2019.12.30 記憶と反省と想像 (4)
韓国通信NO624 

小原 紘 (個人新聞「韓国通信」発行人)

3.1独立運動100周年
今年は3.1独立運動から100年目の節目の年だった。
韓国の憲法前文は、以下のように3.1独立運動とともに憲法の理念と目的が語られている。

「悠久なる歴史と伝統に輝く我ら大韓国民は、3.1運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗して立ち上がった4.19の民主理念を継承し…」
3.1独立運動は韓国人にとって建国の礎となる大切な記憶であり続ける。
日清、日露戦争をへて日韓併合に至る歴史は日本による「残酷」かつ「巧妙」な歴史だった。東学農民戦争での「皆殺し」作戦に続き、日露戦争のさなか、日本軍兵士と浪士が王宮に乱入し、皇后閔妃(みんぴ)を殺害(1895/10)するという世界史上稀に見る事件を日本はひき起こした。「日韓議定書」による保護国化。さらに外交権をはく奪した「乙巳保護条約」(1905)締結後、伊藤博文が初代「統監」に就任、5年後に大韓帝国併合に至る。乙巳保護条約は日本軍が包囲するなか、伊藤博文が直接閣議に乗り込み、恐喝して条約締結を承諾させたことが明らかになっている。
大韓帝国皇帝高宗は「保護条約」を認めず、オランダのハーグで開かれる万国平和会議へ密使を送り、国際世論に日本の非を訴えようとしたが果たせず、更迭された。最終の仕上げ「日韓併合条約」は、大韓帝国が自ら併合を申し出て、日本が「認める」という形式の条約だったが、現在でも日本は「保護条約」も「併合条約」も国際法上「有効」と主張する。これは明らかに「国際法違反」だった。こうした「強姦」に等しい植民地化に民衆は憤激し、当然ながら抗日運動は高まった。安重根による伊藤博文暗殺はそれを象徴する事件だった。彼は李舜臣、全琫準とならび韓国でもっとも敬愛されている人物のひとりだ。日韓併合に反対した高宗が死んだ(一説には「毒殺説」もある)。そして、国葬の準備のさなか3.1を迎える。

<1919年3月1日>
併合から9年、朝鮮総督府は、行政、治安、土地事業などで露骨な植民地政策をすすめ、土地を奪われた多くの農民は生活に窮した。憲兵政治、武断政治と呼ばれ、一切の市民的自由を奪われた人々が怒りを爆発させた。
1919年3月1日、ソウルのパゴダ公園(現タプコル公園)で独立宣言文が読み上げられると、瞬く間に独立運動が全国に広がった。
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<上写真「独立マンセー」を叫ぶ市民たち>
独立宣言文は格調高く、「暴動」と決めつけた日本側の理解をはるかに超えた高邁なものだった。
独立宣言文は冒頭で「我らはここに朝鮮が独立国であることと、朝鮮人が自主の民であることを宣言する。これを世界万邦に告げて、人類平等の大義を克(よ)く、明らかにし、それを子々孫々につげて 民族自存の正しい権利を永く保有せしめるものである」と高らかに宣言し、朝鮮の独立と東洋平和、世界平和、人類の幸福を求めた。宣言文には「共生」「尊厳」「良心」「正義」「平和」という言葉がちりばめられ、理想が語られていた。意外なのは日本から独立を求める宣言でありながら、日本を憎悪の対象とせず、むしろ「憐れみ」の対象として語られていることだ。宣言は「我らはここに奮起する。良心はわれわれとともに存し、真理はともに進むのだ。着手がすなわち成功である。ただ、前方の光明に向って邁進するのみ」と結ばれる。
宣言文に署名した33名の「民族代表」には、天道教(旧東学党)教主をはじめ、キリスト教、仏教関係者が名を連ねた。発表後、彼らは直ちに逮捕されたが、宣言文は「独立万才(マンンセー)の声とともに各地に伝えられた。運動が全国に広がると、日本は警察に加え軍隊が出動し、国旗の大極旗を振り、素手で行進する民衆に向って容赦なく軍刀で切りつけ、発砲した。
資料には全国1,500カ所の集会とデモ、200万人以上の参加、7500名の虐殺、4万6千名の検挙者が記録されている。その規模の大きさと犠牲者数に驚く。
朝鮮併合を「ちょうちん行列」で祝った日本人には、祖国の独立を求める朝鮮の人たちの気持ちは全く理解できなかった。

3.1独立運動で起きたさまざまな虐殺事件のなかで、教会ごと住民たちを丸焼きにした「堤岩里(チェアムリ)事件」は残虐な事件として記憶されている。
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柳寛順(ユ・グワンスン)(上写真)の献身的な活躍も特筆される。捕えられ西大門刑務所で獄死する日まで、「独立マンセー」を叫び続けた16才の女子学生の記憶は韓国人の心に今なお生き続けている。

日本社会に今も残る韓国軽視・蔑視、最近の「嫌韓」のルーツを求めて、東学農民戦争、3.1独立運動をあらためてスケッチしたが、それは韓国の民主化運動のルーツ、「ローソクデモ」の源流をたずねるものでもあった。
徴用工問題、従軍慰安婦問題は、日本の朝鮮植民地化とそれに続く侵略戦争の中で生まれた悲劇である。全てを奪いつくしてなお、「韓国の近代化に尽くした」と言い放った侵略者の後裔たち、それに追随する学者、マスコミもその歴史認識から一歩も抜け出ていない。
朝鮮併合を豊臣秀吉と重ねて、初代朝鮮総督寺内正毅は「小早川加藤小西が世にあらば 今宵の月をいかに見るらむ」と、日本の朝鮮支配の実現に胸を張った。
私たちが隣国と真摯に向かい合うなら、「地図の上 朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ秋風を聴く」と詠んだ啄木。朝鮮侵略に公然と反対した幸徳秋水、吉野作造、柳宗悦から学ぶことは多い。彼らは日本と韓国・朝鮮とのあるべき将来の道しるべだ。
「3.1」から100周年を迎えた今年、韓国では国をあげて3.1独立運動を記念する行事が行われ、屈辱とたたかいの記憶を新たにしたはずだ。かつての「宗主国」日本から伝えられたのは、「すべて解決ずみ」、「国際法違反」という非難の嵐だけだった。そればかりでない。日本では2018年に日本政府によって明治維新150年の式典が行われ、日本の「成功」を祝ったのである。

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