2020.04.28 「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
- 方方女史の『武漢日記』(3)

田畑光永 (ジャーナリスト)

訳者注: ご覧のように今回は前回までよりすこし長い。途中、省略した部分がないためだが、そうしたには理由がある。お読みいただけばお分かりのように、今回は日記の日付より2か月近く以前の1月中旬、蔓延がまだ初期の段階に、北京では武漢の「疫情」について全国的なテレビ・電話会議が開かれ、真剣に対策が話し合われたのに、現地、武漢では行政の立ち上がりが遅く、その間に犠牲者が増えてしまったことに、筆者は痛憤やるかたない思いをぶちまけている。状況を直接知らないわれわれにはよく意味の分からない部分もあるが、それはそれとして、市民としての痛憤を省略なしにお読みいただきたい、と思ったのである。末尾に当時のいきさつを訳者の知る限りで注釈をつけた。******

3月9日
 昨夜の雨はかなりの 降りだった。今朝も続いている。春雨の持ち味は音もなくそぼ降るところにあるはずだが、今はざあざあとやかましい。そして一日中、電灯を点けていなければならない。
 医師の友人から知らせが来た。字面から楽観的な気分が見て取れる。新しく確認される患者が少ない日が3日続いている。それも減り続けている。疑われる患者の数も少なさを保っている。(湖北)省と(武漢)市の大将が代わってから、確かに力強いやり方で蔓延を抑えている。武漢で病人が多かったころ、19の仮設病院を建てると計画されたが、今は明らかに不要になった。
 医師の友人が言うには、すでに11の仮設病院が休院し、残る3つも今日明日中に休院するだろうとのこと。現在、武漢の疫病戦はすでに終息段階に入った。戦場整理といったところだ。重症の患者が持続的に減っているのには2つの要因がある。1は治った、2は亡くなった、である。現在の重症患者はなお4700余人、小さな数字ではない。医療人員は最良の方法で治療にあたっているから、彼らが頑張ってすこしでも早く状況が良くなることを期待している。
 多災多難な中心病院では、今日亡くなった人のなかに、また1人、医師がいる。眼科医の朱和平先生だ。この前、同じ眼科の李文亮医師が2月6日夜、亡くなった。甲状腺乳腺外科の江学慶医師は3月1日に亡くなった。眼科副主任の梅仲明医師は3月3日、亡くなった。これまでに中心病院は4人の医師を失った。内3人は同じ科だ。聞くところでは重症者のリストにはなお何人か、中心病院の医師が含まれているそうだ。
 こんな惨状を前にしては、問いかけざるをえない。中心病院では何が起きているのか?なぜこんなに多くの医療人員が倒れるのか?病院の主要幹部、つまり院長と共産党書記はどう解釈しているのか?新型ウイルスへの理解が足りないというだけなのか?あるいは前向きの言い方をすれば、中心病院の医療人員は武漢人民のために人体の防護壁を築いているのか?これらの質問の意味を分かってもらえるだろうか?
 考えてみれば、これらはわれわれが必ず聞かねばならないことなのだ。今日、すでに数篇、中心病院の行政幹部に対する質問を読んだ。また事情を知る人の自己批判とアピールも読んだ。そこに書かれた内幕には真実も虚偽もあるだろうが、私にはそれを確認することはできない。しかし、4人の医師が死に、病院にはなお200人以上の医療人員が横たわっていることは間違いのない事実なのだ。
 そのことだけを基に考えても、中心病院の院長と書記はこの病院の指導者としてふさわしいのか。そして彼らがいなくても、中心病院はそのほかの人たちで疫病戦を続けられると私は信ずる。だから私はここで、湖北省と武漢市のお役人の引責辞職はまず中心病院の書記と院長からスタートすべしと言いたい。
 引責辞職は本来ひとつの常識にすぎない。自らの本分とする仕事がきちんとできず、仲間に重大な損害を与えたなら、良識があれば直ちに引責辞職して、贖罪の自覚の上でそれを償うべきである。ところが実際には中国でこのような人、あるいは出来事に出会うことは難しい。
 われわれ大勢、ほんとに大勢の人間は、たくさんの大きな概念をわきまえている。しかし、基本的常識が分からない。概念とはむなしいもので、つかまえようにもつかみどころがない。それはわれわれが拝聴するお役人の話のようであり、拝読するお達しの書類、読む新聞の文章のようで、長いことこねくりかえしても何が核心の内容なのか分からない。
 そして主題を探し当てたとしても、その主題の大半は実のないうつろなもの、無数のありふれた小常識であって、そのどれもがあの概念どもによって言葉の土壌の下に抑えつけられていて、芽を吹くことは非常に難しい。しかし、これが常識、人生の必需品なのである。
 昨日、私は袁国勇先生が「軟情報」(前回既出)という3文字に触れたと書いた。科学者は軟情報を重視しなければいけないと言ったのだ。実際は科学者のみならず、その他のたとえば病院の管理者、政府の管理者も同様に「軟情報」に特に敏感でなければならない。
 私自身は(2月)18日から家を出るときにはマスクをするようになった。家のお手伝いさんにも買い物に行くときにはマスクをするように言った。なぜ?巷のいろいろな「軟情報」を聞いて、用心にしくはないと思ったからだ。
 惜しむらくは、われらが政府のお役人は何千万もの人民を管轄しながら、まったくこういう用心深さがない。各種の大がかりな行事が1月21日まで続いた。鍾南山(前回既出)先生が20日に「人から人への伝染」の一句をすでに発していたにもかかわらず、それらの行事は中止されなかった。
 私の同業のYLが言うには、彼女の撮影グループの友人のうちの4人が、1月19日に「田漢(有名作家)大劇場」へ上演作品を撮影しに行った。そしてそのうちの3人が新ウイルス肺炎で命を落としてしまった。もしもっと早く市民に伝えていたら、もっと早く上演を中止していたら、もっともっと多くの死を減らすことができたのではなかったのか。
 われわれ民間人は警戒心を高めるのに、われわれの指導者たちはなぜこんなに無知なのか?言うなれば、常識がたりないのだ。彼らの常識は政治の概念の上に立っており、われわれの常識は生活経験の上に立っているのだ。
 今日は1篇の文章がネット上を乱舞した。タイトルは「第4回武漢面倒丸投げ会議開く」。この文章は国家衛生健康委員会が1月14日に防疫部署テレビ・電話会議を開いたことを取り上げている。私は友人に役所のインターネットを調べてくれるように頼んだ。はたせるかな1本のニュ-スがあった。タイトルは「新型コロナウイルス感染に対する防疫工作の配置について、国家衛生健康委が全国テレビ電話会議を招集」。私はその中の2節を書き写した。
 「会議はつぎのように指摘した。現在の防疫作業には大きな不確定性が存在する。感染はなお武漢市の限定された範囲に止まっているとはいえ、新型冠状ウイルスの伝染源はまだ探し当てられず、感染ルートもまだ掌握しきれていない。人から人への感染能力はまだ厳重に監視しなければならない。タイ国衛生部が武漢から輸入した実験室での確認症例を通報してきたが、ウイルス防護情勢に重要な変化が現れている。伝染が拡散する可能性が大幅に上昇し、とくに春節の交通繁忙期には症例数とその発生地が増加する可能性があり、国内の病例が再度、国外に輸出される可能性も排除できない。最低線を維持する決意で危険への意識を強化し、蓋然性の高い考え方で蓋然性の低いことがらに応対し、管轄区域の防疫方策を研究、制定して、出現する可能性のある新症例に可能なかぎり速やかに、かつ有効に対処しなければならない」
 「会議は、武漢が決定する防疫工作を、今後の全国の防疫工作の先駆けとすることを要求する。湖北省と武漢市は厳格な管理措置を採用し、農産品市場の管理を重点的に強める必要がある。発熱した人間の管理を強め、体温検査と発熱問診の2本の防衛線を固める。人々の活動の管理を強め、大衆密集型の大規模活動を減らす。発熱患者が武漢から出ないように注意を喚起する。患者の救護と密接接触者の管理を強める。最も厳格な措置を間違いなく実行し、病疫を現在地にとどめる決意を固め、武漢の病疫を拡散、蔓延させないよう最大限の努力を払わなければならない」
 1月14日の会議!1月14日!鍾南山(前回既出)が「人から人への感染」を言うより6日も早い。「封城」より9日早い。「第4回面倒丸投げ大会」の一文を書いたのは理工系の男性で、やり方は最高だ。かれは素早く発表時期を計算して、書き加えた。「この文章は2月にネットに公開する。発表時間は2月21日より前のある日。最後に修正する時間は2月21日午前8時39分。その後、文書の発表時間は1月14日に調整された」―これは面白い。
 現在、この文書は間違いなく存在する。つまり、この会議は確かに開かれたのだ。私は私の同級生たちの討論に基づいて以下の文章に構成した。
 K同学の言:「まずこれほど大きな全国テレビ・電話会議は参加者も多く、基本的な内容を事後に改ざんすることは不可能だ。そして異議がなければ、湖北省、武漢市の2つの段階の衛生健康委あるいはその背後にいる政策決定者は、何も心配することなくことに立ち向かったはずだ。次に国家衛生健康委のホームページが今回特別に更新されたが誰が行ったのか?誰の指示によるのか?本当の過程はどうだったのか?失職した臨時工への個人的補償なのか?それとも役所が手配した事後の補償なのか?実際には国家衛生健康委はいかなる方法によっても、この非公開で報道されなかった会議の情況を明らかにして、世人の見方を正すこ
とができた。ところが、こういうこそこそしたやり方に頼るのは納得できない。だれも責任を追及できないように、衛生健康委はネット上に一篇の会議情報を流して、それによって今日の武漢の悲惨な局面を招いてしまったのだ。会議の精神は公開すべきではなかったのか?内部の会議と誰がきめて、対外的には秘密にしてしまったのか?
 そう、疑問が多すぎる。全国的会議であるなら、湖北の役人たちも必ず参加したはずだ。誰がこのテレビ・電話会議に参加したのか?会議の後、なぜ全く執行しなかったのか?そしてなぜメディアを通じて大衆に公開しなかったのか?発熱した人間を調べ、大型行事を中止して、発熱した人間が武漢から離れることを禁じ、人が大勢集まることを抑えるといったことをなぜしなかったのか。
 1月14日に情報を公開し、各界の人士に注意を促せば、武漢はこれほど多くの死者を出しただろうか?これほど惨烈な災難に遭っただろうか?国全体にこれほど大きな損害をもたらしただろうか?病気の蔓延と結果の重大さをすでに知った以上、なぜ手段を尽くさなかったのか?これは人為的な涜職か?それとも注意散漫か?はたまた無知か?何日かをやりすごせば、自分は安泰と考えたのか?要するに、私には合点がいかない。
 反省と責任追及は2つで1体だ。きびしい追及なくして、まじめな反省はありえない。病気がここまで広がった以上、それはどうしてもしなければならない。現在、まだ人々に記憶が残っている。時間の細かいところまで、頭の奥底に深く残っている。まさに今が反省と責任追及をなすべき時だ。そしてお役所には速やかに調査班を立ち上げるようもう1度希望する。病気が今日の災難にまで広がった究極の原因はなんなのか、徹底的に調べるのだ。
 同時に提案する。文章を書く能力のある武漢人は1月以来、自分が見たこと、聞いたこと、感じたことを記録してほしい。また民間の書き手はグループをつくって身内を失った人々を探し、彼らが医師を探すところから家族の死に至るまでの過程を書き記すのを手助けしてほしい。
 勿論、ホームページを開設して、こうした文書を分類して掲載すればより便利である。勿論、可能ならの話になるが、何冊か記録集を出すことも必要だ。われわれ武漢人は今度の災害について集団の記憶を残すのだ。みんなができる限りの援助の手を差しのべてくれることを、わたし個人としても願っている。
 今日来た医師や友人の発言中には、こういうことも書かれていた。「閉じ込められている900万の武漢人および100万の他郷の人々、他所にいて今に至るも帰ってこられない人たち、統計数字には表れないが差別されている無数の武漢人、湖北と武漢に駆けつけてくれた4万2000人の英雄戦士、14憶人のまだ正常な生活に戻れない中国人民、すでに皆、疲労困憊、持ちこたえられない」
 もう1人の医師の友人はたった今、こう書いてきた。「ホットラインによる『今、関心のある問題』を見ると、民衆が関心を持つ主要問題は『病気への感染』から、『いつ仕事に復帰できるか』、そして『復帰のあとの防疫』へと移ってきている。大部分の民衆は今のところ仕事復帰の手立てがないか、あるいは失業中である。巨大な経済的圧力が巨大な焦燥感を生んでいる。それは消極的感情から心理的危機へとつながるだろう」
 すべての災難がすみやかに終わることを念じてやまない。(以下次号)

訳者注続き: 私が本ブログにこのコロナウイルス肺炎について最初に書いた時には、まだ事情がよくわからず、現地当局の情報隠蔽、初動の遅れには触れなかったが、その後、当時の経緯が徐々に明らかになってきた。
 まず、最初の患者の発生については、1月11日に武漢市当局は19年12月8日と発表した。今のところこれが公式発表である。しかし、今年3月13日に香港紙『サウスチャイナ・モーニングポスト』は「中国政府の非公開情報」として「19年11月17日に感染した湖北省の住人(55歳)にまでさかのぼれる」と伝えた。同紙は同時に「0番目の患者はまだ確定していない」とも書いている。
 つぎに「日記」が問題にしている1月14日の会議については、AP通信が中国政府の内部文書を入手したとして、「14日、中国国家衛生健康委員会の馬暁偉主任が内部会議で新型ウイルスについて、『2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)以来のもっとも深刻な問題で、公衆衛生上の重大な事件になる』との認識を示した」と報道している(1月17日『読売』ワシントン特派員電)。
 その後の患者数であるが、19年12月31日の市当局の発表では「27人の症例確認、1人重体」、1月18日、市衛生当局「16日現在、患者数45人」。それが22日には「571人、死者17人」、さらに24日発表では「患者数830人」となる。日記の筆者が怒っているのは23日の「封城」に至るまでのこの期間の当局の無策である。しかも、その間、19日には伝統とはいえ「万家宴」という「4万余りの世帯が料理を持ち寄って春節の到来を祝う」大宴会も例年通りおこなわれた。
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack