2020.03.12 「世界は中国に感謝すべし」ですって―中国の言論は自由です!
                        
田畑光永 (ジャーナリスト)

 コロナウイルス肺炎はまだまだ世界中に広まりそうだが、本家の中国では累計患者数が8万人を突破し、死者も3千人を越えたあたりで、さすがに勢いが衰えてきたようである。それは喜ばしいことなのだが、さてこの2か月ほどを振り返って、事態をどうとらえるか、中国国内ではさまざまな議論が飛び交っている。中には冒頭に掲げたように、思わずえっ?と驚くような内容もある。
 発端がどこか、正確には私は分からないが、米紙『ウォールストリート・ジャーナル』が2月3日の紙面でコロナウイルス肺炎をめぐって「中国はアジアの本当の病人」という記事を載せたあたりから、火の手が大きくなったように思える。このタイトルに使われた「病人」とは、19世紀末、日清戦争に敗れた清国の弱さを上海で出されていた英人経営の英字紙「字林西報」が“Sick man of East Asia”と書いたのが始まりと、中国の検索サイト「百度」にあるが、その中国語訳「東亜病夫」もしくは「東方病夫」は当時の中国人によっても使われたらしい

 しかし、いくら昔の言い方とは言え、中国を蔑視する言葉であるのは間違いないから、当の相手が災難に遭っているときにわざわざそんな言葉を持ち出してくるのは、記者としてほめられた姿勢とは言えない。
 これに対して中国が怒った。それも民間人ではなく政府が怒った。そして2月19日、外交部は同紙の3人の北京駐在記者の記者証を無効とし、5日以内に中國から退去することを求めた。こうなると米政府も黙っているわけにはいかない。3月2日、新華社など中国の党・政府系メディア5社の在米職員総数を現在の約160人から100人に減らすように通告した。
 問題の根っこは、こういう新しい感染病の発生をその発生地、この場合は中国の問題と見るか、そうではなくて人類が新しい敵に遭遇したと考え、その遭遇点がたまたま中国であったと考えるか、の違いにある。もともと中国に好感情を抱いていない向きは前者に傾きがちであるし、当事者の中国は他国のために必死で防波堤の役割を果たしていると自負したいはずだ。
 3月5日、中国紙『環球時報』(電子版)は米政府系と言われるフォックスTVのキャスター(同紙の音訳によると名前はジェシー・ユートスと読める)を「ごろつきキャスター」と非難した。この人物は番組の中で「コロナウイルスを中国起源と決めつけ、中国は正式に謝罪しろ」と要求したのだそうである。そしてさらに背景説明として、「中国共産党は国民に十分に食べさせないので、中国人は飢えている。人民は絶望し、調理不十分の安全でない食物を口に入れている。それが新病原の発生についての科学者の見方だ」とのべたという。

 これに対して、中国の『環球時報』は「共産党がメシを食わせないから、人民は生煮えの蝙蝠や蛇を食っているというのが、米国の有名テレビのキャスターの中国認識か」とかみつき、「米国でH1N1インフルエンザが流行した時、エイズが最初に米国人に発見され、その後、世界に広まった時、中国のキャスターはテレビで米国人に謝罪を要求したか」と切り返した。
 一方、こういう正面からの怒鳴り合いでなく、別の声を上げた中国のキャスターもいた。中国中央テレビ(CCTV)の邱孟煌氏である。この人は2003年からCCTVのキャスターとして、「第10放映室」、「文化正午」といった番組を担当し、昨年で画面出演からは降りたそうだが、自身のツイッターで「謝罪」問題でこう提案した。

 「『東亜病夫』などという看板は1世紀以上も前に粉々になったものだが、(それとは別に)今、われわれはおだやかな口調に謝罪の意をこめて、しかし悪びれることなく、また居丈高になることもなく、マスクをして、世界に向かって軽く頭を下げ、『すいません、ご迷惑をかけます』と言ったらどうだろう」
 なるほどきわめて理知的であり、穏当な姿勢である。中国が全体としてこういう態度であったら、受け取るほうも「まあまあこれは人類全体の災難ですから、一緒に撲滅しましょう」ということになる、はずと思ったのだが、現実にはそうはならなかった。なにを弱腰な!という非難を浴びて(らしい)、氏のツイッターは閉鎖され、CCTVとの縁もきれてしまったという。なんかやりきれない気分である。
 それに代わって登場したのが、本文のタイトルに掲げた「世界は中国に感謝すべし」という一文である。正確にはこのタイトルの頭に「理直気壮」という4文字がついているので、合わせると「堂々と言う、世界は中国に感謝すべし」となる。筆者名は「黄生」、いくつかの経済関係の新聞に転載されているそうで、ネットで簡単に読むことができる。

 なにをそんなに息巻いているかと言えば、この病気が武漢周辺で大量発生した当時、米をはじめ各国は中国からの人間の入国をきびしく制限し、かつ米が先頭を切って在留自国民をチャーター機で帰国させたために、中国は手の打ちようがなく、経済的にも大きな打撃を受けた。米トランプ大統領のやり方は「落井下石」(井戸に落ちた人間に上から石を投げる)であった、というのである。そして要旨次のように続く―
 「今、情勢は逆転し、中国では武漢地区以外での患者の発生は減少したが、米などでは患者が多発し始めている。米疾病センター(CDC)の役人によれば、米国内ではマスクも薬も(欧米各社の製品でも)90%以上が中国で生産されたものを輸入している。もし中国がマスク、薬の輸出を禁止したら、米は『コロナウイルス肺炎地獄』に落ちこむことになるのだ。

 しかし、中国人民と中国政府はそんなことはしない。井戸の中の米国人に石を投げることもしないし、マスクと薬の輸出を禁止することもしない。にも関わらず、事ここに至ってなおまだ中国は世界に謝るべきだなどという声がある。とんでもない言い草だ。
 中国は新型肺炎を撲滅するために大きな犠牲を払い、巨大な経済的コストを負担し、ウイルスの伝染経路を遮断した。そんな国がほかにあるというのか。さらに付け加えれば、鐘南山院士(注:呼吸病学の専門家、中国工程院々士)の研究では、中国で最初に発症したとはいえ、この病毒の発生地は中国とは限らないのだ。米、イタリー、イランなどでアジアと接触のない症例が存在することがその証拠だ。中国が謝る理由などなにもない。アメリカも世界も中国に謝るべきなのだ。・・・」

 こういう威勢のいい文書があちこちに転載されるのも、勿論、言論の自由の一部ではある。しかし、違う立場の主張は消され、その作者がさまざまな社会的圧迫を受けるのでは、せっかく公開されたものの価値も大きく減じるということが中国では理解されていないようである。
 前回、紹介した李文亮医師の命を賭した努力も、弾圧されたり、持ち上げられたり、権力にもてあそばれただけで、後続なしに終わるのでは本人もさぞかし無念であろう。さしものコロナウイルスも中国の言論世界を覆う霧を払う力はないらしい。(200308)






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