2019.09.18 朝日社説「反感をあおる風潮を憂う」を支持、でも、腰が引けていないか

坂井定雄 (龍谷大学名誉教授)

9月16日の朝日社説「嫌韓とメディア 反感あおる風潮を憂う」に同感し、支持する。でも、「風潮を憂う」の見出しは、なんか引退したジャーナリストが憂っているようで、戦う姿勢に欠けてはいないか?
同論説が取り上げている文春10月号の「憤激と裏切りの朝鮮半島/日韓断絶」、週刊ポスト「厄介な隣人なんて要らない」、週刊ポスト「怒りを抑えられない”韓国人という病理“」は、まるで右翼のフェイク宣伝よりもひどい、嫌韓を煽って大売り出しをする、悪質商法。こんなのに1円でも出さないように、駅の売店と本屋で、ページをめくって読んだ。
それらに対し朝日社説は、「最初から相手国への非難を意図するものでは、建設的な議論につながらない。」「韓国人というくくりで“病理”を論じるのは民族的差別というべきだ。」「もし出版物の販売促進や視聴率狙いで留飲を下げる論旨に走るのならば、『公器』としての矜持が疑われる。」と諭している。そのとおりだが、あまりにも穏やかな“諭し”ではないか。言葉を換えれば、戦う意思表示が弱くはないか。
現時点で、安倍政権と、反韓のサンケイ系メディア、一部週刊誌、さらにひどいフェイク情報をあの手この手で流す一部ネット・メディアの反韓国キャンペーンに、国民のかなりの部分が、影響されている。戦後の日韓関係のなかで、最も険悪な状況だ。一方,朝日新聞をはじめ毎日も東京新聞はじめ主要地方紙も、反韓、嫌韓キャンペーンに反感、危機感を持っているはずだ。協議、協調して反韓、嫌韓と戦うべき時ではないか。
16日の朝日社説の下段は、分かりやすい。そのまま、紹介したいー
「もし出版物の販売促進や視聴率狙いで留飲を下げる論旨に走るのならば、「公器」としての矜持が疑われる。
政治の責任もむろん重い。両政府とも相手を責めるのみで、問題があっても善隣関係をめざす原則は語らない。国内世論の歓心をかいたい政権とメディアの追随が、重奏音となって世論を駆り立てるのは危うい。
戦前戦中、朝日新聞はじめ各言論機関が国策に沿い、米英などへの敵対心と中国・朝鮮などへの蔑視を国民に植え付けた。その過ちを繰り返さないためにも、政権との距離感を保ち、冷静な外交論議を促す役割がメディアに求められている。
自国であれ他国であれ、政治や社会のうごきについて批判すべき点を批判するのは当然だ、ただ論議の際には、あらゆる差別を排し、健全な対外関係を築く視座をゆるがせてはなるまい」
(了)
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