2019.07.31 新宿ゴールデン街は日本の未来か幻想か
       極めて稀な多文化で平和な安全地帯

杜 海樹(フリーライター)

 東京新宿のゴールデン街と言えば、300店ほどのバー等が長屋形式で軒を連ね、朝まで呑だくれの溜まり場として名を馳せて来た所であり、よいイメージで語られることはほとんど無かった。戦後の闇市から、青線、新宿騒乱、ボッタクリ、地上げ屋騒動・・・とあり、怖い街の代表格のようにも言われてきた。しかし、時は流れ、あろうことかミシュランにも掲載され星2つもいただく日本を代表する安全で優良な観光地へと変貌して来たのだ。筆者自身もゴールデン街に通って長いが、客層の変化は十分実感できるものとなって来ている。

 現在、新宿区には127カ国の外国籍の方々が住民登録をして暮らしている。東南アジアや欧米に限らず、ありとあらゆる国の方々が住んでいると言っても過言ではない。そして、ゴールデン街にやってくる客層も、中国、韓国、ベトナム、アメリカ、オーストラリア、フランス、イタリア・・・と様々になっている。中でも欧米からの観光客はひっきりなしで夜な夜な言語を飛び越えた交流で盛り上り幸せな一時を過ごしている。国際交流という言葉が抽象的に使われることは多いが、実態として国際交流現在進行形の現場というものはなかなかあるものでもない。人種の坩堝とはまさに現在のゴールデン街のことと言っても過言ではなく、この光景を是非とも時代の一証人として目撃していただければと思う。
 
 第二次世界大戦以降、新宿区には中国や韓国出身の方々が数多く住んでおり、近年では新大久保のコリアタウンが有名となっているが、大久保周辺には国際交流促進のNGO等も多くあり、2000年にはゴールデン街の隣にある新宿区役所付近を拠点としたイベント「多文化探検隊」も開催されている。そして、国の違いを超えて助け合う関係を作り出していくことが模索され、母国語が異なる人々が集っての防災訓練も実施され一定の成果も共有されている。その甲斐あってか、新宿区のホームページは英語・韓国語・タイ語・フィリピン語・中国語・フランス語・ベトナム語・インドネシア語等々14カ国語で見られるようになっている。日本においては国際交流は笛吹けど踊らずという感が拭いきれないが、海外からの観光客がどっとやって来る中、少子高齢化・建築物の老朽化等が進む日本において、他とは少し異なるゴールデン街周辺の存り様は一つの未来の手本となり得るかも知れない。現状では地元の日本の方々がやや押し出されてしまっている感はあるが、多文化との共存が今後とも継続発展していくのか、それとも一瞬の幻想で終わるのか、まだその答えは誰も知らないが少しでも良い方向に行ってもらえればと思うところだ。

 ゴールデン街には経営者にもお客にも有名人というか一目置かれる方々が少なくない。歌手や俳優、作家や写真家といった職業の方々はひとつも珍しくなく、ギター片手に店を渡り歩いた流しの故・マレンコフ氏(ソ連時代の最高指導者マレンコフに似ているとのことから皆からそう呼ばれていた)やタイガーマスクのお面を被って新聞配達を続けている新宿タイガー氏などはゴールデン街で知らない人はいない有名人だ。お二方ともドキュメンタリー映画の主人公になっているので、詳しくは何かの機会にでも映画を見ていただければと思うが、自分自身の独自のスタイルを貫いて平和を願い、人生の伴奏者としてゴールデン街にやってくる人々に寄り添う姿は圧巻でもあり小気味良い。地域の独自性といったことが声高に叫ばれる今日だが、マレンコフ氏や新宿タイガー氏ほど地域の独自性に根付いたスターはいないであろう。

 ゴールデン街の店舗はどこも非常に小さい。3坪から5坪程度が平均値といったところで、狭い店の中に大きな体の外国人観光客が肩をすぼめて座っている姿は何ともユーモラスでもある。ある時、何でこんな狭いところにわざわざやってくるのか?と質問したことがあるが、返ってきた答えは「こんな狭い店は自分の国にはない」、「皆と話せて楽しい」といったものであった。

 日本には古来から茶の文化・侘寂の文化があるが、ゴールデン街の狭小空間は侘寂に通じているのかも知れないと思うこともある。バーカウンターの中の主は千利休、テーブルの上のグラスは茶器、壁の張り紙は掛軸・・・そう考えると狭い飲み屋の向こう側にも無限の宇宙が拡がっているように思えてくる。ゴールデン街の一時が誰にとっても結構なお点前でしたであってほしい。
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