2019.03.05 ある中国通の予言について思うこと
 ――八ヶ岳山麓から(277)――

阿部治平 (もと高校教師)

2008年リーマンショック(世界金融危機)があった。中国政府は4兆元(およそ65兆円)を投下して景気回復を図った。効果は十分にあった。
先進国の経済は一時中国頼りとなり、フランス・サルコジ大統領やドイツ・メルケル首相が中国詣をした。中国人学生はこれをとりあげて、「西欧の半植民地化と日本の侵略による屈辱の歴史はすでに終わった。中国は2020年代にはアメリカに追いつく」と誇りに満ちて語った。
彼らは尖閣諸島や南シナ海を「核心的利益」とし、その領有は失った領土の回復だと主張した。私は、「じゃあ、アイグン条約も北京条約も無効だ。レーニンはウラジオストクをロシア領だといったが、中国は沿海州も回復しなければなるまい?」といってみた。彼らはこれには考えが及ばなかったらしくとまどった様子を見せた。
「80後(1980年代生れ)」の学生の発言は、中国の指導者や経済学者の言説を繰返しただけのもので、にわか成金の傲慢さがあったけれども、日本人の私に向かい祖国をことさらに高く誇るその姿に、1989年天安門事件当時の学生とは全く違った国家観を持つ世代が存在することがわかった。

中国政府の「4兆元投資」は特効薬ではあったが、副作用もひどかった。数年先までの投資需要を消化してしまったから、中国のGDP成長率は2010年を頂点にして下降し始めた。日本では、この前後から中国経済論が書店にあふれるようになった。それはいまにも中国経済が崩壊するかのようにいうものから、冷静に停滞を予測するものまでさまざまであった。
私が知る限り、前者の代表的なものは、2013年刊の近藤大介著『日中「再」逆転』(講談社)である。これと対照的なのは、津上俊哉『中国台頭の終焉』(日本経済出版社2013)である。

以下おもに近藤氏の著作にそって私見を述べる。
2012年末安倍晋三氏は第二次安倍内閣発足にあたって、「三本の矢」として「異次元緩和」「機動的な財政政策」「成長戦略」を提起した。近藤氏は翌2013年の株価上昇に舞上がり、14年以後22年まで3%の経済成長を見込んだ戦略を称賛し、アベノミクスによって日本経済は「第三の成長期」に入るとした。氏は、これにひきかえ中国は、「2015年から16年までに雪だるま式に危機が膨らみ爆発するだろう」といい、「中国は『六十年に一度の巨大不況』に直面する」「習近平『超・軽量政権』で中国バブルは2014年、完全に崩壊する!!」と断定した。
一旦中国によって追い越された日本のGDPは、アベノミクスによって再び中国を凌駕すると「予言」したのである。
しかし、ご存知のように、『日中「再」逆転』は叶わなかった。政府は長期の景気回復をいうが、一般には「異次元緩和」による日本経済の景気回復はなかったというのが実感である。経済成長という言葉は魅力的ではあるが、当時も3%の成長は望むべくもなかった。日本経済に成長があったとどうしてもいいたければ、それは非正規労働つまり契約社員・パート・アルバイトの増加である。「アホノミクス」といった人がいたが、まさにその通りになった
中国のGDPは(統計上の確かさに大きな問題があるけれども)、一桁台の成長とはいえ、リーマンショック後の2010年から2018年までの間に2.15倍に達したが、日本のGDPは1.09倍になっただけだった。日中GDP 格差は拡大した。

そうはいっても、近藤氏のこの著作は多くの読者を得て、刊行後2ヶ月で3刷になった。なぜだろうか?私はひとつの理由は、中国政治経済の動向、とりわけ要人の発言や行動をこまかく追跡し、庶民の生活に触れる文言を配置して臨場感ある記録になっているからだと思う。
だが、それよりも重要なわけがある。この本は日本人の沈みがちな気分をくすぐったのである。
日本は、20年もの長期にわたる経済の停滞が続いた。この間に「後進中国」は「先進日本」を追い越し、先進的な技術力、巨大な軍事力を擁する強大な国家に脱皮した。朝鮮半島の和平に対して決定的な影響力を持ち、南シナ海制圧に際してもアメリカの干渉をよせつけないまでになった。
これに対して我々は焦燥感をもっている。とりわけ尖閣諸島への軍事圧力が加えられていることに対しては、多かれ少なかれ不安と反感がある。そこに、アベノミクスをほめそやし、中国の没落を断言した『日中「再」逆転』という思いがけない予言があった。薄っぺらなナショナリズムは自国・自民族を礼賛し、ライバルとする国や民族の問題点を列挙する言説に快感を覚えるものである。とりわけバブル崩壊後の成功体験の乏しい若い世代は、中国に対する不安と悔しさを近藤氏の本で癒されたであろう。

近藤氏はこれに引きつづき2016年に『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』(講談社現代新書 2016)を刊行した。2012年から16年までのドキュメントである。方法は『日中(再)逆転』と同じである。さすがにアベノミクス礼賛は影を潜めているが、それに代わるのはオバマ米大統領に対する不快感である。オバマ批判には本書全7章のうち2章分を費やしている。
しかし、『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』が描き出した時期、中国は南シナ海を軍事力で制圧し、「一帯一路」構想を提起し、AIIB(亜洲基礎設施投資銀行)を設立し、中国が主導権をにぎる東アジア共同体形成を目指して大きな一歩を踏み出した。
安倍政権は中国の経済的軍事的進出に対抗して、インドまでをふくめた西太平洋インド洋における中国包囲網を構築しようと苦闘したが、関係諸国の同意を得られず挫折した。TPP構想からは肝心のトランプ・アメリカが抜けてしまった。朝鮮半島の和平交渉には影響力を発揮するどころか手も足も出ない。拉致問題ですらアメリカ頼みだ。
このところ「環球時報」など中国のメディアは、薄ら笑いを浮かべながら日本を見ている。
たとえば貿易問題では、日本がいくら対米従属を維持しても、トランプが中国の次に高関税をかける対象が日本ではないという保証はない、日本はいずれ重点を中国に移さざるを得ないだろう、TPPもいずれ中国にとってプラスになりそうだというのである。

今日、中国の経済成長率は、トランプ米大統領が仕掛けた貿易戦争によってさらに低下した。中国は、はじめは目には目を、高関税には高関税をという対抗手段をとって断固戦うかまえだったが、2018年秋からは戦争の構えを和らげ、対米交渉に移行した。2018年に台湾海峡をアメリカの軍艦が数回通過したおりも、金切り声で糾弾することはなかった。
2018年後半以降、PMI(購買担当者景気指数)や、工業生産、小売売上、固定資産投資の伸び率(前年比)など、主要な経済指標の低下傾向が鮮明になってきた。これを反映して、2018年の年間の経済成長率は6.6%と、1990年(3.9%)以来の低水準となった(関志雄https://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/index.html)。

にもかかわらず、中国の国際的影響力は依然として大きなものだし、これからも大きくなっていくだろう。貿易一つとっても、中国にとっては日本はおおぜいの中の一人だが、日本経済にとっては中国市場を無視しては存在できないという現実がある。これにひきかえ日本は、世界第二第三の経済力を持ちながら、それにふさわしい政治的力量を持てなかったし、周辺国家からの尊敬も受けてこなかった。
それどころではない。これから中国を先頭に韓国・北朝鮮は反日ナショナリズムによって束になってかかってくる恐れがある。わが日本がこれら3国とは植民地化と侵略戦争の過去を十分に清算していないからである。

保守政治はこれからも続くだろう。近藤氏も含めた右派ジャーナリストには、巨大化し帝国化する中国をはじめとする隣国と、日本はどのような外交的立場をとってつきあうべきか、自立すべきか、敗戦以来対米従属70数年のままのスタンスでよいのか、それを論じてもらいたい。中国をこき下ろし、習近平の専制政治を非難することで、日本人の脆弱なナショナリズムを煽るだけでは、何の役にも立たないと思うから。



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