2019.03.11 京都大学学生寄宿舎「吉田寮」をめぐる存廃問題の経緯と今後の行方について(4)
食堂棟落書き事件によって世論は一気に離反した

広原盛明 (都市計画・まちづくり研究者)

 改装なったばかりの真新しい建物がある日突然一面の落書きによって汚されたとしたら、社会はいったいどう反応するだろうか。普通の市民なら器物損壊罪で落書きした当人を訴えるのが自然だろう。誰がやったのかわからなくとも
氏名不詳で訴えることができる。建物の所有者が誰であれ、落書きは明白な財産権の侵害なのだ。

 補修工事が完了し、オープンしたばかりの吉田寮食堂棟の内壁が一部の心無い寮生の落書きによって汚されたことは衝撃的な事件だった。年来、大学側と寮自治会の間で続けられてきた補修に関する合意が漸く成立し、大掛かりな補修工事が完了した矢先、食堂棟の真新しい壁一面が毒々しい落書きで汚されたのである。これは、明らかに公共建築物の破壊行為(バンダリズム)であり、反社会的行為である。その結果、これまで寮自治会との交渉を通して問題解決に努力してきた大学部局は学内強硬派の批判にさらされて孤立し、担当副学長が辞任に追い込まれることになった。

 2015年11月、代わって登場したのは大学側の意向を(交渉抜きに)寮生側に呑ませようとする強硬派を代表する副学長である。それ以降、寮自治会との話し合いは一方的に打ち切られ、2年後の2017年12月、教授会や部局長会議での議論の積み上げもなく、僅かばかりの役員会(総長及びそれを補佐する少数理事)で全寮生の退去を求める「吉田寮生の安全確保についての基本方針」が決定された。本来であれば、このような一方的な決定に対しては学内から多くの抗議の声が上がるはずであるが、食堂棟の落書き事件によって学内世論の信頼を失った寮自治会に対しては同情の声さえ上がらなかった。原因はいったいどこにあるのだろうか。

 私が大学の建築学科で学んできことは、建築に対する〝リスペクト〟である。新しい建築を設計することは楽しいが、それ以上に古い建物を補修して維持することが大切さだと教えられてきた。建築史の講義では、日本の古建築が関係者の血のにじむような努力によって守られてきたことを知って感激した。だから、建物を傷つけたり、壁に落書きするようなことなど思いもよらなかったし、そうした反社会的行為から建物を守ることが建築専門家の役割だと固く信じてきたのである。

 ところがこともあろうに、信じられないような反社会的行為が一部の寮生によって引き起こされた。私は、昨年9月に行われた「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」(後述)の審査会の席上で、「吉田寮食堂に落書きすることは法隆寺の壁に落書きするのと同じことだ。万死に値する行為だ」と批判した。事実、吉田寮はこのことを切っ掛けに学内はもとより市民からも厳しい批判を受け、社会的に孤立するようになったのである。

 悲しいことに、当時の吉田寮にはこのような問題意識を持つ寮生が余りにも少なかった(いたとしても発言できなかった)。結局のところ自己批判もなければ原因究明への動きもないままに落書きは放置され、今も当時の無残な姿をさらし続けている。しかし、落書きを積極的に肯定しないまでも否定しない(むしろ許容する)このような状態は、やはり時代の流れとともに生まれてきたものであろう。大学の権威主義を批判する学生運動では、タテカンだけではなく建物の壁が至る所でスローガンの掲示板として用いられた。大学封鎖のバリケードには教室や研究室の家具が所構わず持ちだされ、乱暴に積み上げられて破壊された。全てが建築への〝リスペクト〟を否定する行為だったのだが、それに気づいた人は当時それほど多くはなかったのである。

 落書きはまた、当時の世界の若者たちに共通する「グラフィティ文化」という社会背景も有していた。私がニューヨーク・マンハッタンの研究所でスラム研究をしていた1970年代は、アメリカではグラフィティ文化の最盛期だった。マンハッタン島の家賃は恐ろしく高いので海峡を隔てたクイーンズから地下鉄通勤をしていたが、その電車は全身落書き(グラフィティ)で覆われていた。地上に出れば車窓に映る建物という建物は悉く落書き(グラフィティ)のカンバスと化していた。既存の権威を象徴する建物が全て落書き(グラフィティ)の標的となり、やがてはそれらが普通の建物にも広がっていった。下町全体が落書き(グラフィティ)で覆われるようになっていったのである。

 しかし、時代は大きく変わり、今では下町のスラムでも落書き(グラフィティ)はもうほとんど見られなくなった。人々の環境への関心が高まり、荒んだ空気が和らぐにつれて落書き(グラフィティ)は次第に姿を消し、代わって「アメニティ」がまちづくりのキーワードになった。コミュニティの主張や個性が建築や植栽のデザインで表現され、公共広場のマネジメントなどを通してアピールされる時代になったのである。

 ソーシャルネットワークサービスの普及の影響も大きかった。人々のコミュニケーションがソーシャルネットワークを通して飛躍的に拡大するにつれて、反権力の表現手段の一つでもあった落書き(グラフィティ)が効力を失っていった。私たち「21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会」は、こうした時代の変化を踏まえて新しい方針を提起した。それが「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」だったのである。(つづく)
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