2019.03.02  3.1独立運動100周年にちなんで
          韓国通信NO592

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

<柳宗悦 (やなぎ・むねよし)の理想>
 柳宗悦は、芸術をとおして朝鮮民族の精神的の豊かさに触れて心からの敬意を表した。武力による日本統治を批判し、3.1独立運動に共感したばかりか、「剣を取るものは剣で滅びる」と述べて、侵略主義国家の末路「8.15」を予見した。柳は「日本と朝鮮が正義と情愛で結ばれ、その友愛が支那や印度との間にも結ばれる」ことを夢見、東洋平和の実現を日本と朝鮮の若者に託した(『朝鮮の友に贈る書』1920)。
 「人間相互の関係を支配する崇高 な理想を深く自覚」し、「平和を愛する諸国民の公正と信義 に信頼」し、「 平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」を宣言した日本国憲法と柳宗悦の主張は通底する。

 その日本国憲法が今、戦争を知らない「大人たち」の手によって揺らいでいる。
 韓国憲法の前文に3.1運動の記述を思い出した。
 「悠久なる歴史と伝統に光り輝くわが大韓民国は、3・1運動で創建された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗った4・19民主理念を継承」で始まる憲法は、3.1運動を建国の精神と位置付けている。「併合」の当事者である日本人としてはこれを厳粛に受け止めたい。100年たった今日、日韓関係が「ぎくしゃく」している理由は、柳宗悦の指摘を俟つまでもなく、日韓併合に対する日本人の「まなざし」が、旧態依然としていることにある。
 韓龍雲を紹介したい。これまで紹介してきた四人の詩人のなかで、彼ほど3.1独立運動に直接かかわった人物はいない。ソウル市教育庁のホームページにはこうある。

 韓龍雲(ハニョンウン) (1879~1944)
韓龍雲 萬海(号)韓龍雲は独立運動家であり、僧侶にして、また詩人として3.1運動を積極的に主導した33人の代表者の一人だった。幼少時、書堂で漢学を学び東学農民運動に加わったが、失意のうちに雪嶽山五大窟(寺)に入り、寺の仕事を手伝い出家をして僧侶になった。
 1919年3.1運動の首謀者として投獄され、3年間、獄中生活をした。出獄後、物産奨励運動(消費者運動の先駆)を支援、民立大学建設運動、新幹会(抗日団体)の活動などに参画、生涯、独立運動家、文学者として生き、韓国のタゴールとも称される。主要作品 「ニムの沈黙」「黒風」他
<補足説明>
 東学農民戦争は全琫凖(チョンボンジュン)の処刑(1895)によって終止符を打ったと言われている。しかし東学(後の天道教)の精神は3.1運動を始めとする抗日運動など、今日に至るまで脈々と韓国の民衆運動に受け継がれてきた。韓龍雲は仏教指導者として3.1運動に関わったが、もともとは東学の活動が彼の原点だった。東学農民戦争は3.1運動、抗日運動の源泉となった。
 独立宣言文の署名者33人のうち、キリスト教指導者は16人。東学関係者は天道教三代教主である孫秉凞(ソン・ビョンヒ)を始め15人が名を連ねている。万民平等、国の独立と相互扶助を掲げた東学精神は独立運動の中で花開いたと云える。

 無用のことば 韓龍雲(詩集『ニムの沈黙』の序文) 大村益夫訳
 「ニム」※のみが、ニムではなく、命と思うものすべてがニムである。衆生が釈迦のニムならば、哲学はカントのニムである。バラの花のニムが春雨ならば、マッチーニのニムはイタリアである。ニムはわたしが愛するだけでなく、わたしを愛するのだ。恋愛が自由ならば、ニムも自由であろう。しかしおまえたちは名よき自由にこまごました拘束を受けるではないか。おまえにもニムがあるか。あるとすればニムではなく、おまえの影なのだ。
 わたしは日の沈む野に帰る道を失ってさまよう幼い羊がいとしくてこの詩をしるす
※ 「ニム」は愛するものすべてという意味で使われる

ニムの沈黙 韓龍雲  大村益夫訳
ニムは去りました。ああ 愛するわたしのニムは去りました。

緑の山の光を乱し、モミジの茂みに向かってのびる小道を歩き 耐え 振り切って去りました。
黄金の花のように堅く輝かしかった昔の誓いは冷たい塵となってためいきの微風に飛んでいきました。

はじめての鋭い「キス」の思い出は わたしの運命の指針をもどし 後ずさりして消えました。
わたしはかぐわしいニムの声に耳ふさがり、花のようなニムの顔に目がくらみました。

愛も人の世の事、会う時にすでに別れを憂い、気づかわないではないけれど、離別は思いもかけず訪れて、驚く胸は新たな悲しみにはじけます。
けれど、離別をせんのない涙の源にしてしまうのは、おのずから愛をうちこわすことと知っている故、こらえられない悲しみの力を あらたな希望の脳髄に注ぎいれました。

わたしたちは会う時に別れを 憂うように、別れる時にまた会えることを信じます。

ああニムは去ったけれども、わたしはニムを送りませんでした。
みずからの調べに打ち勝てない愛の歌は ニムの沈黙を包んでめぐります。

 一見、恋人を歌った詩に見える。しかし、僧侶で独立運動家の彼にとって「ニム」は奪われた祖国だ。抒情的な言葉の中に失われた祖国に対する思いが込められている。
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