2008.09.15 夕さらば君に逢はむと思へこそ日の暮るらくもうれしかりけれ
チベット高原の一隅にて(23)

阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)


わたしの考えでは、男と女の問題はじつにカネと並んで人生を彩る二大テーマである。
5年前、青海省西寧から100キロほど奥地のチャブチャで師範学校の教師をした。現役時代の学生は男女にまつわる話はあまりしなかった。チベット人社会では師弟、親きょうだい、近い親戚の前では性に関する話はタブーである。
卒業してからは、やや遠慮がとれたせいか少しずつ話すようになったので、その話を少しずつ書きます。

チベットでもモンゴルでもトゥ(ツァハンモンゴル)でも、若者が親と同等の労働ができるようになると大人として認められる。地方によりけりだが数え年で17,8歳、遅いところでは20歳くらいである。成人の通過儀礼があるところもある。むかしは父親が息子に短刀を渡すなどした。女には髪の毛を細かくすだれのように編む儀式があった。いまも残っているところがある。
「とにかく大人になれば、親は子どもがだれと恋愛しようが文句はいえません」
これは非常に強い慣習らしい。
中国の大学は全寮制だから寮内で恋愛がないはずはない。標高2800メートルとはいえ、夏はキャンパス裏山の草が長くのびてしゃがむと隠れるくらいになる。草むらには愛を語ったあとがあった。寮では誰と誰が近づきになり、誰々が離れたかまる見えだが、わきから口を出すことはまずない。ところが、先生は別格らしかった。
中国の大学生は自習を寮ではなく割当てられた教室でする。そこで夜の自習時間に先生が教室を見回る。恋愛にとくべつ「厳しい」教授が一人いた。
「男女二人だけで話していると、エモノを見つけたタカのように飛んできてぶん殴りました」
チベット高原でも女は魅力をふりまき男はそれに吸い寄せられて女を口説くこと、日本同様です。もちろん男女逆の場合もありますが少ないでしょう。
伝統的な習慣がのこっているのは、純牧畜地帯のゴロクとか玉樹地方である。あるゴロク出身者はおそらくは両親の時代の話だといって、こう言った。
 「牧民の男は女の子が遠くに見えると『ライ』をうたいます」
『ライ』は情歌である。男は気持をいろんな比喩で表す。自分を空に舞う鳥、彼女を草原に立つ木にたとえて、「わたしは木にとまりたい。でも風が木を揺する」などと歌う。女もまた歌って気持を返す。
「気のないときは答えないか、ダメということを遠まわしに歌うのです。うまくいくと二人は親しくなります」
もちろん歌だけではない、若い女を見つけるとヨーデルのような裏声で呼びかけたり、またそばへ行って女の子の帽子を取ったり、友人を介して口説いたりだが、ここでは細かい方法は省略する。とにかく、女が男に多少とも気があるとわかれば、男はすり寄ってどこで会うとか今夜行くとかと約束がなりたつ。

いまや農村牧野では男ばかりか女も農閑期といわず出稼ぎをする。町でレストランやホテルなどの仕事をする女の子も多くなった。カネと性の誘惑はつきものだ。町の恋愛の習慣がいったん入ると、情歌を歌って何とかするなど悠長なことはしていられない。市場経済は愛の告白も能率的直接的なものとした。
自分がかっこいいとおもっている男は、「ぼくはチョーもてるんだ。君もぼくとつきあわないか」などと誘う。大きな町では酒を飲んで11時、12時になると、一緒にホテルへ行かないかということになる。美人で中国語の達者な日本人留学生は、ゴロクのさる町で真昼間、僧侶にいい寄られた。
「今夜、ぼくと寝ませんかというんですよ。破戒坊主め!」
 「ああ、それは多分ニンマ派の僧侶です。ニンマ派は寺によっては妻帯を許すから破戒といえるかどうか」
話を聞いて驚き、やがてなっとくしたことがある。
「男も女も同時に二人、三人の恋人を持つことがあります」
相手にも自分も含めて複数の恋人がある。それを互いに知っていることもあるというのだ。日本では相手が二人いてコトがばれたら大変だ、嫉妬はないのか聞くと、
「ぼくはなかった。人によります。真剣にひとりだけを愛しているとき、相手に複数の恋人がいるとなると問題です」
複数の恋人がいたら失恋も多かろう。――この場合失恋の痛みは深刻ではないかもしれない。恋愛でも(家事労働でも)男と比べて女は損だという。
「男も女も相手を取替え引換えするのはほめられたことではありません。とくに女は評判が落ちてしまいます」

どこで愛を語るのかも聞きました。
金曜日の夕方はかなりの学生が町の映画館へ出かけた。オールナイトの映画を見て土曜の朝眠そうな顔をして寮にぞろぞろ帰る。そこはデートの場所でもあるらしい。
「いや、町に招待所とか安い旅館もありますよ」
牧野でも恋は恥ずかしいから両親や知人にわからないようにやる。夏はやはり草原がいい。とはいえ人に見られる。大きな岩でもあれば好都合だ。そういえば風除けの土塀の陰で楽しんでいるのがいたなあ。
年頃の娘は家族の大テントからちょっと離れて小さい三角形のテントを張る。忍び込むのには好都合だ。ところが番犬のチベッタンマスチフが強敵だ。手なずける方法はあるが。
冬は恋の道もきびしい。零下20度を下回る氷雪と強風のなかで――というわけにはいかない。寒風をついて遠い道を昔なら馬で、今はオートバイで行く。ねらいは娘の部屋だ。家のまわりを大人の倍くらいの高さの土塀が囲んでいる。これを苦労して乗越え、彼女の部屋の窓をさがしあてて、コツコツとたたく。
両親のほうはそれと察しても、婚約者なら問題ない。どこの馬の骨ともわからないときでも黙認する。ところがカンカンに怒った親爺がとびだすこともある。若者は逃げる。
男がほかの女に気を移せば、せっかく女が待っていても、せつないことに男が来なくなることもある。こればかりは仕方がない。かたく処女性?をまもるのもいる。
「母によると結婚前に男と寝ていいことは何もない。だからわたしは恋人ができても寝ません」

ここで江蘇省北部の大学での経験を話します。みな漢民族です。
わたしは早寝だから知らなかったが、夜のグラウンドはアベックの展示場だ。隣など気にしないとのこと。白昼、キャンパスのど真ん中で抱合っているのもいた。わたしは担任の学生たちにいった。
「元来二人だけでやるものではないか。衆人環視のなかでのキスなどガラの悪いことおびただしい。日本語専攻の諸君だけでも品格を保たねばならない」
みなまじめな顔をして聞いていた。
「ホテルへ行きなさい。カネのない人はぼくが貸す」
「借りておけよ」という声があがって笑いがはじけた。一方「先生、わたしたちの部屋のものはみな処女です」といったのがいて、おそれいった。大学でも漢民族の道徳が主導する。わたしは女子学生の妊娠が心配だった。妊娠がばれたら退学もある。

舞台をチベット高原に戻します。
避妊のなかった昔、当然のことながらこの状態では未婚の母が出る。性病も流行した。ところが、日本や中国かつての欧米と違い、チベット高原の農村牧野では未婚の母が差別されたり侮蔑されたりすることはない。村落共同の義務的行事にきちんと参加していれば、母子だけの家庭を築くことができる。
1949年の革命の直前、カム地方のデルゲ(徳格)では片親だけの家庭が数十パーセントに達した。多くは母親だけだ。その娘も未婚の母になることがある。男がかなりの人数で出家するから男女のバランスが崩れるのだ。このごろは結婚前の出産を恥だという人もいる。だが民族中学の教師数人に聞いたところ、今でも性をめぐる伝統は農牧村では基本的には変わらない。
ある教師の話だと、今学期牧野から来た新入生の調査書のなかに「孤児」としてあるものが数人いる。未婚の母も結婚する。そのとき連れ子をするが、子どもの養育を自分の父母に託すこともある。後者が「孤児」と記されたのである。
熱烈な恋愛をしても、親のきめた結婚をするものもいる。自分は恋愛経験豊富だと話した若者も「家内は父の友人の娘で、わたしたちの結婚は父同士が決めたものです。わたしは結婚するまで彼女と話をしたこともありません」
かれの弟の場合は純愛を貫いたという。弟は大好きな民族中学の同級生と結婚した。「そのときもう父は亡くなっていました」とかれはいった。
語れば話は尽きません。とりあえずここまで。



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