翌年、日本軍によって絞首刑となった。侵略軍に果敢に抵抗を挑んだ全琫準は日本にとっては「乱」を起こした「賊軍」の大将だが、韓国では祖国のために戦った英雄として記憶され、語り継がれている。
 帰途、薄ら寒くなった夕暮れの道を歩きながら、どこからか農民軍の足音、叫び声が聞こえたような気がした。

 未曽有の死者を出した戦争は、宣戦布告なしで「皆殺し」を狙った虐殺事件だった。異常なのは日本軍の死者がゼロまたは1名と言われていることからわかるように、まるで「赤子の首を絞める」ような戦争だったことだ。日本軍の近代兵器に対して素手同然の戦いだったから当然の結末と言える。近年、日韓両国で東学農民戦争の研究が進んでいる。だが日本人の関心は薄く、歴史教科書に記された日清戦争前夜に起きた「東学党の乱」を記憶する水準にとどまっている。

 夜、町を歩いていたら「少女像」に出合った。銅像の横の椅子に腰かけて女性たちが記念撮影をしていた。説明板には日本軍によって慰安婦にさせられた少女の訴えが刻まれていた。
 井邑のある全羅北道は韓国屈指の牛の産地として、また豊富な野菜の生産地として知られる。肉と野菜たっぷりの食事に徒歩5時間。体調はすこぶる良い。
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