2018.12.06 続・続からくにの記 (最終章) 2018.10.23~10.30
韓国通信NO584

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

釜山からソウルへ。夕方明洞にある世宗(セジョン)ホテルに到着した。
韓国の友人を誘い、近くの焼き肉店で夕食をともにした。韓国では牛肉より豚肉のほうに人気があるようで、2008年の「米国産牛肉輸入反対運動」以降、その傾向が強くなった印象がある。豚の焼き肉は焼酎によく合い、仕上げの冷麺も最高だった。
友人とは彼の日本留学時代に知り合った。私がソウルに留学してからは、家族ぐるみの付き合いを続けている。学生だった彼も54歳になった。
彼は労働運動や市民運動とは無縁なノンポリ人間だが、韓国社会について市民感覚で話してくれるのがうれしい。子供を連れてローソクデモにも参加したという。
韓国は大統領の再選が禁止されている。次期大統領の有力候補は誰か。彼は真っ先に現、国務総理(首相)の李洛淵(イナギョン)の名前を挙げた。国民からの信頼が厚く、現大統領に劣らない魅力的な人物らしい。日本では存在は余り知られていないが、注目すべき人物かも知れない。

<南山>
南山(ナムサン)はソウル旧市街の南にある300メートル足らずの山。南山タワーは市内で何処からでも見える、いわばランドマークタワーだ。タワーの展望台からは市内が手にとるように一望できるので訪れた方も多いはず。頂上まではバスでもケーブルでも行けるが、途中に公園や朝鮮神宮跡があるので歩いて登ることをおすすめしたい。 
南山
日本統治時代、朝鮮総督府は天照大御神と明治天皇を祀った神宮を造営して参拝を奨励した。「言葉」と「名前」まで奪った皇民化政策は「心」まで奪おうとした。その証拠がここ南山にある。
南山には観光地としての顔のほかに、別のイメージがある。それは1960年代から私が持ち続けてきた「恐怖」のイメージである。

国家中央情報部KCIA
作曲家尹伊桑は西ドイツで拉致され南山の「国家中央情報部」(略称KCIA)に連行された。北朝鮮のスパイだと自白するよう拷問を受け、九死に一生を得たと詳細に語っている(『傷ついた龍』第5章「拉致」)。
朴正熙軍事政権発足後、北朝鮮の工作員摘発を目的に作られたKCIAは、社会の隅々まで情報網をめぐらして国民監視を行い、国民から恐れられた。弾圧事件のほとんどはデッチあげ事件で、多くの市民が無実の罪で死刑、あるいは投獄された。「人民革命事件」(1965)、「金大中拉致事件」(1973)、「民青学連事件」(1974)、「学園浸透スパイ団事件」(1975)など枚挙にいとまがない。日本人も在日韓国人にも累が及び、逮捕され、獄中に送られた。「ナムサン」は恐怖の代名詞だった。
1987年、金浦空港で初めて入国審査を受けた時の緊張感は、いまだに忘れられない。たいした活動はしていなかったが、金大中事件への抗議活動、全斗愌大統領訪日反対の活動で、私もマークされている可能性があった。当時、入国を拒否され、とんぼ返りする人も少なくなかった。
1987年の「民主化宣言」以降、中央情報部は国家安全企画部、さらに国家情報院と名を変え、私の恐怖の記憶は薄れていった。

しかし南山タワーに登るたび、南山公園を散歩するたび、南山=KCIAの記憶が全く消えたわけではなかった。
宿泊した世宗ホテルから南山が正面に見える。いまわしいKCIAの建物は、組織とともに解体され、無くなったとばかり思っていた。今回の旅行を前にして、ホテルから歩いていける場所にあるソウル・ユースホステルがKCIA本部だったことを知った。 驚いたことは 1910年8月29日に締結された日韓併合条約は、南山の麓にあった当時の統監官邸で行われたこと、その統監官邸の横に後年、中央情報部のビルが建設されたこともわかった。
旅行の最終日、朝の散歩がてらにユースホステルを探しに出かけた。公園を散策している人に道をたずね目的地を探し出した。ユースホステルの正面に「元中央情報部の建物」と書かれた石碑があった。本館の中に入ると、受付ロビーで若者たちが出かける準備をしていた。「ああ、ここが!」。安い宿泊料金で泊まれる若者のための宿泊施設がKCIAの本部だった。
ユースホステル
<写真上/ソウル・ユースホステル>

KCIA.jpg
ユースホステルの石碑(写真上)には―<旧中央情報部本館>
「南山一帯は、久しく出入り禁止の空間でした。山を市民のもとに返し、人権侵害の象徴だった この建物の標石で『人権の郵便函※』を作りました」
 ソウル市は昨年から付属建物を利用してKCIAの取調室、拷問室を、歴史から学ぶ場として復元展示、さらに周辺を「人権・平和の森」に指定して、教育施設として活用している。恐怖の南山が、人権と平和を学ぶ場に生まれ変わっていた! ※「人権の郵便函」 人権問題について投書する函

旧KCIA本館から徒歩で仁寺洞へ。仁寺洞を原宿の「竹下通り」にたとえる人もいるが、もともとは宮殿に近く、筆、墨、紙、陶器などを売る店が立ち並んでいたのが「通り」の起こりらしい。近年、観光客を相手に「観光みやげ店」「食べ物屋」が増加、さらに多くの観光客で賑わうようになった。
荷物を取りに戻ったホテルの前で座り込みをしている労働者に会った。「解雇撤回」と経営者の「退陣」求める看板を掲げていた。正社員2名と非正規職員1名が解雇された。しばらく立ち話をして別れた。「ガンバレ!」「ありがとう!」。
帰国後、世宗ホテルの「口コミ」を書かないかという案内がきたので、ためらうことなく、以下の文章を送った。解雇労働者への「エール」。ホテルの経営者と従業員に読んで欲しかった。
口コミ

<世宗ホテルへの「口コミ」>

4.0まあまあ(評価点)  タイトル―"従業員を泣かせないで"

「ソウルを代表する老舗ホテルと思い、これまで数回利用してきた。老朽は覚悟していたが室内も通路もとても美しく清潔感溢れるものに蘇っていた。ところが、浴室に髭剃りが無いのに気づき持ってきてもらったところ態度がとてもぞんざいなことから始まり、職員全体に活気がないことに気づいた。これまでの世宗にない違和感を覚えた。現在三人の解雇者を出し労使紛争中だった。経営者の私物化、労働条件の悪さによって職員のモラル低下を招いているようだ。門前で抗議活動をしていた解雇労働者から聞いた話だ。頷ける話だ。争議の一日も早い解決と、かつてのような明るい職場を取り戻してほしい。世宗ファンとしての希望である」<投稿文>
 誹謗中傷の類は掲載されないようだが、「品のいい」私の評価はHotels.comで「適正」と評価され、そのまま採用され掲載されている。

「続・続からくにの記」は今回で最終章を迎えた。フィナーレは感動的に終わらせたかったが、何ということはない、7泊8日の旅はこのように普通に終わり、私も日常生活に戻った。

<日韓関係は最悪に?>
 のんびりと旅行記を書いている間に、日韓関係が最悪になったとテレビも新聞も口を揃えた。29日にも三菱重工に対して慰謝料支払いを命じる最高裁の判決がでた。日本政府は前回同様に「国際法違反」と主張を繰り返し、対抗手段をとることを明らかにした。
被告の新日鉄、三菱重工の責任が問われた裁判。だが政府は1965年の日韓条約をタテに判決は不当だと主張。しかし個人の請求は消滅していないという日本政府のこれまでの見解からは(11月14日の衆議院外務委員会の穀田議員の追及で河野外相も追認した)、判決に異議を唱える立場にはない。マスコミが政府の主張をなぞるように「翼賛」したことも異常だ。韓国最高裁の決定を覆すよう日本政府が韓国政府に求めることは常識では考え難い。わが国の司法判決は外国政府の抗議で変えられるものではない。徴用、強制動員による加害者としての自覚がない二つの企業をかばい、代わって日本政府が恫喝すれば慰謝料を支払わなくても済むとでも思っているのか。韓国に対する「傲慢」「驕慢」ぶりが見える。日韓関係を最悪にした犯人は誰だ。

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