2020.04.10 「日本人、毎日一度はゴメンナサイ」、「中国人、・・・・・」
―米中対立から見えてくるもの

田畑光永 (ジャーナリスト)

 日本人、毎日一度はゴメンナサイ――中国人留学生作の川柳だそうである。その真偽は不明だが、なるほどわれわれの一面をみているな、と感心した記憶がある。なら、こちらからお返しをするとどうなるか。
 中国人、死んでも言わないゴメンナサイ――と言っては、すこしオーバーである。すくなくとも個人的な友人である中国人にはこんな人はいない。ただわれわれと比べると、彼らの「ごめんなさい」の回数は少ないようには感じる。
 しかし、上五の「中国人」を「中国政府」とすれば、この句に「そりや違う」という人は、日本人だけでなく世界的にも極めて少ないはずだ。早い話、確か2012年に尖閣諸島を日本政府が国有化した際、中国人デモ隊が日本の大使館や総領事館に投石するなどの乱暴を働いたが、これについて中国政府は公式には謝罪しなかったと記憶する(もし違っていたら、この部分は取り消し)。
 なんでこんなことをも持ち出したか、といえば、今、世界を覆っているコロナウイルス(COVIDー19)に対する中国政府の態度がわざわざ自らに対する反感の火をあおっているように見えるからだ。つまり、コロナウイルス肺炎の大規模な流行は昨年末(香港紙の報道では初発は11月17日)に中国の湖北省、とくにその省都・武漢市で始まって、そこから中国全土、さらに国外へと広まったことは明白であるのに、中国政府はその責任を断固として認めようとしないのだ。
 別に世界の世論も、中国にことさら「頭を下げろ」と要求しているわけではなく、ともかく発祥地として「ご迷惑をかけています」くらいの一言があれば、言われたほうも「いやお国の責任というわけではありませんよ」とお返しして、話は「力を合わせて退治しましょう」と自然に流れるはずなのだが、現状は違う。中国が「わが国に責任はない。われわれは世界に先駆けてこの病原菌と戦い、その経験を公開しているのだから、世界は中国に感謝すべきだ」とまで開き直るものだから、言われたほうは「しかし、そもそもお宅から始まったことではないの」とつい言い返したくなり、空気はぎごちなくなる。
 こんなばかばかしいことが、今、米中という大国間で起こっている。ばかばかしいことはばかばかしいが、そこにはGDP世界1位と2位を占める大国の現政権の性格が反映していると思われるので、どういうやりとりが行われたのかを振り返っておきたい。
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 もともと両国は一昨年から貿易不均衡を巡ってきびしく対立してきた。しかし、それは今年の1月15日に第1段階の合意文書が署名されて、一息ついた。そのほかにも台湾、香港、新疆ウイグル自治区など対立の火種は多いが、それらはかえってコロナウイルスが休戦材料となった感があって、全体として1月は穏やかに過ぎたと言っていい。
 問題が起きたのは2月3日である。この日、米経済紙の『ウォールストリート・ジャーナル』がコロナウイルスの記事の見出しに「東亜病夫」(Sick man of East Asia)という言葉を使ったのだ。これは日本では「アジアの病人」と訳されることが多いが、19世紀末の日清戦争で小国・日本に敗れた老大国・清国を形容する言葉として、当時、上海で出されていた『字林西報』という英人経営の英字紙が使ったのが最初と言われている。それを受けて、当時は満州族の清国の気息奄々ぶりについて漢民族の知識人もこの言葉を使っていたと言われるが、現在では中国蔑視の偏見用語とされていると見え、この見出しに中国の外交部が怒った。
 今や超大国となったわが国を、列強に領土を蹂躙されていた19世紀の弱国時代の言葉で形容するとは民族蔑視であるというのがその言い分である。
 言葉の応酬があった後、2月19日、中国側が同紙の3人の北京駐在記者の記者証を無効にして、5日以内の国外退去を求めた。
 それに対して、今度は3月2日、米政府が中国共産党・政府系のメディア5社(新華社、CCTV系の中国国際テレビ、英字紙の『China Daily』、人民日報系の『米国海天発展』、ラジオの中国々際放送)の在米事務所の職員の総数をそれまでの160人から100人に減らすという措置をとった。
 双方が相手のメディアに直接、制裁措置を課したのはここ1,2年の対立関係においても初めてのことであり、新しいところから火の手が上がった形になった。
 そしてそこにまた新しい役者が登場した。中国外交部の趙立堅副報道局長が3月12日、自らのツイッターにコロナウイルスは昨秋、武漢で行われた各国軍人スポーツ大会に参加した米軍人が持ち込んだ可能性があると書いたのである。なぜそう言えるのかについての根拠は何も挙げていない。この人物はかねてから自身のツイッターで国際情勢についてかなり思い切った個人的見解を述べることで知られており、なぜかこのほど在外勤務から外交部スポークスマンという外向きポストの1人に登用された。
 このツイッターに今度は米側が怒った。米国務省が早速、中国の崔天凱駐米大使を呼んで抗議し、16日にはポンペオ国務長官が楊潔篪政治局員(外交の最高責任者)に電話で異議を伝えた。しかし、楊氏のほうも「米の何人かの政治家が汚名をかぶせて中国を貶めた」と反論し、「今はニセ情報や噂を流す時ではなく、各国が一致して共通の脅威に立ち向かうべきだ」とのべて、双方が立場をぶつけ合う応酬となった。
 ここまでで十分、常軌を逸したやりとりだなと感じさせられたが、驚いたのはその16日のトランプ大統領の発言だ。「コロナウイルス」を「チャイナウイルス」とわざわざ言い換えたのだ。事前にメディアに知らせていたのか、発言草稿の「コロナウイルス」を黒い二本線で消して、その上に手書きで「チャイナウイルス」とあるのを、ご丁寧にテレビが映して見せてくれた。トランプ大統領は18日までにこの言葉を5回使ったそうである。
 われわれの子供時分、喧嘩になるとよく「お前の母ちゃんデベソ」などと怒鳴り合ったものだが、この場合の「チャイナウイルス」はただ相手にいやな思いをさせるための雑言で、レベルとして「デベソ」にほぼ匹敵する。大国の大統領ともあろう人間がよくもまあ・・である。
 これに対して中国外交部の耿爽スポークスマンは17日、「強烈に憤慨し、断固反対する」とのべ、またトランプ発言への直接の報復ではないにしても、翌18日には中国は米の『ニューヨークタイムズ』『ウォールストリートジャーナル』『ワシントンポスト』3紙の特派員の追放を発表して、緊張は高まった。
 もっとも中国側の態度も必ずしも一貫していない。中国の崔天凱駐米大使は17日、米紙とテレビ各1社のインタビューを受けた際に騒ぎのもととなった「米軍人ウイルス持ち込み説」について「誰かがばらまいた狂った言論で、危険だ」とのべて趙立堅発言を否定し、その崔発言が米で報道された22日、北京の外交部のホームページもそれを掲載して、事実上、趙発言を取り消した。
 それを受けて24日、トランプ大統領はフォックステレビに「チャイナウイルスは使わないことにした」とのべ、使用をやめた。ところが、次はポンペオ国務長官が「ウーハン(武漢)ウイルス」と言い出した。ポンペオ長官はかなりこの言葉が気に入ったようで、本人は否定するが、報道によれば、25日に米が議長役で開かれたG7(主要7か国)外相会議の共同声明に長官はこの言葉を書き入れようとしたが、各国の反対に会って、諦めたという。そのせいか、会議の共同声明は出されなかった。
 とにかく新病原菌の猖獗にともに手を焼きながら、世界の2大国が互いに批判ともいえない口撃と相手のメディアに対する制裁をぶつけ合っている姿は異様である。
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 なぜこんなことになったのだろうか。勿論、トランプと習近平、この2人の人間性によるところも大きいだろうが、それだけでなく一見正反対に見える両国の政治状況に共通する要因があるからではないか。
 それはなにか。今のところ直観でしか言えないが、両国とも大国であり、それぞれのGDPは米が約20兆ドル、中国が約14兆ドルで世界の1,2位を占める。人口では中国が米の約4倍であるから、1人当たりにするとGDPの差は大きいが、国内の富の偏在ぶり、所得格差という面では共通するところが大きい。
 政治制度、というか国の最高責任者の決め方を比べると、米大統領は国民の直接投票で選らばれるが、中国の国家主席は、共産党という党員数9000万人と巨大ではあるが一つの政党から選出過程不明のまま民衆の上に降臨する。まるで正反対である。
格差という共通点と正反対の選出制度の上に立つ2人の政治指導者に共通するのはその任務である。それはそれぞれの国の社会の現在の在り方を守る、社会の安定を守ることである。あけすけに言えば、格差社会を守ることである。
 米大統領にとっては、競争力を失った産業分野に取り残された労働者や農民の味方を演じることで、自由貿易体制からたっぷり富をため込んだり、そこまでいかなくとも現体制の中でゆったりした生活を享受できる階層を守ることである。そのためには彼は強くなければならない。時には他国の指導者を揶揄したり、誹謗したりして、大向こう受けすることも必要である。「チャイナウイルス」などはちょっとした小技に過ぎなかっただろう。
 中国の国家主席も同様である。共産党という集団に属する人間が政治的にも経済的にも、さらには街や村の末端管理人に至るまで枢要の場所を占めて、利権を貪りながら大衆を監督、管理する。そして不満が爆発しないように社会の安定を守るのが彼に課せられた使命である。中国では富裕層が急速に膨張しているが、それが中国のメディアで報道されることはまずない。一方で習近平が農村の貧困追放にどれほど力を入れているかは報道に最も頻繁に登場するテーマの1つである。
 この2人に必要不可欠なことは、かけがえのない指導者であるというイメージである。とくに中国の場合、習近平の権力獲得過程のどこにも国民はタッチできないから、国民から見れば彼は昔の皇帝のごとく、天命を受けた(運にめぐまれた)人物である。だからその治世に災害にみまわれたり、疫病が蔓延したりすることがあれば、習近平が天に見放されたと見られる。それが定着することだけはなんとしても避けなければならない。原因はなんであれ、本人はもとより、中国が外国に頭を下げるなどはもってのほかであるし、ささいなことでも貶められたら黙っているわけにはいかないのである。
 したがって、倒壊寸前の清朝についてのレッテル、「東亜病夫」が持ち出されたり、「チャイナウイルス」だの「ウーハンウイルス」だのという言葉が世人の口の端に上るのは、習近平にとって断じて許しがたいことなのである。
 米中両国は前述したように一昨2018年から貿易不均衡をテーマに対立を深め、こちらは現在、小休止状態であるが、その間に南シナ海での対立、台湾・香港、さらには新疆と対立面は広がるばかりである。
 ここまでくると、その対立のどれもが結局、トランプと習近平という2人の指導者の置かれた立場から生まれるものと見えてくる。ということは、対立も結局は政治遊戯であって、時には激しくぶつかって見せたり、時には急転、和解を演出したり(実際に3月27日には約50日ぶりに2人は電話で話して、和解を演出した)、双方が観客に受けようと演じているだけだと、多寡をくくることができる気もするし、いやそれがささいな弾みで火を噴くかもしれないという不安も消えない。
 とりあえず、今年秋の大統領選挙で米国民はどういう選択をするのか、賢明な判断を期待したい。
(200405)
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