2019.10.15  日本の財政は破綻しているのか、いないのか(上)

盛田常夫 (在ブダペスト、経済学者)

 消費税の増減税問題を議論する際に、一定の認識が共有されていなければ実りある議論はできない。
 前提となる認識の共有に必要な論点は、次の通りである。
 ① 日本財政の深刻度はどれほどなのか。日本の財政は破綻しているのか、破綻していないのか。
 ② 国の債務はいったい誰が誰に負っている借金なのか。「国債は国民の債権だから、国民の借金だというのは嘘」、「国の資産と相殺すれば、国の債務はそれほど大きくない」、「日銀が国債を引き受けている限り、財政破綻は起きない」という議論は正しいか。
 ③ 国の債務(累積債務)は放置しても問題ないのか、それとも深刻な結果を惹き起こすのか。どのような結果が予想されるのだろうか。
 ④ 国際比較を行う場合の前提は何か。

日本の国家財政は破綻している
 アベノミクスを擁護する「学者」や評論家は、いろいろな議論を展開して、「日本の財政破綻は起こらない」ことを証明するのに躍起である。自民党政府も、財政問題の深刻さを議論するのを避けて、政権維持にとって不都合な情報を打ち消すことに躍起である。しかし、「財政破綻が起こらない」のではなく、「すでに日本の財政は破綻している」という認識をもたなければ、問題解決は深刻度を増すだけである。政治家は将来の日本社会に責任をもたなければ、政治家として失格だ。次の選挙で勝つために、目先の景気刺激策だけを議論するような政治家は、国を滅ぼす「亡国の政治家」である。
議論を簡単にするために、GDP500兆円、国家財政規模(財政支出)100兆円、財政収入50兆円、国家累積債務1000兆円(GDPの200%)を前提に議論すると、現在の国家累積赤字は財政収入(税収)の20年分、年間の財政赤字は税収の1年分である。財政収支が改善しない限り、累積債務が税収の1年分ずつ増えていく。
 これを一般家庭にたとえると、年収の倍の支出を埋めるために銀行から年収分に相応する融資を受けているのと同じである。しかも、すでに借金の累積は年収の20年分に達している。こういう家庭の収支を見て、「破綻していない」と言えるだろうか。一般家庭は破綻しても、日銀が国債を引き受けている限り、国の借金は永遠に続けることができるのだろうか。国であれ一般家庭であれ、問題の基本的性格は同じである。国の場合には、すぐに問題が顕在化しないだけのことである。実質的に破綻していても、形の上で存続している事例はいくらでもある。家庭の年収は分かるが、国の財政は分からないと最初から理解を放棄してはならない。国も家庭も経済の基本法則から逃れることはできない。
 野党が追及すべきは、財政破綻をもたらした自民党政府の責任であり、その抜本的解決策を求めることだ。まず政権与党が解決策を提示する必要がある。問題を税率軽減に矮小化してはならない。そういう小手先の政策を展開していると、財政破綻がシステム崩壊をもたらした時に、原発事故の場合と同じように、政権を奪還した野党がその責任を取らされる。財政破綻がシステム崩壊をもたらす時には、時の政府は崩壊する。しかし、システムが崩壊した中で、新たに政権に就く野党ができることは何もない。超緊縮政策と債務帳消し政策で国の崩壊を留めることしかできない。最近ではギリシアの事例を見ればよく分かる。緊縮政策反対を掲げて政権についた左派政権は結局のところ、緊縮政策を実行する以外に方策がなかった。そして、野に下った。まさに原発事故のように、自民党はシステム崩壊の責任を放棄し、新たに政権に就いた政党に責任を転嫁するだろう。

国の借金は将来世代が払うべき債務
 国の借金(債務)は将来世代に先送りされた債務である。現世代の国民は将来世代の国民の税金を前借りして、年金や健康保険などの福祉サーヴィスを享受している。形式的には、現世代の債務は将来世代の債権だが、将来世代の債権が回収される見込みはほとんどない。それが意味するところは何か。
将来世代の国民、つまり今生きている子供や孫が受け取るべき債権がチャラにされ、現世代が浪費したために、将来世代の国民は享受できるはずの社会的サーヴィスを受けられなくなる。年金の大幅削減、健康保険の自己負担率の大幅な引上げによって、将来世代の国民が得る社会的サーヴィスは大幅に削減される。それもこれも、親の世代が積み上げた借金のためである。「国の借金が日銀に買い取られると、消えてなくなる」という魔法はない。それはたんに帳簿上の操作に過ぎない。記帳された債務はいつかの時点で精算されなければならない。
 アベノミクスは高度成長によって財政赤字が解消されるという根拠のない楽観論で借金を積み上げている。労働人口の純増がなければ、消費主導の高度成長などあり得ない。しかも、これから日本は人口(労働力人口)が縮小する時代に入る。ますます国家債務の削減が難しくなる。システム崩壊を座して待つか、社会的サーヴィスの大幅削減を受け入れる以外に道はない。だからこそ、財政再建のために、今から自民党政府の責任を追及し、システム崩壊の衝撃を可能な限り小さくしなければならない。

国の債務は放置しても問題ないのか
 日銀は商品やサーヴィスを作っている訳ではない。日銀券を発行し、債権債務の帳簿管理を行っているだけである。日本経済の奥行きが深いから、債務が適切に管理されていれば、すぐに破綻が顕在化することがないが、その手綱が緩むとハイパーインフレを惹き起こす。生産の裏付けのないお金の流通は、必ずハイパーインフレを惹き起こす。しかも、歴史上、左派政権がハイパーインフレを惹き起こした事例が多数ある。
 近代の人類の歴史を見れば良い。日本で戦時国債が発行されたときには優良債権として宣伝された。しかし、戦後のハイパーインフレで戦時国債はただの紙切れになった。20世紀の戦争が終わる度に、積み上げられた国家債務(戦費)はハイパーインフレを惹き起こした。1989年を境とするソ連・東欧社会主義の崩壊でも同じことが起こった。戦争を経過することなく、鎖国状態が解かれた社会主義世界は、浦島太郎が玉手箱を空けた時のように、体制転換恐慌に見舞われ、一夜にして超インフレ世界に陥った。20世紀社会主義国家の場合には、国民経済制御で決定的な過ちがあった。共産党独裁のもとなら、「経済問題は政治主導で解決できる」という唯我独尊の過ちである。共産党独裁が経済運営にもたらした最大の誤謬である。経済論理を無視した政治主導が債務を累積させた。体制転換過程においても政治権力が紙幣(政府紙幣と中央銀行券)の発行を牛耳った。それがハイパーインフレを招いた。
旧ユーゴスラヴィアでは歴史上例を見ないハイパーインフレに見舞われたが、これは政権が生産の裏付けのない銀行券を刷りまくったからである。セルビアのディナールは1994年1月に、歴史上例を見ない月率3.13×108 %の途方もないハイパーインフレ状態に陥った。ポーランドの1990年における平均インフレ率は787.09%に達した。旧ソ連の共和国では政府紙幣を発行したために、軒並み数千%のインフレに見舞われた。チェコスロヴァキアやハンガリーのインフレはこれに比べて小さかったが、それでも年間30%を超すインフレが数年にわたって続いた。この超インフレで旧社会の債権-債務は消滅し、新たに銀行融資を受けた者や融資を踏み倒した者が巨額の富を築いた。何時の時代にも、国民のほとんどが大きな損失を被り、一部の知恵者や権力者(周辺)が漁夫の利を得る。
東欧社会主義の成立から崩壊に至るまで40年を要した。北朝鮮はいまだに国家を維持しているが、やがて統一国家問題が浮上するときに、システム崩壊状態が赤裸々になるだろう。
 日本の左派はソ連・東欧社会主義を褒めそやしていたが、その崩壊とその後の事態について口をつぐんでいる。20世紀社会主義崩壊の社会分析を放棄している。地球の三分の二の人口が社会主義社会で生活していると称賛していたのに、それが崩壊した途端に知らんふりである。その崩壊から学ぶという真摯な態度が見られない。「理想と異なる社会だったから崩壊して当然」という屁理屈で、20世紀社会主義崩壊の分析を怠っている。歴史から学ぶことなく、言い訳して済ませようという「事なかれ主義」である。こういう態度で社会改革などできるはずがない。
 社会が積み上げた債務、金銭的な債務だけでなく種々の社会的システム上の債務を、筆者は「体制債務」と称している。体制債務は適時的に処理されなければ、いつかの時点で抜本的な解決が必要になる。適切な処理を怠れば怠るほど、システム崩壊時の衝撃が大きい。システム崩壊が何時来るかは分からない。それは関東大地震と同じである。しかし、必ず来る。だが、その時に右往左往してももう遅い。日本の場合には国際的な経済不況や恐慌が引き金になるだけでなく、地震などの天災や原発事故がシステム崩壊のきっかけになる。なぜなら、膨大な債務を抱えたままでは復興ができないからである。いったん、国の債務をチャラにしてリセットしないと、社会の再建ができない。これはこれまでの人類社会が辿ってきた厳然とした法則である。
 これらの社会的歴史的教訓を学ばず、国家財政の基本問題に取り組まず、目先の利益や短期的景気浮揚だけを追う政党は、右左を問わず、みな選挙のことしか念頭にないポピュリスト政党である。(続く)

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