2020.05.07  チューリップ 残酷物語
   韓国通信NO636

小原 紘(個人新聞「韓国通信」発行人)

住まいの近くの「あけぼの山公園」(千葉県柏市)。利根川の河川敷に近く小高い丘のそばに布施弁天があり、桜の名所でもある。
桜が散ると次はオランダの風車の周辺にチューリップが一斉に咲く。
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下の写真はチューリップ畑全体をパノラマ写真で撮ったもの。そのスケールの大きさがおわかりいただけるだろう。
外出の「自粛」と言われても、家の中ばかりでは心も体も腐る。チューリップを見がてら利根川の土手を散歩しようと出かけた。コロナの影響か人出はまばら。そこで何よりも驚いたのはチューリップの姿が全く消えていたことだった。消えたというより見事に刈り取られていた。チューリップは小学生たちが毎年植えている。花壇の列毎に学校とクラスの名札が誇らしげだった。
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花を見に人が集まる。だから花を刈り取った。コロナウイルスの感染対策だ。公園の花を刈り取る発想に凡庸な私はついていけない。人ごみを避けてのんびりと花でも見ようか。そんな地方の公園である。「空襲警報発令」の声とともに防空壕に追い込まれたかすかな記憶と重なる。市の広報車が外出の自粛を呼びかけていた。植えた子どもたちの了解なしに花は刈り取られた。子どもたちに分けてあげてもよかった。あれだけの数だ。トラック1台に載せきれなかったはずだ。

コロナウイルスの恐怖は際限なくひろがる。思い出すのは9年前の放射能汚染。このあたりは福島並みの量の放射能に見舞われた。当時に比べて空間線量こそ減ったが、場所によってはまだ1ミリ㏜を越す。柳宗悦が愛した手賀沼の底にはセシウムがヘドロとなって沈殿している。
見えなければ無かったことにして9年間忘れようとしていたところに、コロナがやってきた。放射能を忘れられるならコロナも忘れてもよさそうだが、そうはいかないのが不思議だ。
花を見ることさえ認めないコロナ対策に人類の危機を感じないではいられない。免疫になるまで全世界に感染者と死者は増え続けるのか。ワクチンが見つかってもまた新たなウイルスが私たちを閉じ込める。マスクをした不気味な政治家たちにすべてを任せるわけにはいかない。
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