2008.08.22 靖国神社・2008年夏
―戦没者慰霊のあり方を考えた8月15日―
半澤健市 (元金融機関勤務)


《「靖国フィールドワーク」への参加》
 8月15日に3人で3つの戦争慰霊施設を訪ねた。
3施設とは、靖国神社・遊就館、千鳥ヶ淵戦没者墓園、東京都慰霊堂である。
3人とは、人類学者K先生、広島からきた企業勤めの女性、私(半澤)である。
K先生の「靖国フィールドワーク」は、毎年8月15日における3施設の定点観測であり、戦争と慰霊を考える「年課」である。今年、私はそれに参加する機会をえた。

午前9時過ぎ、地下鉄「九段下」駅から靖国神社の境内まで、炎天下の路上は、ビラ配りと署名勧誘の人々で一杯である。警官も方々に配置されている。私が受け取った印刷物のメッセージと配布団体を順不同に並べると次の通りである。

・帝国陸海軍軍楽隊大演奏会・軍装会        大東亜戦争記録保存会
・西村塾(西村真悟塾長)                日本再生同志の会・西村塾
・「1000万人移民」にNO!国民集会         国民集会実行委員会
・第五四回靖国神社清掃奉仕のお知らせ       靖国神社清掃奉仕有志の会
・「跪中」首相は即刻退場せよ!!           国民行動事務局
・『軍命令説』は真っ赤な嘘!            沖縄集団自決免罪訴訟を支援する会
・ゼッタイ反対!外国人参政権          外国人参政権に反対する会全国協議会
・南京大虐殺?それでも日本は黙っているのか    映画「南京の真実」製作委員会
・教育勅語の復活で日本を救おう             教育勅語運動事務局
・在日台湾人への「中国」国籍押し付けを許すな!  日本李登輝友の会
・人間を悪くする中国共産党               任意団体・イリハム応援団
・人権抑圧、人命軽視の反対デモ             「日本ウイグル協会」
・「台湾」は「中国」ではない!!             台湾出身戦没者慰霊の会
・「歴史直視し補償を」(東京新聞08年3月14日記事コピー)   配布者不明

約10分間の歩行中に手にしたビラである。貰い損ねたのも沢山あると思う。殆どがナショナリスティックな立場からの発声であるがカレントな国際問題への呼びかけも多い。東京新聞のコピー配布だけは立場が違うようである。
靖国神社境内に入る。観光バスと参拝者が溢れていたが、ドキュメンタリー映画『靖国YASUKUNI』(http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-388.html#more)に出てきたような旧軍の服装をした高齢者や異様な風体の若者は殆ど見なかった。

《首相の参拝には反対だが私は参拝する》
 天皇のためには死にたくないと思いつつ死んだ兵士がいる。天皇のために死ぬことを疑わず死んだ兵士がいる。私はそういう兵士を顕彰しない。それでも私はそういう死者に鎮魂、哀悼の気持を捧げる。もちろんそれは私の主観だ。それは靖国のイデオロギーに同意しているという人に、私は「客観的にはその通りでしょう」と答える。
天皇の戦争の死者を顕彰する神社に参拝しない。それも一つの思想の表現と行動だと思う。しかし私が敢えて問いたいのは、そういう人々はどのように死んだ兵士に向かうのかという一点である。

修復した「零式艦上戦闘機」前に集合した3人は、1人800円を払って戦争博物館である「遊就館」に入る。ここでは1945年8月で時間が止まっている。ここには戦後という空間が存在しない。戦中がズルズルベッタリに現在に連続している。展示全体を支配する皇国史観、「大東亜戦争」史観は少しも揺らいでいない。2002年に、初めて見た改装後の展示から受けた衝撃を、私は忘れることができない。6年前のその時、私はその展示空間に驚愕し動揺したのであった。私は、日本海海戦勝利の実写付き説明に感動し、特攻兵器「回天」が意外に大きいのに驚き、「命(みこと)」になった兵士の写真に思わず涙がでた。皆、良い顔をしている。同時に私は「戦争の剥製」のような展示に欺瞞も感じた。しかし今度、私はもうそのように感ずることはない。全体に衝撃を感じないのである。人間の慣れは恐いものだと思う。

《「千鳥ヶ淵戦没者墓園」と「東京都慰霊堂」》
 「千鳥ヶ淵戦没者墓園」は小さな建物であるが靖国神社の喧噪に比べれば無名戦士を慰霊するのに適切な静けさと空間があり参拝者の表情にも落ち着きが感じられた。30数万柱の遺骨が納められている。「内閣総理大臣福田康夫」と「天皇皇后両陛下」の献花があった。我々も菊一輪の献花をして黙祷した。スキンヘッドを含む右翼のご一統とわかる20名ほどの一団が参拝していた。

両国駅に近い横網町公園にある「東京都慰霊堂」を終戦の日に訪ねる人は少ない。
最初は震災記念堂として出来た。記念堂は、1923年の関東大震災で多くの犠牲者が出た元被服廠あとに、1930年に建立されたもので、建築家伊東忠太による和洋折衷の不思議なデザインの大きな建物である。戦後の51年に東京空襲の身元不明犠牲者を合祀するに際して東京都慰霊堂と改称した。慰霊堂に向かって右前方に、「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」がある。1951年に造られた。傾斜した扇型の花壇をもつ円形のスタジアムを小型化したようなデザインの建造物である。納骨堂がある。「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」、二つの災害の記録や残留品を展示した2階建の「東京都復興記念会館」(1931年建設)もある。

天井の高い記念堂の両壁に大震災の記録画と東京空襲の写真が掲出されている。折り重なるような形で多数の死体が写っている。母子の黒こげ死体が痛ましい。焼夷弾による無差別爆撃はホロコーストであった。特に45年3月10日の大空襲は10万人の死者を出したとされる。私の両親はこの夜、お茶の水駅近くで小さな商店を失った。敗戦直前の8月1日に、焼け出された両親は、私と共に東京西郊八王子市の空襲で再び住まいを失った。8月4日に撮した八王子空襲の写真が2枚展示されている。その夜に死んだかも知れない私は無言でそれを見続けた。

ここでは大法要が3月10日と9月1日に行われる。関東大震災と東京空襲の犠牲者は一括して「遭難者」と呼ばれている。性格の異なる犠牲者を一緒に追悼するから論理がぼやける。東京空襲の遺族であるK先生は、3月は空襲犠牲者、9月は震災犠牲者と、法要の性格を明確にせよと主催者の東京都に何度も申し入れたが反応は鈍いという。

《戦争と慰霊を逃げまくった戦後》
 巡礼が終わってビールを飲みながら3人は長時間、戦争と慰霊について話し合った。私の感想だけ記しておく。 

遊就館の展示を私は剥製と感じる。それは何故だろうか。靖国神社遊就館の展示には死体が一つもないからである。戊辰戦争以降の天皇の戦争では死体を見せてはならないのであろうか。彼らは神となった。彼らは「命」になったのだから、死者ではないのだろう。天皇の戦争には死者のいない物語が必要なのであろう。

慰霊3施設を巡って感じたことは、「靖国神社の強さ」よりも「戦後民主主義のひ弱さ」である。靖国神社は、本来「天皇の戦争」という弱さを負っているのである。しかし戦後民主主義は「天皇の戦争」を「国民のための戦争」とは異なるものである、という認識に至ることができなかった。私自身の「主観的な」参拝理由もその一例である。

戦後民主主義は、戦争の本質規定と戦死者の意味づけから逃げまくったのだと思う。
そんなことはない。ひとは「帝国主義戦争」、「侵略戦争」という明快な本質規定があったというであろう。しかしそうであればなぜ次のような事態が起こったのか。

日本国民は310万人の死者を出した「大東亜戦争」の戦争責任者をただ一人も、ただ一度も、日本国民の名前において裁いたことがない。弾劾したこともない。それどころか名指したことすらないのだ。それは我々が、あの戦争の正否についても、自分で決定的な判断をしていないのと同義ではないのだろうか。
Comment
興味深く読ませて頂きました。靖国神社以外の2つの施設については、これまでその存在すら知りませんでした。長年東京で暮らした者として恥ずかしい。「日本国民は310万人の死者を出した大東亜戦争の戦争責任者をただ一人も、ただ一度も、日本国民の名前において裁いたことがない」という事実が風化しない前に国民に徹底すべきでしょう。マスコミ頑張ってほしい。と同時に「焼夷弾による無差別爆撃というホロコースト」を63年前に日本で実行し、更にはヴェトナム、イラクで同様なホロコーストを平気でやっている米国を世界の大国は何処も裁こうとしない、それどころかこれらの虐殺行為を国民の血税で支援している日本の政府は何を考えているのかと言いたい。おかしな方向に反れてしまい済みません。
戸松孝夫 (URL) 2008/08/23 Sat 11:25 [ Edit ]
戸松孝夫様
コメント有り難うございました。お説に賛成です。ちっとも「おかしな方向に反れて」いないと思います。日本政府は原爆投下を含む日本空襲の米第21爆撃集団司令官カーチス・ルメイに勲一等旭日大綬賞まで贈っています。池田内閣時代の1964年で、小泉純也防衛庁長官(純一郎の父)、源田実元航空幕僚長の推薦によるものといわれています。ご存じと思いますが念のため。
半澤健市 (URL) 2008/08/30 Sat 01:02 [ Edit ]
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