2008.09.09 我孫子市が平和事業推進条例を制定
全国でもまれ、市民の熱意実る

岩垂 弘 (ジャーナリスト)


 非核自治体全国草の根ネツトワーク世話人会編集・発行の「非核ネットワーク通信」第123号(8月1日号)を見ていたら、千葉県我孫子市(人口13万6000人)で、「平和事業推進条例」が制定されたとの報告が載っていた。自治体による平和行政を条例によって恒久化しようという試みは全国的にもまれで、大いに注目していいニュースだ。

 「非核ネットワーク通信」に載っていた報告は「我孫子市の平和事業推進条例と私」と題する一文で、筆者は我孫子市消費者の会会長の和田三千代さん。
 和田さんによると、市議会でこの条例が可決されたのは今年の6月25日とのことだ。が、全国紙の地方版で報道されただけだったので広く知られることもなく、私はこの事実を「非核ネツトワーク通信」で初めて知った。

 私がこのニュースに関心をもったのは、かつて私が新聞記者をしていた1980年代末に、平和運動関係者の間で、自治体に「平和条例」を制定させようという動きがあったからだ。「自治体に平和実現のための事業を推進させよう。そのためには、自治体の首長が代わっても自治体当局が引き続き平和行政を推進することを義務づけた条例をつくるのが効果的だ」というのが運動の趣旨だった。
 また、この運動は当時、全国の自治体で非核平和都市宣言が相次いでいたこと関係していた。この運動を提唱した人たちの中では「自治体が非核平和都市宣言をしただけでは単なる一片の紙切れで終わりかねない」との見方が強く、「そうした事態を避けるめには、財政支出を伴う平和事業を条例という形で行政に義務づけることが必要」として平和条例づくり訴えたのだった。

 私の記憶では、こうした運動が最も盛んだったのは東京都中野区だった。ここでは、市民有志や区議会の革新政党議員らが中心となって運動を続け、ついに「中野区における平和行政の基本に関する条例」の制定にこぎつけた。1990年のことだ。おそらく、この種の条例では初めてのものだったと思う。
そこには、こうあった。
 「中野区は、平和行政を推進するため、次の事業(以下『平和事業』という)を実施するものとする。(1)日本国憲法に規定する平和の意義の普及(2)平和に関する情報の収集及び提供(3)区内及び国外の諸都市との平和に関する交流(4)その他、この条例の趣旨に基づき区長が必要と認める事業」(第3条)
 「平和事業に要する財源を確保するため、中野区平和基金(以下「基金」という)を設置する」(第4条) 

 私は当時、この条例制定に至るまでの一連の動きの報道にあたった。それから18年。我孫子市でも同様な条例が制定されたと知って「運動はまだ続いていたのか」と興味をそそられた。この運動に詳しい西田勝・平和研究室(千葉県浦安市)は「平和条例の制定は依然として或る日、突然という感じで続いている。最近ではとても珍しい」といい、我孫子市企画課も「これまでに同様の条例を制定した自治体の数を把握していないが、全国的には数少ない条例と思う」と話す。  

 条例の冒頭部分はこうだ。
 第1条 この条例は、我孫子市平和都市宣言(1985年12月3日)の趣旨を踏まえ、世界の恒久平和を願う市民の協力と参加のもとに平和事業を推進することを目的とする。
 第2条 本市は、前条の目的を達成するため、次の事業を実施する。(1)平和に関する情報の収集、保存及び提供に関すること。(2)国内外の都市との平和交流を推進すること。(3)平和に関する教育の推進に関すること。(4)平和に関する講演会・演奏会・展示等の実施に関すること。(5)平和祈念式典の実施及び平和記念碑の維持管理に関すること。(6)前各号に定めるもののほか市長が必要と認めるもの。

 和田さんによれば、我孫子市は1985年に平和都市宣言を行い、2005年には「戦後60周年記念平和事業」を実施した。この事業を行うにあたっては、市内の各界代表による「戦後60年記念平和事業検討委員会」を発足させ、その答申に基づいて19の事業が行われた。中学生の代表を8月6日の広島市平和記念式に派遣したほか、市民の戦争体験記を刊行したり、戦争に関する資料の展示会や映画会などを催した。
 和田さんはこの委員会の委員を委嘱されたことから、この時の平和事業にかかわったが、和田さんを含めた数人の委員は、この事業をこの年だけで終わらせず継続することが大切だと考え、「条例化して継続すべきだ」との発言を続けてきたという。

 和田さんは、同市の2007年度平和事業推進委員会の委員にも選ばれた。そこに、市側から平和事業推進条例の案文作成の要請があり、和田さんは自らの案を提出。他の委員からも案文が出され、市当局はこれらを修正して議会に提案、賛成多数で可決されたという。
 同市では、同市在住の被爆者が毎年8月に平和祈念式を催してきた。和田さんは、父が出張先の広島で被爆死したので、毎年、この平和祈念式に出席してきた。が、被爆者の高齢化が進み、被爆者の手だけで祈念式を続けることがこれからは難しくなるのではと思うようになった。そこで、条例に「平和祈念式の運営に市が関わる」との規定が盛り込まれるよう主張した。結局、条例には市が実施する事業の一つに「平和祈念式典の実施及び平和記念碑の維持管理に関すること」が盛り込まれ、和田さんの願いはかなえられた。
 和田さんは「これで、市側の体制にかかわりなく、我孫子市のささやかな平和事業を継続できると、私は評価しています」と書いている。


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