2020.04.13 権力基盤の強化に利用される「非常事態」法
 
盛田常夫 (経済学者、在ハンガリー)

 EUの異端児的な存在であるハンガリーのオルバン首相はなかなかの権謀術数に長けた政治家である。体制転換時に反体制運動家として頭角を現したオルバンは、共産党青年組織に代わるFIDESZ(通称フィデス、Alliance of Young Democrats)を立ち上げ、1998年に35歳の若さで首相にまで上り詰めた。その後、下野して2期8年にわたって社会党に政権を譲ったが、現在のオルバン政府は2010年から実に10年にわたってハンガリーに君臨している。

 FIDESZは当初「ラディカリズム、リベラリズム、オルタナティヴ」を掲げて政治の舞台に登場したが、第一次オルバン内閣が選挙で敗れた頃から、初期の理念を次々と捨て、反リベラリズムとナショナリズムへと路線転換した。権力奪取と維持には、それまで政権を担ってきた社会党に対抗できる理念に転換する必要があった。市場経済の落ちこぼれ層と地方の住民を権力基盤に据える方向に転換したのである。理念の実現より、権力の持続を優先した結果である。
 もともと、人口の2割の住民を抱えるブダペスト市はリベラリズムの伝統があり、知識人の影響も強い。しかし、知識人の数は知れている。都市の知識人に依存するのではなく、ブダペスト市以外の地方の住民を支持基盤にすることによって権力基盤が強固になると考えた。現在の主要な戦略をまとめると次のようになる。
 ① 反リベラリズムと反知性主義。知識人の数は高が知れているから、政府を批判する知識人を相手にする必要はない。
 ② 施し主義。社会主義時代のように、政府から与える「施し主義」の徹底。お上が下々に与えるという補助金、年金、公共料金割引を政府主導で行うことによって、政権への「有り難さ」を誇示する。
 ③ ハンガリー民族主義。周辺諸国に残留しているハンガリー系住民にハンガリーの参政権を与え、民族的一体感を強調する政策である。その分だけ、政権支持票が増える。
 ④ 主敵戦略。難民の無条件受入れを主張する国際投資家ジョージ・ソロス(ハンガリー出身)を「ハンガリー国家の敵」とすることで、事あるごとに反ソロスキャンペーンに張って、民族主義を鼓舞する。
 ⑤ メディア戦略。主要なメディアを抑え、政府批判メディアを封じ込める戦略で、公共
放送は与党政治家の不祥事を一切報道しない。政府の補助金を受けている団体が政府を批判することを許さず、批判すれば補助金を停止し、雑誌の場合には編集部を交代させる。地方のフリーペーパーにはブダペストで編集した記事を配信し、事前検閲を行う。そのために、各種メディア機関500弱の団体を統轄する組織を作りあげ、その組織への公的監査を禁止する法令を制定した。

 このような政策が次々と実行されるのは、国会議席の三分の二を保有しているからである。それもこれも、旧社会党政権の腐敗に国民が愛想を尽かしたからである。FIDESZが三分の二議席確保したことによって、国会審議は有名無実化し、次々と強権的な法令が定められていく。
 3月16日からハンガリーはEU諸国に先駆けて、国境閉鎖を行った。さらに3月30日には、「非常事態法」を無期限で延長することを決めた。事ここに至って、欧州委員会はハンガリー政府の行動に憂慮を示し、FIDESZが所属している欧州議会の人民党会派はFIDESZ除名の動議準備に入った。3月31日、FIDESZは非常事態法にもとづき、地方自治体の首長権限を制限する法案を国会に提出しようとしたが、EU内部での動きに押されて、この法案提出を撤回した。
 コロナ禍を利用して、昨年10月に惨敗を喫した相手のブダペスト市長と区長への制裁と力関係の転換を図ろうとしていることは明々白々である。その選挙では予想に反して野党統一候補がブダペスト市長に当選し、ブダペスト23区中、14区が野党統一候補の区長が生まれた。とくに、ブダペスト中心部は軒並み、野党統一候補が勝利したのである。「非常事態法」を梃子に、政府の意向に反する態度を表明する市長や区長は「痛い目に遭う」ことを示し、支持基盤を弱体化させるための権謀術数である。
 首長権限を制限する法律の提出を諦めた政権だが、実際には自治体の権限に属する施策に口を出し、政令によって締め付ける方策を打ち出している。その一つに、ブダペスト市内の駐車料金の無料化である。ブダペスト市や管轄区が行っている駐車料金の徴収を、政令によって無効とする方策で、4月6日から実行されている。「公共交通機関を利用せず、自家用車を利用することでコロナウイルスへの感染が抑えられる」という名目だが、誰もその言を信じていない。政府系区長2名も、無料化に疑念を示したが、政令によってブダペスト市の路上駐車は無料となっている。自治体の収入源の一つを奪う方策でもある。
 さらに、オルバン首相は社会党時代に導入され、その後廃止された「年金ボーナス=13ヶ月目の年金」導入を打ち出した。コロナ禍とは無関係な施策だが、高齢化するハンガリー社会において、年金生活者層の票はきわめて重要である。コロナ禍を利用した「施し政策」によって、政権への忠誠心を高めようとする政策である。見え透いた政策でも、施しを受ける側が「有り難がる」のは、何もハンガリーに留まらない。まさに、「サル化する社会」である。権力への監視を怠ってはならない。

 一つだけ付言しておけば、ハンガリーのコロナ感染者数や死亡数がきわめて少ない段階でハンガリーが国境封鎖を決めたのは、医療崩壊を事前に防ぐためである。ハンガリーのみならず、旧社会主義国の医療体制はきわめて貧弱である。資金や設備が不足しているだけでなく、社会主義時代からの医師ファーストが根強く残っており、患者に奉仕するという配慮に欠けている。ハンガリーでは、隔離病院に入院させられることは監獄に入るに等しいというのが常識である。設備が悪く、監獄並みの食事では、治るものも治らない。最初に強制隔離されたイランから戻った留学生は、個室を求めたが叶わず、病院を抜けだそうとして国外退去になった。
現在は、特定感染国からの帰国者で無症状であれば、自宅で強制隔離を2週間行うことになっている。自宅門塀にはその旨の赤紙が貼られ、自宅からの外出は禁止されている。警官が毎日訪問し、自宅隔離がチェックされている。感染者でも、無症状や症状が軽い場合には、自宅での2週間の自主隔離が要請されている。隔離病院に入院させられるより、遙かに文明的な生活を送ることができる。
 体制転換後、旧社会主義国から医師や看護師が多数、西側に流出した。ハンガリーやチェコの場合は10%程度の流出で収まっているが、ルーマニアなどはEU加盟後に医師の半数が流出し、コロナ禍なしでも医療体制が崩壊している。ブルガリアやセルビアなどの状況もきわめて厳しい。こういう諸国で重症者が増えると、まったく手がつけられない状況になる。
 コロナ禍はそれぞれの国の医療体制や社会保障制度、設備・技術の問題を赤裸々にした。そこから学ぶ姿勢を持てるかどうか。今の政治家にそれを期待するのは難しい。

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