2019.01.10  小林陵侑選手の歴史的快挙を祝う
盛田常夫(経済学者、在ハンガリー)

 スキージャンプの小林選手がジャンプ週間で史上3人目のグランドスラム(4大会すべてで優勝)の快挙を達成した。日本国内ではジャンプ週間総合優勝が大きく取り上げられているが、欧州ではグランドスラム達成に沸いている。
 スキージャンプW杯は今シーズン30戦近い試合のうち、第8戦から第11戦の4戦はジャンプ週間と呼ばれる特別な大会になっている。W杯の点数計算のほかに、4戦の総合得点(総合優勝)の表彰が行われる。66回(66年)の歴史の中で、この4戦すべてに勝利したジャンパーは、2003年のスヴェン・ハナヴァルト選手と2018年のカミル・ストッホ選手の2名しかいない。ジャプ週間の総合優勝やW杯の総合優勝を飾ったり、五輪金メダルをとったりした選手は多くいるが、ジャンプ週間で4冠(グランドスラム)を達成した選手は、この2名だけなのだ。それほど、形状が違う4つのジャンプ台すべてで優勝することが難しい。W杯最多勝のシュリーレンツァウアーや、五輪の金メダルに2度も輝いたアマン選手でも成し遂げられなかった快挙である。小林選手の伝統あるジャンプ週間の歴史に、67年の歴史で3人目のグランドスラム達成選手として名を刻まれることになった。
 札幌五輪を前にした1972年、笠谷幸生選手はジャンプ週間の第1戦から第3戦まで優勝し、ジャンプ週間総合優勝へ残すはあと1戦、グランドスラム達成まであと1勝となったが、国内の五輪選考大会に出場するために第4戦を棄権して日本へ戻ってしまった。当時の国際スキー連盟やスキージャンプのファンは残念がった。ジャンプ週間にたいする日本のスキー界の認識が極めて低かったとしか言いようがない。ジャンプ週間の歴史に名を残す大きなチャンスをみすみす失ってしまった。それから47年を経て、小林選手が笠谷選手の無念を晴らし、グランドスラムを達成したのだ。
 小林選手はジャンプ週間4勝を含めて、今季W杯11戦で8勝という驚異の快進撃を続けている。はたして、この好調はどこまで持続するのか、スキージャンプファンはその成り行きを見守っている。
 スヴェン・ハナヴァルトの評によれば、小林選手は近年まれなほどの技術的完成度をもっているという。助走から空中姿勢へ移る技術は完ぺきに近く、少々のミスや追い風をものともしない強さを持っている。
 最近のスキージャンプ競技ではコンピュータ技術が取り入れられ、踏み切り台から着地地点までの7か所で風速が測られ、風速に応じて加点(追い風の場合)や減点(向かい風)が細かく計算される。数年前までは、風に関係なく、飛型点(空中姿勢と着地姿勢)と距離だけで勝負が決まっていたが、風の要素を中立化させる計算になって、きわめて複雑な計算になっている。
 また、今シーズンのEurosportの中継画面では、踏切り速度、踏切りから20m地点での速度、着地速度の測定値が画面表示されている。遠くに飛ぶために、踏切のスキー速度が速い方が良い。さらに、最初の空中姿勢に入った時に、風の影響を受けて減速するが、減速度合いが小さければ小さいほどよい。そこから重力にひっぱられて加速され、着地地点では踏切速度から20-25%ほど速度が上がるが、失速ジャンプの場合には極端に速度が落ちる。小林選手の特徴は、空中姿勢に入った時に減速せずに、逆に1km/hほど加速する。これが他を寄せ付けない技術になっている。また、踏切り地点に設置されたカメラは、踏切時の膝の曲がり具合い(角度)を表示している。135°から140°の角度を保っていれば、絶妙のタイミングでの踏切となるが、角度が大きければ早すぎる踏切になり、角度が小さければ遅すぎる踏切になる。早すぎても遅すぎても、滑走速度を空中へ最適に持ち込むことができない。この間の時間は100分の1秒の世界である。ジャンプ台によって踏切りのタイミングが異なるから、最適な踏切りで飛び出すのが難しい。非常に繊細な競技だと言える。
 2000年前後の日本選手の全盛時代を知っている者にとって、ここ20年は不本意な時代だったが、ようやく小林兄弟や 佐藤幸椰選手、中村直幹選手などの若手選手がトップ30に顔を出すようになり、世界の舞台で闘えるジャンパーが育ってきた。多くの国が世代交代で苦しんでいる中、ようやく日本のジャンプ陣に光明が見えてきた。
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