2020.05.06  「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
 - 方方女史の『武漢日記』(4)
 
田畑光永(ジャーナリスト)
                         
3月10日
 天気はすこぶるよくなった。お日様がまぶしい。どこの庭も写真に絶好だ。満開の花、百花繚乱。そうだ思い出した。今年は2月6日に海南島に行き、ちょうど今日、帰ってくる予定だった。結果は市内に封じ込められて、出かけるあたわず。感染病のほうはここまで来て、やっと掛け値なしに、苦難の日々は過ぎた、と言えそうになってきた。
 仮設病院はすべて休院した。新しく確認される感染者も非常に少なくなった。もう2,3日で0になるのではないか。災難はもうすぐ終わる。友人の皆さん、でも決して私に向かって「勝利」とは言うなかれ。心してください、「勝利」ではありません、「終わり」です。
 「封城」がこれほど長びくとは正直思わなかった。前回、病院に薬をもらいに行った時、1か月分で十分と思ったが、実際はとてもそれでは足りず、また病院へ行った。それに私の手の問題がぶり返した。数年前、手のひら全体にひび割れができた。そして1年近い治療で完治したはずだったのが、このところ突然また指先から割れてきた。今日は指が痛くて、キーボードが打ちにくいので、多くは書けない。
 しばらく前のことだが、『騒客文芸』という雑誌(私は寡聞にしてこの雑誌を知らなかった、お許しあれ)から郵便物が届いた。それにはいくつかの質問が書かれていた。ニュース媒体と違って文芸誌だから質問も
穏やかだったし、同業なので、思うままに回答した。今日はそれを書き留めておきたい。
1、貴方の日記はありのまますぎるのでは?内面の細かい記録やさまざまな感情を述べる時に、文学的手段で修飾しようとは思いませんでしたか?
方方:文学観が違うからそう考えるのでは?これは日記だから修飾はいりません。書き始めはツイッターでした。ツイッターはむだ話の舞台ですから、思いつくままに書いた。それに私は文学青年ではなく、職業作家ですから、私の手は私の心を書く。内心で思うことを書けばそれで充分と思っています。
2、大勢の人があなたの日記に注目していて、『長江日報』(訳注・中国共産党武漢市委員会機関紙)のようなメディアは信じていない。これをどう思いますか?
方方:、ニュース・メディアを信じない、というのは、偏っています。大きな面の報道、病気の全体的な状況はやはりメディアの報道を見なければなりません。私のはただ個人の感じ方です。私はここにいて、局面全体を見渡すことはできません。明らかなことです。書き始めた時は勿論、こんなに多くの人が読んでくれるとは思いませんでした。私にも不思議です。学校仲間や仕事仲間にも、なぜ大勢が読むのだろうかと聞いてみましたが、だれにもはっきりとは分からなかった。
3、「時代の一粒の灰も個人の頭に落ちれば、それは一つの山だ」。これは今回の感染病騒ぎの中で、最も広く伝わった一句です。この言葉を思い返してみて、一つの予言となった、という感じはしませんか?
方方:・これは予言ではありません。一つの事実にすぎません。いつの時代にも存在する一つの事実です。
4、貴方は毎日、個々のニュースに注目していますが、「武漢日記」のほかになにか一人の人、一つの事柄の運命を記録して、小説にする考えはありますか?(つまり最も深く貴方を動かした個人、事柄の運命というものはありますか?)
方方:多くの人が私を突き動かし、私を感動させました。でも小説を書こうという気持ちはありません。というのは、今、私の手の上には書く計画がすでにたくさんありますから。
5、ある人に言わせれば、今度の感染症騒ぎに中國の作家は集団で声を失った、そうです。なぜ貴方は声を上げるのですか?
特に貴方の日記にはかなり大勢の何もしない役人や武漢市に対する批判が・・・
方方:その見方は間違っています。本当のところ、多くの作家は記録しています。でも、各人の記録の仕方は違います。ある人は小説の形で記録し、あるいは個人的に記録しています。私のように公共のプラットホームに記録する人間も少なくありません。それから他地方の作家はここの情況が分かりませんから、声の上げようがないのは明らかです。アフリカでエボラ出血熱が蔓延した時は私も声を上げませんでした。どういうことだか分らなかったからです。自然なことです。作家に1人づつ何かを言わせようというのはやりすぎというものでしょう。武漢の蔓延がこんなにまで広がったのは、勿論、1人の人間のせいではありません。湖北省と武漢市の主な役人と専門家、それに湖北と武漢の衛生健康委員などなど、全員に責任があります。それも大きな責任が。彼らに責任があるとすれば、私にもその責任を追及することはできるはずです。
6、「媚を売りたいなら、節度を守るべし。私は年はとったけれど、批評する気力は一向に衰えない」。この言葉はあなたにまつわる多くのエピソードを私に思い出させました。たとえば「某作家は魯迅文学賞を取るために運動した」、「某詩人は肩書によって評価を上げた」など、貴方が発表された質問書はどれも批評でした。それも皆、周辺の人たちでした。頭を下げていては見えない、頭を上げてこそ見える、と言いますが、貴方が発するのはいつも批評でした。貴方にとって、批評とは何を意味するのでしょうか。
方方:作家協会の役職についていたころは、規約に違反することがあれば、まず協会の党組織と相談し、彼らに処理してもらいました。しかし、彼らが取り上げない場合、やむなく私はネット上で声を上げましたが、職責を果たしただけです。今は引退しましたから、彼らが何をしようと、関係ありません。
7、作家とは著作以外にも、より多くの社会的責任を負うべきだとお考えですか?
方方:人によるでしょう。すべての人が社会的責任を負うのに適した性格だとは限りません。「負う」という2文字は簡単ですが、腹が坐ってなく、能力もなく、性格も弱く、気も弱く、すぐ焦る、と言った人には「負う」のを任せる必要はないでしょう。この世界のことは、誰かが何かを引き受けるとすれば、その人はその負担を楽しむのです。昔からそうです。誰かに無理強いしてもだめです。ですから、選択の問題です。すべきか、すべきでないか、ではありません。
8、最初、貴方は『軟埋』(訳注・方方が『人民文学』2016年第2期に発表した長編小説)について、「廟堂」(官僚勢力)と「江湖」(一般社会)の双方から攻撃されました。どう思いました?大勢がわーっと攻め寄せてくるのは怖くありませんでしたか?
方方:なんでもありませんでしたよ。怖いことなんか一つもない。向こうのほうが私を怖かったのでは?筆の戦いですからね。私は職業作家ですよ。することは字を書くことですよ。なんであの人たちが恐ろしいの。こん棒で喧嘩をするなら、きっと怖かったでしょう。しかし、彼らは文章を書いた。私の得意技ではありませんか。貴方の言う「江湖」とは極左人士のことでしょ?あの人たちのレベルは低すぎる。文字能力、論理的判断、思考慣性など、まったく低レベル。あの連中と文章で争うのは自分を値引きしているようだった。中国のこの素晴らしい文字を彼らに使うことは惜しいかぎり、彼らとのやりあいは今、思ってももったいない。しかし、役人は違う。とくに大官は権力を持っているから、引退後でも大勢に影響力がある。彼らが出てきて私を攻撃すれば、当然、私は反撃する。あの極左のごろつきたちとはいやいややり合ったのだが、お役人の衣をまとった極左となれば、私には反撃しない理由はない。反撃の結果、負けたのは私ではなく、彼らのほうだった。彼らは今でも覚えているから、いい加減に作家を罵ったりしない。退職高官たちが今後、跳び出してきて1人の作家の作品を批判したりするかどうか、見ていてご覧なさい。それは彼らが自分自身をやっつけることになるから。
9、ずっと将来のことをいえば、もし誰かが方方という作家を評価して、「彼女は社会的責任観が強く、良識に富み、尊敬された作家だった」と言われるか、「彼女は文章のレベルが高く、著作の技巧に優れた作家だった」と言われるか、どちらを希望しますか。
方方:まあどちらでも。もともと私は他人の評価は気にしません。自分流に生きられればそれで結構。他人がどう感じ、どう評価しようと、私には関係ありません。
10、『武昌城』(訳注・方方の長編歴史小説。『人民文学』2011年第3期に発表)を書かれた時、真実の歴史と想像上の虚構とのバランスをどうとりましたか?歴史を肝に銘じることは、今現在の生活とどうかかわりますか?
方方:小説はあくまで小説です。虚構が必要です。しかし、真実の歴史を小説に書く時は歴史を尊重しなければなりません。私は私の筆から生まれる人物を歴史のある過程に放り込むだけです。あらゆる歴史には隙間があります。歴史小説を書く時は頭の中に歴史上の事件の大きな図面を広げます。そして、その中の隙間を探し出して、私の人物をその中にはめ込むのです。歴史を銘記するとは、歴史を鑑とするという一言に尽きます。
11、ネット上には貴方に疑問を感じたり、あるいは反対したりする声もたくさんあります。そういう声に接した時、不満を感じたり、傷ついたりしますか?貴方がそういう情況に置かれ、周りの人たちが心配したり、慌てたりしている時、あなた自身はどのように平常心を保ちますか?
方方:傷ついたりはしませんが、不満は多少感じます。しかし、もっと大量に感じるのは怒りと不可解です。極左の連中は怒りを感じるからといって、なぜこんなことをするのか。あるいは理解出来ないからといって、なぜそれほど恨むのか?私は彼らの中の誰1人もまったく知りませんし、なんのつながりもありません。それなのに彼らの私に対する怒りは、彼ら全部と前世以来、父の仇だったみたいです。全く理解できません。
私とて常に平常心でいるわけではありません。緊張する時もあります。どうしたらいいかわからない時もあります。多くのことがはっきりしない時、心は乱れます。
12、作家協会の前主席という肩書は、身を守るのに役立ちますか、それとも逆ですか?
方方:どちらもないでしょう。主席だった時もなんとも思わなかったし、やめてもどうということはありません。肩書が私を守ってくれたこともなかったし、その逆を感じたこともありません。主席になる前、好きに生きていましたし、主席になってもなにも変わらなかった。やめても以前と同じです。主席という地位をそれなりのものと思う人は中国の体制を根本的に知らないし、私個人についてもまったく知らないのです。
13、貴方の多くの作品は武漢人の生活を描いています。武漢人のどんなところが一番好きですか?今回の肺炎騒ぎで、なにか武漢人の違う側面に気が付きましたか?
方方:武漢人は昔からさっぱりしていて、義理にあつい。人助けが好きで、江湖の気があります。それは武漢の地理的位置と気象条件に関係があるでしょう。武漢は昔から商業都市で、市民はうわついてちょこまかしていますが、肝っ玉は小さい。政府の話は割とよく聞きます。生活を楽しんで、政治にはそれほど興味がありません。きわめて現実的です。感染症に対しても同じです。これが私の武漢人の印象です。別に特別変わったところはありません。
14、作家と都市の関係をどう見ますか?
方方:魚と水の関係、植物と土壌の関係、でしょうか。
15、病気の騒ぎが終わったら、何を一番にしたいですか?
方方:書き終えていない小説を書き続けます。(以下次号)
訳者補足―今回は「騒客文芸」という雑誌の書面インタビューに答えた内容がほとんどを占めるので、コロナウイルスについての記述はない。しかし、これまでは日本では一般になじみのなかった方方という作家について知るにはちょうどいい題材と思われたので、今回も全訳した。また、武漢では方方女史の知り合いでもある梁艶萍という湖北大学文学院教授(女性)が昨年の香港のデモを支持する文章をブログに書いたということで、批判を受けているといわれる。この文章にも方方女史が過去に自身が批判にさらされた時の回想があるが、ウイルス騒ぎが一段落するやすぐさま文字獄が始まるのも中国の現実だとしか言いようがない。                                                       (200428)
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