2020.04.07 今問い直す ビキニの核被災
 「労災と認定を」元船員ら、高知で提訴

田中洋一 (ジャーナリスト)

 66年前に米国がミクロネシアのビキニ環礁一帯で行った水爆実験により死の灰を浴びたマグロ漁船や貨物船の元乗組員と遺族が3月30日、高知地裁に提訴した。被災を労働災害と認めて船員保険の適用を求めることにより、人としての尊厳を取り戻す闘いだ。

 第2次世界大戦後、米国はマーシャル諸島のビキニ環礁一帯を信託統治領とし、1946年に原爆実験をした。54年にさらに強力な水爆実験を行なう。3月1日の実験名ブラボーから5月14日のネクターまで計6回繰り返す。死の灰は、現在のマーシャル諸島共和国の島々や広い海域に降り注ぐ。そこに日本の遠洋マグロ漁船や貨物船が航行していた。マーシャル諸島での核実験は58年まで続く。
  
 ブラボーの爆心地から東に160km離れていた静岡県のマグロ漁船、第五福竜丸の冷凍士兼甲板員の大石又七さん(86)は振り返る。引用は岡村啓佐さんの写真集『NO NUKES ビキニの海は忘れない』(自費出版、2018年12月刊)から。
 「最後のはえ縄を行なっていた時の午前6時45分に起きた。私は仮眠しようとしていた時、光が空をサーッと流れて、黄色い光が徐々に空を覆い、そして赤色が加わり夕焼けのような光景になった。2~3分間は光が空を覆っていたと思う」
 半年後、第五福竜丸無線長の久保山愛吉さんが40歳で死去する。アサヒグラフ増刊「戦後20年・人と事件」(1965年7月20日号)には、魚市場にずらりと並ぶ原爆マグロに検査員が放射線量計を当てている大きな写真が載る。「恐るべき"死の灰"」のタイトルと共に、日本社会が受けた衝撃の大きさが見て取れる。
 第五福竜丸事件として矮小化されがちなビキニ水爆実験だが、被災したのは第五福竜丸だけではない。私自身その思いを強くしたのは、70年近く経つ中で声を上げている方々を知ったからだ。
  
 歴史を掘り起こしたのは高校生だ。高知県西部・幡多(はた)地域の幡多高校生ゼミナールがマグロ漁船員の聞き取り調査を始めたのが1985年4月。長崎で原爆に被爆し、ビキニ水爆実験にも遭遇した末に27歳で自死した藤井節弥さんの母親に出会う。
 水産高校3年でマグロ漁船に実習生として乗組み、ビキニ水爆実験に遭遇した谷脇正康さんの遺族にも話を聞く。谷脇さんは被曝の2カ月後に体調を崩して緊急入院する。担当医は再生不良性貧血と診断し、「原爆症の疑いが濃い」と語ったそうだ。入院から7カ月後に急死した。
 高校生たちとの活動から書き起こしたのが山下正寿さんの著作『核の海の証言』(新日本出版社、2012年刊)だ。高校教諭だった山下さんは今、被災したマグロ漁船員たちを支える太平洋核被災支援センター(高知県宿毛市)の事務局長を務める。
  
 被災して命を失い、健康を損なったのに、マグロ漁船員たちは何の補償も受けなかった。それを促す動きが社会にあったのだろうか。第五福竜丸の被災が大々的に報じられて日本国内の世論の悪化を憂慮した日米両国政府は早々と幕引きを図る。
 ビキニ核実験の翌1955年の1月、米国が法的責任を伴わない見舞金200万ドル(当時7億2千万円)を日本に支払うことで両国政府は政治決着させる。マグロなど廃棄した漁獲物の損害に加え、治療費や傷病手当金の項目もあるが、第五福竜丸以外の乗組員にはほとんど行き渡らなかったという。それどころか、見舞金は第五福竜丸乗組員へのやっかみを生み、社会的な差別意識を招いたようだ。
 再び大石又七さんの証言を岡村著から引く。「わずかばかりの見舞金をもらったことで一部の人から八つ当たりや、いやがらせを受け、2年後に東京に出てクリーニング屋をはじめた。それから約15年間、被爆者であることを隠しながら生きてきた」
  
 被災した高知県の元漁船員が被害を認めさせたいと立ち上がるには、高校生の調査活動からさらに30年かかる。他界する同僚が増え、国への不信感が募る中で、二つの動きが2016年に始まる。
 この年の2月、高知県と宮城県の元船員計11人が、労災に当たる船員保険を適用するよう全国健康保険協会に申請した。さらに5月には45人が国に損害賠償を求めて高知地裁に提訴する。
 そもそも、何隻がビキニ水爆実験に遭遇し、何人が被曝したのか。全体像ともいうべき資料を国がやっと開示したのは、被災から60年も経った2014年9月のことだ。その前年にNHK広島放送局が被曝した船の一覧、魚と船体が浴びた放射線量、船員の被曝線量の資料を米国立公文書館で探し出したので、第五福竜丸以外に被災は把握していないと言ってきた国は隠し通せなくなった事情がある。
 開示された資料によれば、一連の水爆実験で放射能に汚染された魚を廃棄した漁船は第五福竜丸以外に856隻(延べ992隻)ある。他に貨物船も航行していた。マグロ漁船の乗組員は1隻20人前後なので、「被災した乗組員は2万人近い」と岡村さんはみる。岡村さんは太平洋核被災支援センターの副共同代表を務める。
  
 国賠訴訟が高知で起こされたのは、被災者に高知県のマグロ漁船員が多いからだ。856隻のうち高知の漁船は117隻(延べ270隻)に上る。国は漁船員の被曝状況を調べていたのに資料を隠し続け、被災者の追跡調査や支援の施策を怠って被曝の事実を隠してきた。その結果、被災者は健康を守る権利を侵害され、苦難の人生を強いられた--と原告側は主張した。
 判決は国の資料隠しも、支援施策などの義務も認めず、原告の請求を棄却した。控訴審の高松高裁も同様に原告の主張を退け、敗訴が確定した。高裁は「健康被害を等閑視することなく、その救済が(原爆被爆者と)同様に図られるべきという主張は理解でき」るとして、漁船員の救済について「立法府及び行政府による一層の検討に期待するほかない」(判決骨子)と下駄を預けた。
  
 高松高裁の判決言い渡しは昨年12月12日だった。その1週間前に原告団長の増本和馬さんは胆管がんで83歳の生涯を閉じた。増本さんが昨年3月に提出した陳述書をかみ締めたい。
 「同じ海域で操業していた第五福竜丸では人的被害があったのですから、私たちマグロ漁船員は全員被災の可能性が高かったのです。しかも放射能汚染は、晩発性被害が考えられるのですから、国は、以後も定期的に健康診断をして、適切な対応をすべきであったのに、早々と被災調査を打ち切り、被災者を放置しました」
 3月30日に高知地裁に起こした裁判では、船員保険の適用を認めなかった全国健康保険協会の処分取り消しを求める。漁労中の被曝を労働災害と認めさせる狙いだ。さらに、日米両国政府による政治決着により米国に損害賠償を求める権利を失わせたとして日本国に補償を求めている。原告は増本さんの遺族をはじめ漁船と貨物船の元船員12人(うち生存者4人)と遺族。
 新たな提訴で救済の道を拓くことができるか、どうか。元船員と遺族の訴えに注目したい。

<田中洋一氏の略歴>1950年生まれ。メーカー勤務を経て2016年まで新聞記者。埼玉県在住

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