2020.01.16 旧陸軍被服支廠を保存して
      旧陸軍被服支廠を保存して

        広島の被爆建物解体の動きに反対の声

岩垂 弘 (ジャーナリスト)

 「原爆を浴びても生き残った被爆建物は歴史的にも文化的にも貴重な人類の遺産。決して解体してはならない」。そんな声が、広島と東京で高まりつつある。今年は広島・長崎の被爆から75年。この問題は、原爆被爆を日本人としてどう考えるかという問いかけを改めて私たちに突きつけていると言えるのではないか。

 問題になっているのは広島市南区にある旧陸軍被服支廠(ししょう) 。爆心地の南東2・7キロにある。1913年に完成した鉄筋コンクリート・れんが造りの3階建てで、戦前から戦争中にかけては軍服や軍靴を製造していた。
 もともとは13棟あったが、現存しているのは4棟で、1945年8月6日に広島に投下された原爆でも倒壊を免れた。1~3号棟を広島県、4号棟を国(中国財務局)が所有している。4棟の敷地は合わせて約1万7000平方メートル。現在、広島市が被爆建物として登録している建物は市内に86件あるが、その中でも最大級という。
 被爆後は広島高等師範学校、県立広島工業高校の校舎、日本通運の倉庫などに利用されてきたが、1995年以降は使われていない。

  ところが、昨年12月初め、広島県が、所有する3棟のうち爆心地に最も近い1号棟を改修・補修して保存し、他の2棟(2号棟と3号棟)を解体・撤去する方針を明らかにした。県によると、築100年を超えているので劣化が進み、地震による倒壊または崩壊の恐れがあるからだという。2、3号棟の解体・撤去に当たっては事前にバーチャルリアルティー(Vr)の技術を用いて現在の姿を精密にデジタル保存する、としている。
 一方、4号棟を所有する中国財務局は「解体を含め検討中」としている。

 こうした県の方針に対し、さっそく市民の間から「解体反対」の声が上がった。それは次のような主張に基づく。
 一つは、被爆直後にここが救護所となったため、多数の被爆者がここに逃れてきて、ここで亡くなった人もいたという事実を重視すべきだ、という主張だ。つまり、旧陸軍被服支廠はいわば「被爆の証人」と言える。だから、被爆者が年々減少し被爆体験をどう継承するかが問題となっている折から、「もの言わぬ被爆者」である旧陸軍被服支廠は何としても残すべきだ、というわけである。
 もう一つの主張は「旧陸軍被服支廠は国内最古の鉄筋コンクリートの建物で、建築学上も大きな価値をもつから、解体・撤去は避けるべきだ」いうものだ。

地元紙・中国新聞によれば、今月初め、全国の市民有志約200人でつくる「旧被服支廠の保全を願う懇談会」が、3棟を所有する県に「3棟を解体せずに最大限保存するよう要望する」文書を提出した。
 また、朝日新聞によれば、今月初め、原爆ドーム前で、旧陸軍被服支廠の保存を求める市民有志が署名活動を行い、「解体の危機にある赤れんが倉庫(旧陸軍被服支廠のこと)をあなたの手で支えてください」と、観光客らに呼びかけると、約1時間で100筆近くの署名が集まった。同紙はまた、広島市の市民が「長きにわたって歴史を物語ってきた建造物を後世に残してほしい」とインターネットによる署名を始めたところ、約一カ月で内外の約1万6000人から賛同を得たことや、広島県原爆被害者団体協議会(坪井直理事長)が4棟の保存を求める要望書を県に提出したことを伝えている。

 さらに、広島出身の被爆文学者の作品や資料の収集に当たっている「広島文学資料保全の会」は、1月26日(日)午後2時から、広島市中区袋町、ひとまちプラザ・北棟6Fで「赤れんが よみがえれ―保存・活用をめざして」と題する講演会を開く。講師は石丸紀興・元広島大学教授。講演会の狙いを「拙速に“広島の原風景”を消してはならぬ。旧被服支廠の保存・活用にむけて多くの県民・市民の意見を集約しよう」としている。

 東京でも、広島での動きに呼応する動き出始めた。3年前から、原爆や戦争の被害について理解を深めようと、東京で月に1~3回の「ヒロシマ連続講座」を主宰している元高校教師の竹内良男さん(東京都立川市)が、今月から来月にかけて3回にわたる「広島・旧陸軍被服支廠の保存を考える」と題する緊急講座を開く。
 第1回は1月19日(日)、第2回は同月26日(日)、第3回は2月11日(火・祝日)。いずれも午後1時30分から。場所はJR山手線駒込駅東口から徒歩7分の愛恵ビル3F(公益財団法人愛恵福祉支援財団)である。講師には、永田浩三・武蔵大学教授、栗原俊雄・毎日新聞学芸部記者らが予定されている。
参加には事前の申込みが必要で、竹内さんのアドレスはqq2g2vdd@vanilla.ocn.ne.jp

 今はユネスコの世界遺産に登録されている原爆ドームについても、広島市民の間で、保存か取り壊しかの論争があった。結局、1966年7月に広島市議会が永久保存を決議、これを機に保存工事のための募金が全国的な規模で行われ、1967年から広島市による保存工事が始まった、という経緯がある。これまでに3回にわたる保存工事が行われている。
 旧陸軍被服支廠については、どんな結末となるのだろうか。
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