2019.02.18  3.1独立運動から100年
          韓国通信NO589

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

 祖国を取り戻すために生涯を捧げた抵抗詩人たちを紹介する。
 詩人の名前は李相和(1901~1943)、李陸史(1904~1944)、尹東柱(1917~1945)、韓龍雲(1879~1944)。
 植民地にされた経験のない日本人は、自分たちの戦中・戦後の苦労を語ることがあっても、植民地支配で苦しんだ隣国の人たちについてあまり知らない。
3.1独立運動から100年
 韓国では独立運動100年を契機に、歴史から学ぼうとする機運が高まっている。以下はソウル市教育庁のホームページで紹介されている詩人たちの群像である。私たちは詩という視点から3.1独立運動を知ることができる。今回は李相和(イ・サンファ)を紹介する。
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 ソウル市教育庁のホームページには、こう書かれている。

 1919年3月1日
 この日は日本帝国の統治からの独立を求めて韓民族が立ち上がった日です。3.1運動は私たちの独立への思いを世界中に伝えることになりました。この歴史的な日が今年100年を迎えることになったのを記念して、日本の植民地支配と敢然と闘った抵抗詩人の詩を読み、当時の精神を学んでください。

李相和(イ・サンファ)
<紹介>李相和は植民地時代、悲嘆にくれた民族の心を詩の言葉で紡ぎ、韓国現代詩の里程標を確立したと評価される民族詩人である。李相和は18才の時、故郷の大邱で3.1運動学生蜂起を企てたが失敗。その後も独立運動にかかわり、逃亡、逮捕を繰り返しながら詩作を続けた。彼の作品は個人の尊厳、社会改革、日本に対する抵抗に向けられ、多くの文学作品を残した。<奪われた野にも春は来るのか>(1926)は日本に対する抵抗と祖国愛を切実かつ素朴な感情で歌いあげた代表的な抵抗詩である。
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 原発事故直後から福島県南相馬を撮影し続けた写真家鄭周河さんの写真展のタイトルは<奪われた野にも春は来るのか>にちなんだものだ。国を奪われた朝鮮人の悲しみが福島の人たちの悲しみと同じだと気づかせてくれた。一昨年、大邱を訪れ保存されている居宅を見学。李相和が韓国で最も尊敬されている詩人のひとりであることを知った。
 今回、初めて訳詩に挑戦した。意味を理解することと、詩のリズムをどう表現するかに苦労した。

詩 奪われた野にも春は来るのか (李相和)   訳 小原 紘

今は 他人の土地 奪われた 野にも 春は 来るのか
俺は 全身に 日射しを 浴びて
青い空 緑の野が 交わる 所へと
あぜ道にそって 夢の中を 行くように ひたすら 歩く

何も語らない 空よ 野よ
俺は ひとりで 来たような 気がしないのだが!
お前が 連れて来たのか 誰が 呼び寄せたのか もどかしい 答えてくれないか

風が 俺の耳元で 囁き
土地に 足跡など残すなと  俺の袖を引き
ひばりが 垣根の向こうで 乙女のように 雲に 隠れて 鳴く

よくぞ 育ってくれた 麦たちよ
昨晩遅く 降った 慈雨で
お前は 麻束のような 穂頭(ほがしら)を 洗ったのだね 俺の頭も すっきりだ

ひとりでも 身も軽く 歩いて行こう
乾いた農地をめぐる やさしい 水路よ
乳飲み子をあやす歌を 歌い 俺ひとり 肩を揺らせて 踊って行く

蝶よ ツバメよ 急(せ)かさないで おくれ
ケイトウやヒルガオに 挨拶を せにゃならぬ
ヒマシ油を 髪につけた 乙女たちが 丹精込めて 草取りをした 田畑も 全部見たい

俺の手に 草取り鎌を 握らせてくれ
ふくよかな 乳房のような 柔らかい この土を
足首が痛くなるほど  踏んでみたい 気持ちのいい汗も 流してみたい
川岸に遊ぶ 子供のように
息つく間もなく 限りなく 駆け巡る 俺の 魂よ
何を 求め 何処に行くのか  笑わせるよ 教えてほしい

俺は 体中を 草の匂いをさせて
緑の笑いと 緑の悲しみが 一塊となった中を
足を ひきずり ひねもす歩く  たぶん 春の神が取り憑(つ)いたようだ

しかし 今は 野は奪われ 春さえも 奪われそうだ
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