2008.08.31
バカンスの過ごし方
日仏を比較してみると
「バカンス」(vacance)と言えば「夏休み」。元はれっきとしたフランス語だが、今や完全に日本語化している。戦後しばらくの間は「アベック」や「アプレ」というフランス語が日本語として通用していたが、最近では廃れてしまった。お若い方々に念のため解説すると、「アベック」は今の「カップル」つまり男女二人組を意味する。本来のアベック(avec)は英語のwithに相当する前置詞で「…と一緒に」を意味する言葉だ。
戦時中の日本では若い男女二人が歩く姿を往来で見かけることなどはなかった。夫婦でさえ、妻は夫の後を3歩下がって歩くべしというふうな窮屈な時代だった。戦後米軍の占領下に入っとたん、日本でもアメリカ映画のように若い男女が往来を手を組んで歩くのが「カッコイイ」ことになった。戦時中の日本では敵性語として英語が禁じられていた反動もあって、戦後は英語全盛時代に入ったのだが、なぜか英語の「カップル」(couple)ではなく、アベックが定着した。フランス語の方が「新風俗」を「カッコヨク」表現すると思われたのかもしれない。
「アプレ」は「アプレゲール」(apr s-guerre)「戦後派」を日本流に略した言い方である。apr sは英語のafterに相当する前置詞で、「…の後で」という意味だ。guerreは戦争であり、apr s-guerreは本来「戦後」という意味だが、転じて「戦後派」の意味でも使われた。戦時中の窮屈な時代から解放された若者たちの生き方を、年輩者は「アプレ」と呼んだものだ。そこには「無軌道者」と言いたいニュアンスが込められていたように思う。「アプレゲール、アキレケール」という語呂合わせが流行ったこともあった。
閑話休題。バカンスの語源vacanceは本来「空白」という意味だ。英語のvacancyに相当する。vacancyには「休暇」の意味はなく、英語では「休暇」にvacationという派生語を使っている。ところで、今ではフランスでもvacanceと言えば「休暇」のことだ。仏語辞典を引いてみても、vacanceの意味は第一に「休暇」であって「空白」「空席」「欠員」「空虚」などの意味は付け足しのように書かれてある。しかし1930年代までは「休暇」の意味は一般的ではなかった。
伊藤力司 (ジャーナリスト)
「バカンス」(vacance)と言えば「夏休み」。元はれっきとしたフランス語だが、今や完全に日本語化している。戦後しばらくの間は「アベック」や「アプレ」というフランス語が日本語として通用していたが、最近では廃れてしまった。お若い方々に念のため解説すると、「アベック」は今の「カップル」つまり男女二人組を意味する。本来のアベック(avec)は英語のwithに相当する前置詞で「…と一緒に」を意味する言葉だ。
戦時中の日本では若い男女二人が歩く姿を往来で見かけることなどはなかった。夫婦でさえ、妻は夫の後を3歩下がって歩くべしというふうな窮屈な時代だった。戦後米軍の占領下に入っとたん、日本でもアメリカ映画のように若い男女が往来を手を組んで歩くのが「カッコイイ」ことになった。戦時中の日本では敵性語として英語が禁じられていた反動もあって、戦後は英語全盛時代に入ったのだが、なぜか英語の「カップル」(couple)ではなく、アベックが定着した。フランス語の方が「新風俗」を「カッコヨク」表現すると思われたのかもしれない。
「アプレ」は「アプレゲール」(apr s-guerre)「戦後派」を日本流に略した言い方である。apr sは英語のafterに相当する前置詞で、「…の後で」という意味だ。guerreは戦争であり、apr s-guerreは本来「戦後」という意味だが、転じて「戦後派」の意味でも使われた。戦時中の窮屈な時代から解放された若者たちの生き方を、年輩者は「アプレ」と呼んだものだ。そこには「無軌道者」と言いたいニュアンスが込められていたように思う。「アプレゲール、アキレケール」という語呂合わせが流行ったこともあった。
閑話休題。バカンスの語源vacanceは本来「空白」という意味だ。英語のvacancyに相当する。vacancyには「休暇」の意味はなく、英語では「休暇」にvacationという派生語を使っている。ところで、今ではフランスでもvacanceと言えば「休暇」のことだ。仏語辞典を引いてみても、vacanceの意味は第一に「休暇」であって「空白」「空席」「欠員」「空虚」などの意味は付け足しのように書かれてある。しかし1930年代までは「休暇」の意味は一般的ではなかった。
というのはバカンス大国フランスでも、1930年代にはバカンスに行ける人は上流階級に限られていたからだ。それがフランスでは1934年に誕生した初の左派政権、レオン・ブルム首相による「人民戦線政府」が、労働者にも年間に4週間の有給休暇を与えなければならないという法律を制定したのである。しかし1939年9月、ヒトラーのポーランド侵攻に始まった第2次世界大戦の勃発で人民戦線は消し飛び、1940年6月フランスはドイツに降伏、4週間の年休制度も破棄された。しかしナチス・ドイツの敗戦で主権を回復したフランスは、戦後いち早く4週間の年休制度を復活させた。
第2次大戦後のヨーロッパで、フランスが最も早く先進的な年次有給休暇制度を定着させたのは、人民戦線内閣時代の実績があったからだ。フランスのバカンス制度は1957年、フランスと当時の西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク6カ国で創設された、現在のEU(欧州共同体)の前身であるEEC(欧州経済共同体)全域に広がった。ヨーロッパでバカンスが市民生活の中に定着してくるまでには、やはりそれなりの歴史があったわけだ。
わたしが1967年、初めてパリに住んで最も驚いたことの一つは、パン屋さん、肉屋さん、八百屋さんといった商店の人々も、1カ月近く店を閉めてバカンスに出かけることだった。これらの業種の人々はそれぞれ同業組合に加わっていて、組合が話し合いで休業の順番を決め、順繰りにバカンスに入る仕組みだ。日本ではこういった業種の店が夏休みで1カ月店を閉めるなんて、いまだに考えられないだろう。しかしフランスでは労働組合に組織されている労働者だけでなく、商店主も強力な同業組合に組織されている。日常的に同業者の権利を守るための活動も活発で、消費税の税率引き上げに反対してストライキを行うなど、闘争力もなかなかだ。美容師、理容師、医師、歯科医師、薬剤師など資格を必要とする職業の同業組合は特別強力だ。
さてフランスに比べて経済規模は大きくなった日本だが、バカンスを楽しむという点ではまだ後進国と言ってもいい。1960年代の高度成長期を経て、日本がGDP(国内総生産)で米国に次ぐ世界第2位の経済大国になったのを受けて、日本でも一流企業を皮切りに年次有給休暇の制度が定着してきた。しかし日本の労働者がフランスはじめ欧州諸国のように年休の権利を自由に行使できているかと言えば、そうとは言えないようだ。日本のバカンス客が盆と正月、ゴールデンウィーク前後に集中しているのを見ると、結局職場の事情を考慮して休みを取りやすい時期に年休を消化しているというのが実態だろう。
戦前の日本では、住み込みの奉公人は1年間にたった2日の「藪入り」(1月16日と7月16にち)の日しか休みをもらえなかった。今では「藪入り」という言葉も死語になったが、日本人の精神構造の奥底には「働くことは良いこと」「休むことは良くないこと」という意識がしみ込んでいるのではあるまいか。福田首相は「自分が休暇を取らないと官邸スタッフが休めないからね」と、やむなく夏休みを取ると言わんばかりのポーズで都内のホテルに1週間弱こもったとか。同じように石油や食料価格の高騰で国民生活が危機に見舞われているフランスでは、閣僚たちは大手を振ってバカンスに出かけ8月中は、閣議も3週間開かれなかったという。フランスではこれが当然視されているのだ。
フランスでは現在、年間5週間の有給休暇が権利として認められているが、今年は夏休みを自宅で過ごすという人の比率が47%という調査結果が報道された。ガソリン高騰や食料品の値上がりで購買力が低下、市民の生活防衛意識が強まっているためだという。3年前に行われた同様な調査に比べて、夏休みに旅行しない人の比率は10ポイントほど増えたという。バカンスと言えば、自宅を離れて山や海のリゾート、あるいは外国へ観光に出かけるというイメージが強いが、自宅でボケーっと過ごすというのもバカンスの過ごし方である。もともとバカンスというのは「空白」つまり何もしないことだから。
わたしがフランス滞在中に見聞した、一般市民のバカンスの過ごし方は日本人と比べてむしろ地味だった。田舎の空き家を借り切って家族でゆっくり過ごすとか、少し贅沢な方ではリゾート地の家具付きアパルトマンを借りて、自炊生活を送るとか。日本人だと避暑地へ出かけてもホテルや温泉旅館にせいぜい2,3泊、そこから足を延ばして名所を訪れたり、名物料理を食べに行き、土地の有名な土産品を買いに行く等々、なんとなく気ぜわしい。せっかくのバカンスだから有意義に過ごそうと、毎日せっせと動き回らないと気が済まないようなところがありはしないか。もっとも最近は日本でも、普通の市民が田舎に別荘を持つケースが増えてきて、静かにボケーっと別荘で過ごす人も増えつつあるようだ。「空白」のバカンスの価値を発見した人が増えているとしたら心強い。
第2次大戦後のヨーロッパで、フランスが最も早く先進的な年次有給休暇制度を定着させたのは、人民戦線内閣時代の実績があったからだ。フランスのバカンス制度は1957年、フランスと当時の西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク6カ国で創設された、現在のEU(欧州共同体)の前身であるEEC(欧州経済共同体)全域に広がった。ヨーロッパでバカンスが市民生活の中に定着してくるまでには、やはりそれなりの歴史があったわけだ。
わたしが1967年、初めてパリに住んで最も驚いたことの一つは、パン屋さん、肉屋さん、八百屋さんといった商店の人々も、1カ月近く店を閉めてバカンスに出かけることだった。これらの業種の人々はそれぞれ同業組合に加わっていて、組合が話し合いで休業の順番を決め、順繰りにバカンスに入る仕組みだ。日本ではこういった業種の店が夏休みで1カ月店を閉めるなんて、いまだに考えられないだろう。しかしフランスでは労働組合に組織されている労働者だけでなく、商店主も強力な同業組合に組織されている。日常的に同業者の権利を守るための活動も活発で、消費税の税率引き上げに反対してストライキを行うなど、闘争力もなかなかだ。美容師、理容師、医師、歯科医師、薬剤師など資格を必要とする職業の同業組合は特別強力だ。
さてフランスに比べて経済規模は大きくなった日本だが、バカンスを楽しむという点ではまだ後進国と言ってもいい。1960年代の高度成長期を経て、日本がGDP(国内総生産)で米国に次ぐ世界第2位の経済大国になったのを受けて、日本でも一流企業を皮切りに年次有給休暇の制度が定着してきた。しかし日本の労働者がフランスはじめ欧州諸国のように年休の権利を自由に行使できているかと言えば、そうとは言えないようだ。日本のバカンス客が盆と正月、ゴールデンウィーク前後に集中しているのを見ると、結局職場の事情を考慮して休みを取りやすい時期に年休を消化しているというのが実態だろう。
戦前の日本では、住み込みの奉公人は1年間にたった2日の「藪入り」(1月16日と7月16にち)の日しか休みをもらえなかった。今では「藪入り」という言葉も死語になったが、日本人の精神構造の奥底には「働くことは良いこと」「休むことは良くないこと」という意識がしみ込んでいるのではあるまいか。福田首相は「自分が休暇を取らないと官邸スタッフが休めないからね」と、やむなく夏休みを取ると言わんばかりのポーズで都内のホテルに1週間弱こもったとか。同じように石油や食料価格の高騰で国民生活が危機に見舞われているフランスでは、閣僚たちは大手を振ってバカンスに出かけ8月中は、閣議も3週間開かれなかったという。フランスではこれが当然視されているのだ。
フランスでは現在、年間5週間の有給休暇が権利として認められているが、今年は夏休みを自宅で過ごすという人の比率が47%という調査結果が報道された。ガソリン高騰や食料品の値上がりで購買力が低下、市民の生活防衛意識が強まっているためだという。3年前に行われた同様な調査に比べて、夏休みに旅行しない人の比率は10ポイントほど増えたという。バカンスと言えば、自宅を離れて山や海のリゾート、あるいは外国へ観光に出かけるというイメージが強いが、自宅でボケーっと過ごすというのもバカンスの過ごし方である。もともとバカンスというのは「空白」つまり何もしないことだから。
わたしがフランス滞在中に見聞した、一般市民のバカンスの過ごし方は日本人と比べてむしろ地味だった。田舎の空き家を借り切って家族でゆっくり過ごすとか、少し贅沢な方ではリゾート地の家具付きアパルトマンを借りて、自炊生活を送るとか。日本人だと避暑地へ出かけてもホテルや温泉旅館にせいぜい2,3泊、そこから足を延ばして名所を訪れたり、名物料理を食べに行き、土地の有名な土産品を買いに行く等々、なんとなく気ぜわしい。せっかくのバカンスだから有意義に過ごそうと、毎日せっせと動き回らないと気が済まないようなところがありはしないか。もっとも最近は日本でも、普通の市民が田舎に別荘を持つケースが増えてきて、静かにボケーっと別荘で過ごす人も増えつつあるようだ。「空白」のバカンスの価値を発見した人が増えているとしたら心強い。
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