2019.11.02 スバル座と八千草薫
―日米映画競映への道と見れば―

半澤健市 (元金融機関勤務)

 東京・有楽町のスバル座が閉館になった。2019年10月の現実である。
この映画館は、戦後日本における「ロードショー」劇場の先駆者であった。敗戦後の一時期、スバル座のロードショーはアメリカ文化のショーケースの役割を果たした。初回上映作品は、『アメリカ交響楽Rapsody in Blue』、ジョージ・ガーシュインの伝記映画である。

《『我等の生涯の最良の年』の勝利》
 新制中学生であった私にとって「スバル座」は憧憬の対象の一つであった。
スバル座で何本見たかの記憶はないが、記憶に残っている作品はある。
一本を選べばそれは、『我等の生涯の最良の年』である。
のちにマッカーシーの赤狩りへの抗議『ローマの休日』を撮ったウィリアム・ワイラー監督が放った大作である。46年のアカデミー賞を九つ取った。興行成績も戦前の『風と共に去りぬ』に次いで第二位となった。

同じ地方都市出身の三人の復員兵が、第二次世界大戦から帰還してからの物語である。
戦場は主に太平洋戦線という設定である。年長の陸軍軍曹(フレドリック・マーチ)は、妻(マーナ・ロイ)と男女二人の子供(娘はテレサ・ライト)のいる銀行管理職。30歳前後にみえる青年は空軍では飛行将校(ダナ・アンドリュース)だが、ドラッグストアの売り場で働いていた。戦場に出たのは新婚直後であったが帰国したら、妻はナイトクラブで働らき、夫の職探しに妻は冷淡で、浮気をしている。年少の海軍水兵(ハラルド・ラッセル=実際の海軍兵士、映画初出演)は空母の船底での作業に就いていた。空母に大きな衝撃が走り気がついたときには両手を失っていた。肘から先は義手であるがタバコも吸えるほどになっている。しかし両親にも恋人である隣家の娘にも知らせていない。三人の帰還兵は、それぞれ自分の問題をどう解決し、どのような生活を作り上げていったのか。

《戦中戦後を「生涯の最良の年」と見た米国》
 細部を描く紙数はないが、一言でいえばワイラーはアメリカ映画のハッピーエンディングの伝統を大きく逸脱させることはなかった。しかし手放しの楽観主義ではない。戦後のアメリカを垣間見せる辛い場面も随所に挿入した。
厳格ではあるが家族思いの父親であるF・マーチが、戦利品である日本刀を前にして息子に戦場の現実を語る。息子は原爆の残忍について話す。二人の会話は日本人にとって愉快なものではないが、同時に穏やかに反戦への意思を示していて、米国万歳ではなかった。
廃棄予定の運命にある数百機の爆撃機B17が写る。その一機の操縦席に座って、爆撃体験を回想する飛行将校は、市民感覚を失っていて就職活動に苦労している。これも戦後の一面を語っている。The Best Years of Our Livesという原題は、勝者のアメリカを表現しながら、ある種の反語性の表現でもある。私はずっとそう思っている。

《敗戦国の復員兵はどう描かれたか》
 このころ、日本でも復員兵の帰還は劇映画の一つのジャンルであった。
『戦争と平和』(東宝・46年・山本薩夫・亀井文夫監督)、黒澤明の『素晴らしき日曜日』(東宝・47年)、『酔いどれ天使』(東宝・48年)、『静かなる決闘』(大映・49年)、『野良犬』(東宝・49年)は、いずれも敗戦国の広義の復員兵映画である。『戦争と平和』は、妻岸旗江が夫伊豆肇戦死の報を聞き、伊豆の親友池部良と事実上の再婚をする。空襲の衝撃で池部が精神に異常をきたすなか、中国人に救出されていた伊豆が帰国してくる悲劇を描いた。しかしGHQの指導で大幅カットを迫られ、民主憲法制定万歳の不可解な作品となった。
これらの真面目な作品でも、しかし、天皇制や戦争責任への視点は排除されている。マッカーサー将軍の率いる「解放軍」は、観客や読者に分からぬように「検閲」を行っていたからである。

以上は、スバル座閉館を知って浮かんだ感想であるが、作品の評価はリアルタイムに私が考えたことではない。1935生まれの私は、同時代にはまだ、これらの映画のメッセージを理解できなかった。書いたのはのちに考えた結果である。

《宝塚歌劇の娘役による「日本女性」の表現》
 1947年、スバル座が東京の米映画ファンを魅了していた頃、一人の美少女が宝塚歌劇団へ入り翌年に可憐な娘役としてデビューした。その女優の名は八千草薫という。私は宝塚歌劇を見たことがないし、八千草の映画も多くは見ていない。しかし2019年10月24日に88歳で逝った彼女についても、少しだけ書いておきたい。

印象が強い映画は、『宮本武蔵』、『蝶々夫人』、『雪国』の三本である。
いずれも映画女優としては初期の作品だ。
『宮本武蔵・三部作』(東宝・54~56年・稲垣浩監督)では、タイトルロール(三船敏郎)を慕う娘「お通」に扮した。この作品は、1956年にアカデミー賞の外国語映画賞(当時の名称は「外国語映画名誉賞」)を獲得した。
三船の武蔵、鶴田浩二の小次郎の熱演、稲垣のテンポのよい画面展開があった。東宝モダニズムがハリウッドの日本発見意欲に適合したのであろう。純情可憐な八千草と情熱的な演技で朱実に扮した岡田茉莉子が力を貸したかも知れない。『羅生門』(黒澤明・大映・50年)は51年に同じ賞を、『地獄門』(衣笠貞之助・大映・53年)は55年に衣装デザイン賞を取った。
『蝶々夫人』(1955年・日伊合作)は宝塚歌劇団がローマのスタジオで作った作品である。私は日本公開時に見たと思っているが、主役の八千草が美しく、「フジヤマ・ゲイシャ」的日本と言われようが、宝塚商業演劇の完成度にうっとりしたのを覚えている。のちにDVDが発売されたが、退色がひどくて失望した。オリジナルの色彩が前提だが、大画面で見る価値がいまでもあると思う。
『雪国』(東宝・1957年・豊田四郎)は、ノーペル文学賞を受賞しながら自裁した川端康成作品の映画化である。越後の温泉街を舞台に韜晦する日本画家(池部良)と芸者駒子(岸惠子)の間にあり、駒子の義妹葉子に扮した八千草は清冽な印象を残した。だが話は彼女を巻き込む悲劇となる。主人公は原作では作家とされている。

メディアの追悼には八千草演ずるテレビドラマへの言及があったが、私は見ていない。
一つ、調べがつかなっかったのは、私の見た帝劇の『ママの貯金箱』という芝居に彼女が出ていたかどうかである。これは、1946年に、エリア・カザンが監督第二作としたアメリカ映画を翻案したもので、ブルックリンに暮らす貧しい一家を描いた良質のホームドラマであった。

《期せずして実現した「日米映画競映」の勝敗は》
 黒澤明は、戦中のエッセイにこういうことを書いている。
■現在、国民映画とアメリカ映画の競映をやったら、どっちに多くの見物人が入るだろうか? 例えば紅系(上映系統の名称)に「姿三四郎」、白系にフランク・キャプラ作品、ゲーリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒ作品と来たらどうだろう。負けたら切腹ものである。しかし、キャプラという奴は全くうまい。少なくとも僕よりうまいのは確実である。その上、敵のシナリオがリスキンときたらどうだ・・これも僕には勝目はない。よし、大河内伝次郎と藤田進でゲーリー・クーパーを、轟夕起子と花井蘭子でディートリッヒを圧倒したとしても苦戦は確実である■。(「一番美しく」、『新映画』、43年3月号)

黒澤が幻想した日米競映は、戦後に意識せぬかたちで実現したといえるであろう。
ウィリアム・ワイラーには黒澤明、稲垣浩が闘い、マーナ・ロイとヴァージニア・メイヨーには、京マチ子と八千草薫が対峙した。九つのアカデミー賞に対して二つの外国語映画賞ではあった。しかし英語以外のセリフの映画は一括して「外国語映画」に分類する差別的コンクールにあって、日本映画は善戦健闘したというべきであろう。私の「スバル座と八千草薫」は、すこし脱線したが、これも日本映画発展史の一コマと読んで頂ければ幸いである。(2019/10/30)

Comment
■黒澤が意識したフランク・キャプラはこういう監督でした。以前の拙稿です。
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半澤 (URL) 2019/11/02 Sat 20:39 [ Edit ]
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