2019.12.23 全琫準(チョンボンジュン)がやってきた 記憶と反省と想像(3)
韓国通信NO623

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

ローソクデモを知れば知るほど韓国人のパワーに驚ろかされる。つくづく日本人との違いについて考え込んでしまう。血液型、宗教、大陸と島国の違い、騎馬民族と農耕民族といった民族性の違いも考えられる。が、いずれにしてもあのようなローソクデモが突然起きたとは考え難い。やはり韓国の市民運動を考えるうえで韓国の歴史を知ることが何よりも大切ではないか。
「東学農民戦争」、「3.1独立運動」、「光州事件」、「6.29民主化宣言」は韓国にとって決定的な大事件だった。これらに焦点を当てて考えてみたい。

東学農民戦争(革命)
韓国の市民たちの東学農民戦争に対する認識は近年ますます高まっている。日韓の学者たちの研究がそれに貢献したことも事実だ。現代に生きる東学思想と農民戦争を追った。

<ローソクデモの中で>
2016年12月、全国各地からトラクターに乗った「全琫準闘争団」がソウルに登場した。彼らは全国各地から約1000台のトラクターに乗って3週間かけて集会に乗りつけた農民たちだ。私もそれを聞いて「全琫準が生きている」と衝撃を受けた。その年の10月、私は大邱から始めた東学農民戦争の戦跡をまわる旅を終えて帰ってきたばかりだった。
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<上写真/市民から歓呼を浴びる闘争団>

闘争団の団長は語る。
「お集まりの親愛なる皆さん! 私たちは歴史の荒波をかき分け、ここにいます。新しい歴史は今から始まります。私たちは普段は田畑を耕しますが、間違った政治を正すためにアスファルトも耕します。この腐り切った世の中をたがや耕し返し、希望のタネを蒔くために私たち農民は命をかけます。警察が止めたトラクターに再びエンジンをかけます。民衆の闘いが朴大統領を追い込む時です」(12月8日)
「東学農民」の出現に市民たちは驚き、感動したことは想像に難くない。1000台のトラクターが時速30キロの速さで「大統領退陣」の旗を掲げて行進するさまは、さぞ壮観で、沿道の人たちに熱烈に歓迎されたことだろう。それは東学農民革命が生き続けていることを、多くの人たちに強く印象づけた。

<東学農民戦争とは>
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李朝末、庶民、特に農民たちは地方官吏の苛酷な搾取に苦しんでいた。教祖 崔済愚(チェジェウ)によって唱えられた「東学」思想が広まった。東学は西学(キリスト教)に対抗して生まれたもので、その主張は①侍天主(じてんしゅ) 人乃天 (すべての人が自分の心に天を持っている「天心即人心」)②輔国安民(ほこくあんみん)(「斥和洋」国の独立をはかる)③後天開闢(こうてんかいびゃく)(必ず未来は開ける)④有無相資(うむそうし)(助け合い)といったものだった。こうした主張は王朝によって世の中を惑わす危険思想として禁止され、1864年教祖は処刑されたが、ますます庶民の間に広まった。
東学農民戦争は全琫準の蜂起から始まった(1894/2全羅道古阜)。背景に日本の侵略による国難、官吏の専横による生活苦があったが、東学の公認を求める農民の組織も数段強化されていた。
全琫準に指導された農民軍は王朝政府軍を撃破、全州城を占領(1894/5)した。<左上の絵/中心人物が全琫準>。「倡義文」(決起を促す宣言文)のもとに集まった農民軍の結束と軍律は固く、「人をむやみに殺すな」、「財産を奪うな」、「民の平安」、「日本人を追いだし、国を立て直す」といったことが農民軍に徹底されていった。
東学農民の挙兵を知った清国(中国)と日本が出兵。農民軍はソウル(漢陽)攻撃を断念、政府に弊政改革を約束させ停戦した。「全州和約」(1894/6/11)成立。これが第一次農民蜂起だ。

<日清戦争のドサクサに行われたジェノサイド>
この後、情勢は急変する。日清戦争が始まった(1894/7)からだ。日本軍の朝鮮侵略に対抗するために東学農民は再び挙兵する(1894/10)。農民たちによる祖国防衛戦だった。
農民軍が次々敗退したのは当然である。竹槍、カマ、猟銃で武装した農民軍と近代装備をした日本正規軍ではまともないくさになるはずがなかった。
日本軍の数倍、数十倍の東学農民たちは白装束に身を固めて立ち向かった。日本軍の戦闘方針は、「悉(ことごと)く殺戮(さつりく)」、捕虜も殺すという殲滅(ジェノサイド)だったと日本側の資料は伝える。
派遣された日本軍4千。そのうち死者は1名(公式発表は0人)に対して、農民軍の死者は推定5万~20万人といわれる。日清戦争の日本側の死者1万3千人、清国側の死者3万5千人をはるかに上回る戦死者だった。

<今に生きる東学農民精神>
全琫凖は捕えられ、日本軍によって処刑された(1895/3)が、現在でも「緑豆(ノクトウ)将軍」と敬愛されている。一方、日本では東学農民戦争は「乱」「暴動」であり、全琫準はその首魁扱いだ。
先日、東洋大学で開かれた「東学思想から学ぶ」シンポジウムに参加し、東学思想の研究者として著名な円光大総長の朴猛洙さんの話を聞いた。そこで田中正造と全琫準の結びつきを知った。田中正造は「全琫準は公明正大、東学は文明的、軍律を厳守、人民の財を奪わず、婦女を辱めず」と絶賛(朝鮮雑記1896)。朴猛洙さんは二人が「公共の利益」と「生命」という視点で共通していると高く評価した。
東学農民は日本軍によって壊滅させられたが、朝鮮人の心の中に今なお生き続けている。豊臣軍の文禄・弘安の朝鮮侵略とともに、民族の危機に対する民衆蜂起の記憶として、さらに支配者の間違いを正した記憶として生きている。
その後、三代教祖 孫秉熙(ソンビョンヒ)は3.1独立運動の中心人物として活躍。天道教(旧東学)の「公共の利益」と「生命」を守る精神は引き継がれ、共生社会を目指す社会運動(消費者運動・協同組合運動)の指導的な精神となった。
東学の犠牲者のこころざしは現代に生きている。ローソクデモのエネルギー、市民運動の源流は東学農民戦争にあるといってよい。

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