2019.02.04  論壇は国民に影響を与えられるか(1)
          ―奥武則著『論壇の戦後史』を読んで―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 本書は、早大出身の元毎日新聞記者奥武則(おく・たけのり、1947~)が書いた1940年代から現在までの論壇時評史である。

 《論壇史の力作に感じた三つの感想を書く》
 論壇とは何か。奥はそれを「国内外の政治や経済の動きなどさまざまな領域の、広い意味の時事的テーマについて、専門家が自己の意見を表明する場」と定義している。今も印刷メディアに残る「論壇時評」は、外部の識者が書くのが普通である。「毎日新聞」では、論壇時評の編集を奥が一人で担当し、90年までの3年間は自分で時評を書いた。学芸部長や論説副委員長も務めているが、本人は「論壇」専門家との意識が強いらしい。退職後は法政大教授(2003~17年)を務めた。

 私(半澤)は、本書を次のように要約できると読んだ。
「戦時の悔恨を共有する丸山真男や清水幾太郎たちを頂点とする〈戦後民主主義〉思想の黄金時代が、六〇年代の高度成長と学生反乱の時代を経て〈現実主義と経済主義〉に座席を奪われた。東西冷戦の終焉とともに、論壇自体の流動化が始まった。現在に至る30年間は、〈現実追随と偏狭排外〉の言説が〈論壇〉を支配している」。
この期間は、私の「青・壮・老」年時代と重なり、共感と反発、納得と意外感が去来した。

 時系列で論壇史を追う本書の、特に安保までの叙述は精彩を放っている。個別テーマは本書に譲るが、私の印象に強く残った三つのエピソードを論じて読後感とする。
一つは、『世界』発刊時のボタンの掛け違いである。
二つは、安保闘争の与えた論壇への衝撃である。
三つは、「ポスト戦後」時期の論壇の多様化または退廃である。

 《オールド・リベラリストとの決別は何を残したか》
 『世界』創刊時に編集者吉野源三郎は、安倍能成や美濃部達吉ら「オールド・リベラリスト」を含む統一戦線的な言論誌を構想した。創刊号(1946年1月)の執筆者は安倍能成、美濃部達吉、大内兵衛、和辻哲郎、三宅雪嶺、尾崎行雄、谷川徹三らであった。構想の第一歩にみえる。しかし背景には深刻な問題があった。美濃部達吉の二編の論文「日本歴史の研究に於ける科学的態度」、「建国の事情と万世一系の思想」の第二論文の扱いである。天皇機関説で思想弾圧の受難者になった憲法学者美濃部の第二論文は次のように結ばれていた(■から■)。
 ■国民みずから国家のすべてを主宰すべき現代に於いては、皇室は国民の皇室であり、天皇は「われらの天皇」であられる。「われらの天皇」はわれらが愛さねばならぬ。
(中略)そうしてまたかくのごとく皇室を愛することは、おのずから世界に通じる人道的精神の大なる発露でもある■

 戦前に初期天皇の実在に疑問を呈した美濃部が、このように「国民の皇室」「国民の天皇」に熱烈な愛情を吐露したのである。編集部内に第二論文の掲載可否を巡り議論が起こった。第一論文は、創刊号に載った。第二論文は、吉野源三郎による長文の釈明的説明(誌上では「編集者」と署名)を巻末に載せて4月号に掲載された。これが一つの契機となって『世界』は、新鋭の国立大系、左翼エリートの牙城となる。そして戦後15年間ほどの論壇形成の圧倒的な存在となった。
 オールドリベラリストの「同心会」とその雑誌『心』の原点は、岩波茂雄の人脈を中心に敗戦前後に作られた安倍能成、和辻哲郎、谷川徹三、志賀直哉、武者小路実篤、山本有三、長与善郎、田中耕太郎、石橋湛山、小泉信三、鈴木大拙、柳宋悦らの集団である。
このグループは、のちに保守的な思想・信条をもつ一派の源流となった。単純な分類は戒めたいが大雑把にはこういえるであろう。
 吉野は、のちの回想で「玄人筋からは金ボタンの秀才のような雑誌だと批評され」たと書いているが(『職業としての編集者』)、私に言わせれば、美濃部達吉らの排除は「ボタンの掛け違い」の開始だった。それは戦後民主主義の多様性欠落と脆弱さの起点になったのではないかと思われる。

 《安保闘争が生んだ論壇の現実主義》
 戦後の画期は、支配層にとっても、国民大衆にとっても、安保の攻防だった。一体、安保とは何だったのか。これは意外に定説がないのである。本書の解説を書いているノンフィクション作家保阪正康は、1986年の自著『六〇年安保闘争』で「いま〈六〇年安保闘争〉をふりかえってみるとき、戦後の日本がいちどは通過しなければならない儀式だったと分析するのが、もっとも妥当性をもっているように思う」と書いた。奥武則はこれに同意している。論壇では、敗戦から安保までの時間が「ネーションビルディング」―国家の基本原理を創出すること、または国民として〈子供から大人〉になること―の期間であったというわけである。「論壇という場でみれば、平和問題談話会が掲げ、『世界』を中心に多くの論者が説いた〈非武装中立の日本〉が、もっとも有力な〈大人〉候補であった」と奥は書いている。しかし岸信介政権が結んだ改訂日米安保は、日本経済の成長を背景とした「成人式」だった。この「通過儀礼」(保阪)を終えて、「大人」になった国は、それまでとちがうものとなった。間もなく疾走を始める高度経済成長下、論壇の様相も激しく変わっていくと奥は書いている。安保以後「ネーションビルディング」という大きな問題提起は国民に遠いものとなったのである。池田勇人内閣の所得倍増計画は予想以上の成果を挙げ、「三種の神器」が象徴する大衆社会が出現しつつあった。(つづく)

 ■奥武則著『増補 論壇の戦後史』、(平凡社ライブラリー、平凡社・2018年10月刊、1300円プラス税)
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