2008.09.30 中国に高度福祉社会は成立するか
―チベット高原の一隅にて(25)―
阿部治平 (中国青海省在住、日本語教師)


中国青海省の省都西寧に「西海都市報」という新聞がある。去年の9月4日「わが省非公有制経済のいっそうの発展を促進しよう」という見出しがおどった。非公有経済とは民営企業・私企業のことであろう。
強衛(省党書記、青海省ナンバー1)はこの日の午前中、省党委員会秘書長、西寧市党書記、西寧市長その他の幹部を引き連れて、青海潔神装備製造有限公司、青蔵高原緑色肉食品有限公司、青海健寧医薬有限公司などにいって現場で設備を見、経営状況を聞き取り調査した。東川工業園区では非公有経済発展についての報告を受け、私企業代表らと懇談した。
彼はこのとき、(党機関が頭を切りかえて)民営経済の重要性や必要性を一般に知らせ、民営経済が経済社会発展に貢献することや、民営企業家の成功した典型などをもっと宣伝して、かれらが社会の認可と尊敬を得るようにすべきだ。また、企業も市場の需要に適応する近代的な企業としてあるべきで、必要があれば政府や金融機関にたいして積極的な支持を求めるなさいといった。強衛書記は、行政と金融を動員して私企業を育成しようとしていた。

西寧ではほかの企業はいざ知らず、少なくとも不動産と建築業はなかなか威勢がいい。いたるところビル建設のクレーンが立並び、毎週のように20階を越す住宅用高層ビルが完成し、工業開発区では黄土の壁を掘りくずすダンプカーやブルドーザーがうなりを上げ、風がなければほこりが全市の空をおおう。
いうまでもないが、党と政府が先頭に立って民営化と私企業育成をすすめるのは、青海省独自の政策でも強衛書記個人のものでもない。
たとえば関志雄主催「中国経済新論」ネットによると北京大学教授張維迎はこういう。(http://www.rieti.go.jp/users/china-tr/jp/080813kaikaku.htm)
1、30年来の経済改革の結果、資源配分は計画的指標から市場価格主導に変わった。だが金利や地価といった価格メカニズムをよりうまく機能させ、行政は労働市場への過度の介入を避けるべきなのに、さまざまな価格統制が民意の支持によって導入されている。
2、現状は官僚と企業家による政策決定が並存する段階にある。もっと政府の統制を減し、もっと企業家に投資など多くの自由を与え、価格シグナルをよりうまく機能させれば、資源配分の効率が向上し技術進歩が速まり腐敗現象は減少する。
3、現状では役職に権益と財産が付随し、官僚が資源配分を牛耳っている。腐敗を撲滅し、効率的でない所得格差を縮小し、富創造の情熱と知恵を発揮させるには、利益分配の基準を政府役職から個人財産に徹底的に転換させねばならない。
4、1980年代の財政改革によって地方政府の財政収入と権益は地方経済の発展如何となった。そこで効率を求めて地方でも公営企業の民営化が進んだ。これからは地方官僚ではなく、企業家が資源配分の政策決定を行わなければならない。
5、一部の論者によって対外開放政策が疑問視され、ポピュリズムや偏狭な民族主義的言論が広がっており、政府部門によってはすでに開いた扉を狭めている。

1980年代後半から90年代の改革を担ったのは、この新自由主義的傾向だった。およそ10年前からあまりの腐敗、格差の発生によって市場化改革とりわけシカゴ学派風の路線・政策を批判する声が高まった。
毛沢東政治復古派がその急先鋒であったが、批判は脱文化大革命、市場経済の必要性を認める研究者・官僚にもあった。物権法をめぐる全人代の論議でも、批判者から私有権の強化は両極分化と社会危機を招く、国有企業を汚職役人や国際企業に食い物にさせてはならない、国有経済と私有経済の比重目標を示せ、などの意見が出た。
毛政復古派は1949年から78年末までを社会主義時代と呼び、毛沢東の人民公社を持上げる。地域・階層格差が大きくなり、汚職腐敗が頻発し、食糧自給体制が崩壊し、土壌・水・大気汚染がすすんだ現状が、かれらの言動によりいっそうの説得力をあたえた。
かれらは国家指導者に対する直接批判をたくみに避け、馬立誠や高尚全(中国発展和改革委員会責任者)など江沢民時代からつづく政権ブレーントラストを、それにかわる攻撃対象とした。批判派は高尚全を「新西山会議派」の親玉だと罵倒した。「西山会議派」というのは、1920年代国民党右派の戴季陶らのことで、「新西山会議派」は高尚全主催の改革論議の会議に参加した人々である。

高尚全はたまらず、論文や座談で反論した。かれは経済の市場化によって金力と権力の癒着が生まれたことを認めながらも、それは公正な市場競争の環境がないからだとし、フェアな競争の実現を目指してなおいっそう改革を推進すると主張した。この点、さきに紹介した張維迎教授の議論は、結果として高尚全の論理をなぞったものともいえる。
だが、新自由主義者が(ポピュリズムとして)下層の人々のおかれた状況を無視するのとはちがい、高尚全は経済の市場化が社会矛盾を激化させたことは知っている。かれは毛政復古派による批判の的である地理的・社会階層的格差、医療教育問題を緩和するためには、所得の再分配つまりは税と社会政策で社会矛盾の解決を図るべきだとした。胡錦濤主席のいう「和諧(調和ある)社会」というスローガンは生まれるべくして生まれたのである。

このようにして政策研究者の一部が北欧型高度福祉制度に注目するにいたった。エンゲルスの株式会社論やドイツ社会民主党の政策、スウェーデンモデルの研究が進み、あるものはほとんど肯定的に労働者持ち株制度や社会福祉政策を紹介した。また形のうえでは批判はしても、スウェーデン社会民主党の19世紀末からの歴史を詳細にかたり、成功と失敗を冷静に評価した。深読みすれば、現代社会では社会保障制度はきわめて重要で、これなしに近代化した大生産ができるわけがないということになろう。

張徳江副首相が(7月2日北京で)「中国政府は、社会保障事業への投入を増やし、その度合いを強め、今期政府の任期内に中国の特色を持つ社会保障システムの枠組みの構築を確保していく」と強調したのは、所得の再分配実現を具体化したものとわたしはおもった。オリンピックが終わってまもなく、社会保障担当次官胡暁義も会議の席で、「新型農村養老保険制度」に関して副首相とおなじことをいった。ここまでは理解可能だった。
ところが胡暁義は「費用徴収型の社会保険を社保体制度の核心にする。『ゆりかごから墓場まで』などという高度福祉制度は作るわけにはいかない。正確な選択は公平と効率を結合することである」とつけくわえた(「中国労働保障報」08・9・10)。

では、「中国の特色を持つ」公平と効率を結合した社会保障制度では、費用の負担に耐えられない貧困階層はどうするのか。「貧下中農」は「新型農村養老保険制度」の恩恵を受けられないのか。チベット高原に多い肺結核と高血圧はいつまで待てば予防と治療ができるのか。
この考えのうらには、経済成長速度を超過した社会保障と福祉の増加は不可能だとか、社会保障の適用範囲が広すぎると人びとの向上動機を弱めたりする(つまりナマケモノを養う)という懸念があるだろう。もしかれが最高指導層の政策を語っているとすれば、これから中国につくられる制度はいわば受益者負担の社会保障制度である。

世界の高度福祉国家は程度の差こそあれ、「ゆりかごから墓場まで」をめざし、あるいはある程度は実現している。スウェーデンのように社会民主党が下野し企業家階層を基盤とする政党が政権を握った国家でも、社民党が労働者組織とともにつくった社会福祉制度を大きく後退させることはできない。日本ですら「失われた10年」以前は「1億総中産化」という福祉社会の擬態があったのに、なぜ「社会主義中国」がそれをめざさないのか・・・
わたしはnirendaoという人物が書いた論文「共産党が革命をやったのは『ゆりかごから墓場まで』を実現するためじゃなかったのか」 (http://www.wyzxsx.com/Article/Class22/200809/50609.html)と意見がほとんど同じである。
「共産党が大衆を指導して革命をやり、幾千万の犠牲を出し、祖国の山河を鮮血で染めたのはなぜなのか。一般大衆に『ゆりかごから墓場まで』の生活をさせるためではなかったのか?」
「いま共産主義を実現せよといったら間違いなく極左だ。だが建国してすでに60年だ。もし『ゆりかごから墓場まで』さえも共産党がやらないとすれば、命を捨てて革命をになった人々に申訳が立つかね?」
見たところ、大勢はこれまでどおり。市場改革を先行させ、既存の大資本により大きな行動の自由を与え、新興資本家をもっと多く育てるつもりらしい。強衛書記が資本家よりの姿勢を批判される可能性はまずない。
そして、社会保険は費用徴収、受益者負担だ。ちょっとしたカゼや下痢などほとんどカネがかからなかった人民公社時代を懐かしむ声があるのも、いかにももっともなことだ。

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