2019.07.20 「先進国で最低の投票率」の汚名返上を
明日、参院選挙
     
岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 いよいよ、あす7月21日(日)は参院選挙です。一部メディアは投票率が前回参院選挙(2016年)を下回るのでは、と予測しています。日本の国政選挙の投票率は、先進国の中では最低です。でも、今度の参院選は、これからの日本の命運を決しかねない全国民にとって極めて重要な選挙です。1人でも多くの有権者が投票所に足を運ぶことが求められている、と言っていいでしょう。

 先日、NHKラジオを聴いていて気が重くなりました。それは、NHKが参院選公示前の6月28日から30日にかけで行った全国世論調査の結果でした。それによると、「投票に行くか」という問いに、「必ず行く」と答えた人は49%。これは、3年前の「必ず行く」を11ポイント下回る、とNHKは伝えていました。
 街を歩いても、まことに静かで参院選への熱気が感じられず、今は参院選中なのかと思わせられる日々でしたから、「やはり参院選は低調なんだな。この調子だと低い投票率になりそうだ」と思わずにはいられませんでした。

 以前から、日本では選挙の投票率がなぜこうも低いんだろう、と考え続けてきました。この傾向は国政選挙でも地方自治体の選挙でも変わりません。ここでは、外国、なかでも先進諸国の国政選挙と比べてみましょう。
 
 日本の国政選挙の投票率は以下の通りです。 
 <衆院選挙>1953年の76・99%をピークに年々低くなり、ここ3回は2012年=59・32%、2014年=52・66%、2016年=53・68%
 <参院選挙>1980年の74・54%をピークに年々低くなっており、ここ3回は2010年=57・92%、2013年=52・61%、2016年=54・70%
 要するに、最近は衆院選挙も参院選挙も有権者の2人に1人、つまり半数しか投票所へ足を運んでいないのです。

 一方、先進国の国政選挙での投票率はどうでしょうか。
 ドイツの連邦議会選挙(2017年)=76・2%、
 フランスの大統領選挙(決戦投票、2018年)=74・56%
 イタリアの上院・下院選挙(2018年)=72・93%
 イギリスの総選挙(2017年)=68・7%
 カナダの連邦議会選挙(2015年)=68・5%
 アメリカの大統領選挙(2016年)=54・7%

 要するに、先進国では日米が最低ということですね。最近、「日本は世界最高だ」と自賛する日本人が少なくありませんが、国民の政治参加という面でみる限り、とても「日本は世界最高」と誇れる状況ではありません。
 なぜ、日本では選挙の投票率が低いのか。それには、さまざまな歴史的、社会的要因があるでしょう。が、それをここで追究する紙面的な余裕がありませんので省略します。

 ともあれ、選挙における投票は日本国憲法で保障された日本国民の基本的権利です。すなわち、日本国憲法は第1条で日本国の主権は国民にあると規定し、第3章で31カ条ににわたって「国民の権利及び義務」を明らかにしていますが、その中の第15条で「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と述べています。
 
 そればかりではありません。憲法は第12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と述べているのです。つまり、憲法で保障されている国民の権利を棚に放置しておいてはいけない、「国民の不断の努力」によって保持しなければならない、と呼びかけているのです。逆に言えば、国民の諸権利は、国民が絶えずそれを行使してこそ初めて維持される、と言っているのです。選挙権にならして言えば、「棄権するな、ぜひ投票を」ということでしょう。 

 石川県津幡町在住のエッセイスト、水野スウさんは、自宅で憲法カフェ「紅茶の時間」を開いたり、全国各地で出前の講演会を行ったりして、憲法の普及に努めています。水野さんは、憲法第12条に「国民の不断の努力によって 」とあるところを「ふだんの(不断の、日々普段からの)努力によって」と読み替え、第12条への理解を深めるよう訴えています。
 「ある時、辞書をひいてみたら、『不断』には『普段』という意味もあることを発見したんです。となれば、不断とは、普段できるくらいの小さいことをずっと続けることだ、と解釈したってまちがいじゃありません」(水野スウ著『たいわ・けんぽうBOOK+』)

 さて、また投票率のことに戻りますが、今度の参院選で投票率が低かったらどうなるのか。おそらく、組織力をもつ自民党と公明党に有利な結果、無党派層が頼りの立憲野党には不利な結果をもたらすでしょう。もし、自公、日本維新を中心とする改憲勢力が参院議席の3分の2以上を占めることになれば、自民党は公約に従って一気に改憲作業を加速させるでしょう。
 有権者の半分が投票したに過ぎない選挙結果に基づいて「国民の同意を得たから」として改憲作業が進められるなんて、私にはたまりません。
 改憲に賛成であれ、反対であれ、今度の参院選では、有権者が投票所に足を運ぶことが従来にも増して求められていると思えてなりません。なにしろ、選挙結果によっては、私たちの国は重大な局面を迎えるわけですから。

Comment
学校で「女性の選挙権は戦後の新しい憲法ができて初めて認められた」と教えられた時の衝撃は今でも忘れられません。「母は長い間一人前の人間として扱われてこなかったんだ」と。
その権利を獲得しようと多くの女性たちが闘ってきた。だから私は選挙権を得てから一度も棄権せず今日まで来ました。ですが、ふと「こんなことをしていても無駄ではないか」と思うときがあります。

第一には集計をムサシにしてから不正があるとの話。単なる風説かとも思いましたが、期日前投票で長蛇の列だったのに発表された投票者数とあまりにも乖離し過ぎていたこと。閑古鳥が鳴いていた候補者のトップ当選。ムサシによる不正が本当に行われていたとしたら、いくら投票しても無駄ではないか。

町の中心でも住まい周辺でも投票を呼び掛ける働きは全くありません。自治会で配布されるのは夏祭りのチラシだけ。住まいも職もなくした若者たちが増えていますが、この人たちに投票用紙は届きません。定住者の私を含めてみんな疲弊しきっているから諦観だけで生きているようなものです。

でも私は今度も投票に出掛けます。油性ペンを持って。なによりも危険な「緊急…」法案を通さないために。
K・F (URL) 2019/07/20 Sat 09:22 [ Edit ]
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