2018.12.21 私が会った忘れ得ぬ人々(4)
湯浅誠さん――貧困は自己責任ではない

横田 喬 (作家)

 歳末を目前にし、この一年を振り返ってみたい。何よりショックだったのは、六月に事情が明らかになった五歳の愛らしい女児・船戸結愛ちゃんのなんとも痛ましい死だ。
――もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
 住まう東京・目黒区内の自宅アパートから、両親への謝罪の言葉が鉛筆で綴られたノート
が見つかった。母親(25)の連れ子で、寝る部屋を継父(33)と母親との間に生まれた弟(1)
や両親と別にされ、食事も満足にはさせてもらえなかったという。今年初め16.6㌔あった
体重が二か月後の死亡時は12.2㌔に減っていた。継父に朝早くから平仮名を書く練習を命
じられ、従わないと虐待が待っていた。

昨年まで住んでいた香川県で、継父の暴力と放置する母親を見咎めた近所の人が通報し、
結愛ちゃんは児童相談所の一時保護を二回受けている。無職の継父が職探しのため上京し、一家は慣れない東京で暮らし始めたばかりだった。いたいけな幼い命を、なんとか社会が救う手立てはなかったか。両親は保護責任者遺棄致死容疑で逮捕~起訴されたが、失われた命は還ってこない。「とんでもない夫婦がいたもんだ」と紋切型の非難で片付けてはなるまい。
 日本の貧困問題に詳しい社会活動家(法大教授)・湯浅誠さんは言う。「痛ましい一連の出来事の内に、今の日本社会を深く蝕む『貧困』の病弊をまざまざと見る心地がする」。
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【湯浅誠さん】

 湯浅誠(敬称略)は一九六九(昭和四四)年、東京で生まれた。父は『日本経済新聞』記者、母は小学校教諭。私立武蔵高校を出て一浪後、東大(文科一類)に入る。学友が外国人労働者問題をきっかけに野宿者の支援活動を始め、彼も支援に加わる。湯浅には三つ年上の兄がいるが、進行性の筋委縮症という難病を患う重度障碍者だ。「自分には、そんな兄貴のいる生育環境が大きかった。差別される側にいた、という意味合いで。」
 ‘九五年に法学部を卒業し、翌年に東大大学院法学政治学研究科に入学。父は官僚になるよう勧めたが、彼自身は人に使われるのが嫌で就職する気はなかった。勉学に併せ、野宿者支援を続行。バブル崩壊後の経営悪化が響き、渋谷の街の野宿者は激増。「社会の底が抜けていくようなショックを感じた」。大学新卒者の‘就職難が響き、野宿する若者の姿も珍しくなくなる。二〇〇〇年代に入ると「ネットカフェ難民」の姿も社会現象化する。

 ‘大学院在学中の二〇〇〇(平成一二)年、彼は支援の炊き出しに必要なコメを集める「フードバンク」を設立。翌年、ホームレス支援のための「自立生活サポートセンター、もやい」を立ち上げる。大学院は博士課程単位取得後に退学し、運動に専念するようになる。本人の弁は「やりがいがあり、面白かったから」。奨学金を打ち切られ、生活の糧を得る道を算段。フードバンクを立ち上げた仲間が野宿者のために営む古着リサイクル店「あうん」(東日暮里)に乗り込んで便利屋部門を起こし、自身を含むスタッフの月収八万円を確保可能にする。

 「構造改革」を掲げる小泉政権下の‘〇四年、自動車や電機など製造業も法改正で派遣労働が可能になる。倒産寸前とされた日産が、かのカルロス・ゴーン社長の剛腕で社員を大量整理~V字回復を遂げる。「一将功成りて万骨枯る」。クビになった側はたまらない。あちこちで似たような現象が起き、食べていけない人々の路頭に迷う姿が増えていく。
‘〇八年秋、リーマン・ショックによる景気の冷え込みが襲来。大手製造業で大規模な「派遣切り」が続出。同年暮れまでに八万五千人が雇い止めに遭い、失職者や食べていけなくなった人たちからの相談が「もやい」に相次ぐ。「空から鳥がばたばた落ちてくる感じがした」。

湯浅を一躍、全国区の知名人にするのが’〇八年大晦日~翌年一月四日に日比谷公園で開
いた「年越し派遣村」だ。開村三日目の正月二日には、想定の倍の三百人を超えた。「村長」
の彼は知り合ったばかりの大村秀章・厚労副大臣(現愛知県知事)とケイタイで掛け合い、
厚労省講堂を開放させることに成功する。粘り腰で押しが強いのは、活動家に必須の要件だ。
 民主党政権が成った‘〇九年秋、副総理・国家戦略担当大臣、菅直人の要請で内閣府参与となる。‘一四年、法政大教授(現代福祉学部)に就任。ネットの情報によると、近況は「一風変わった授業」をする「一風変わった先生」だとか。さもありなん、と感じる。
 
著述家・湯浅の強みは、実践経験に基づく信念プラス文章を書く能力、表現力だ。’〇八年に著した『反貧困――「すべり台社会」からの脱出』(岩波新書)は「平和・協同ジャーナリスト基金賞」大賞と「大佛次郎論壇賞」(朝日新聞社)を受ける。同書は日本社会における貧困の実態を紹介し、取り組むべき対策を説く。まず、彼はこう記す。
 ――‘九〇年代の長期不況以降、正規から不正規への雇用代替が急速に進み、(中略)今や、全労働者の三分の一(一七三六万人)が非正規であり、若年層では四五・九%、女性に至っては、五割を超えている。年収二百万円以下の給与所得者が二〇〇六年、一〇二二万人に。
 ――もはや「まじめに働いてさえいれば、食べていける」状態ではなくなった。(中略)これまでの日本社会の「あたりまえ」が「あたりまえ」ではなくなったのである。

 さらに、「公的扶助のセーフティネット」について、以下のように述べる。
 ――生活保護基準以下で暮らす人のうち、学者の調査では推計で約四百万世帯六百万人~約六百万世帯八百万人の生活困窮者が生活保護制度から漏れている(受給者は約百六十万人)。生活保護ではよく「不正受給」が問題視されるが、‘〇六年度の不正受給件数は一万四六六九件。この「濫給」と数百万人に及ぶ「漏給」、いずれが深刻かは自明だろう。(要旨)
 ――うっかり足を滑らせたら、(ネットの)どこにも引っかかることなく、最後まで滑り落ちてしまう。(中略)日本社会は、今どんどん「すべり台社会」化しているのではないか。

 彼はまた、「貧困は自己責任なのか」と問いかけ、人々が貧困状態に至る背景には「五重の排除」がある、とする。すなわち、①教育課程からの排除(背後には親世代の貧困がある)②企業福祉からの排除(雇用のネットから弾かれ、各種の保険や様々な福利厚生・組合共済などからも排除)③家族福祉からの排除(親や子供に頼れないこと)④公的福祉からの排除(申請者を追い返す技法に専ら頼る生活保護行政)⑤自分自身からの排除。
 特に⑤については、「生きていても、いいことは何一つない」という心理状態と注釈。「生活困窮者は、はよ死ねってことか」(北九州市で’〇七年、死後一か月のミイラ化した遺体で発見された五十二歳の男性の日記の一文)などを紹介。日本社会で毎年出る三万人超の自殺者のうち、「三割の約一万人が生活苦を理由としたケースでは」と推計されている、とする。

 そして、後段では国内各地で始まっている「反貧困」への取り組みを子細に紹介する。市民活動や労働運動、「たすけあいネットワーク」、法律家たち・・・。湯浅はこう結ぶ。
 ――貧困は自己責任ではない。貧困は、社会と政治に対する問いかけである。(中略)この社会を変えていく以外に、「すべり台社会」から脱出する方途はない。

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