2020.05.09 私が出会った忘れ得ぬ人々(20)
   長嶋茂雄さん――教科書的な野球は百㌫嫌い

横田 喬 (作家)
             
 「ミスタープロ野球」こと長嶋茂雄さんの存在は天下に名高い。二〇〇二年のアテネ五輪へ野球の「全日本」監督として出場直前に脳梗塞でダウン。体が不自由になるが、超人的なリハビリに努め、社会復帰を図る。その姿は多くの人々に勇気と共感をもたらしたはずだ。新型コロナ禍で気が滅入る目下、彼を話題に気分の回復を図ってみよう。

私は随分昔の一九八三(昭和五八)年に、彼と差しで一時間余り対話している。当時の『朝日新聞』紙面から概要を引くと、
 ――現存の千葉県人で世間に一番売れてる顔と言えば、さしずめプロ野球巨人軍の前監督長嶋茂雄(四七)だろう。本人自ら、けろりとした顔で言い放った。「佐倉惣五郎の後は、長嶋茂雄でしょう。人物の出ない土地ですから」。この人ならではの天真らんまんぶりに、つい声を立てて笑ってしまった。自ら「典型的千葉人」と認め、「明るくて楽天的、お人よしのおっちょこちょい」とサービス精神満点の補足もした。――

 長嶋さんの「天然ぶり」は世に有名だが、私が噴き出すと釣られて自分も嬉しそうに笑い、和気藹々のムードに。ちょうど戦時中に当たる少年時代を回想し、自宅裏手に広がる印旛沼の存在を強調。ザリガニ採りやフナ釣り、兵隊ごっこに水泳・・・、楽しかった日々を説き、こう言った。
 ――荒馬みたいに跳ね回る野生児そのままの毎日でした。僕の土台は田舎の環境。野球は激しい格闘技だし、都会で生まれていたら、僕の人生は変わっていたかも。

 立教大では通算八本の六大学リーグ本塁打新記録をマークし、プロ入り後は天覧試合の檜舞台で劇的なサヨナラ・ホーマーを放ち、MVP五回・首位打者六回・打点王五回。天才野球人・長嶋の本領は、ここ一番の正念場に見せる類稀な勝負強さだった。その動物的なカンの冴えは、印旛沼の申し子とも言うべき野生児暮らしの佐倉の日々に源がある。

 スター長嶋は、派手なトンネルや空振りでさえ絵になり、キラキラまばゆく光った。生来のそそっかしさから、せっかく本塁打を放ちながら一塁ベースを踏み忘れたり、勢いの余り前の走者をつい追い越してアウトという大チョンボさえやらかした。ファンの目には、それがまた天才の人間的弱点と映り、一段と親しみを増す作用をした。

 栄光の選手時代に比べ、監督(とりわけ七五~八〇年の第一期)長嶋のイメージはいささか精彩を欠く。独特のひらめきに頼る「意外性野球」は、前任の川上(哲治)的「管理野球」全盛の中で新鮮味はあれ、セオリー軽視のバクチが外れた時の痛手も小さくはなかった。私がインタビューしたのは第一期の監督を辞任して三年後のこと。「選手と監督はどっちが大変でしたか?」と尋ねたら、「そりゃあ、選手ですよ。監督は選手にただやらしとけばいいんだから」と即答した。いささか首を傾げたくなったのをはっきり記憶している。

 しかし、近年のテレビ番組で同様の質問を受けた長嶋さんは「それは監督です」と明言していた。近著には「試合中の指揮は氷山の一角のようなもの。監督業の大変さは水面下に隠れた大きな部分にこそある」という記述もある。監督再任への十二年の空白期間は無駄ではなかったな、と得心がいった。

 彼は千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)の農家に生まれた。小学校当時は体が小さく、あだ名は「チビ」。が、運動神経抜群で、運動会ではいつも一等賞をさらう。兄の影響で野球を始め、中学では「一番・ショート」。佐倉一高に進んだころから体がめきめき大きくなり、三年夏の南関東大会の試合で中堅越え百三十㍍の超特大本塁打を放ち、一躍注目される。

立教大へ進学し、スパルタ練習で鳴る砂押監督と出会う。普通の二倍も重いマスコット・バットを千回も振るノルマを課され、掌の血豆がつぶれ軍手は血だらけに。夜間は石灰を塗った球で月夜の猛ノックを浴び、守備力も徹底的に鍛えられる。砂押はアメリカ大リーグ野球の信奉者で、名門ヤンキースの至宝ジョー・ディマジオの打撃フォームの連続写真を手本に示し、球をできるだけ引き付け腰の回転でフル・スイングするよう説いた。バットを振り終えた後のフォロースルーなどは、確かに長嶋はディマジオそっくりに映る。

 立大を出て、プロ野球「巨人」へ。五八(昭和三三)年春、対国鉄戦に「三番・サード」でデビュー。相手のエース金田投手の快速球に渾身のフルスイングで立ち向かうが、きりきり舞いし連続4三振。当夜、悔しさと惨めさで悶々として寝付けず、「プロでも楽にやれるという気分が一遍に吹き飛び、非常にいい体験になった」と言う。が、プロの水になじむにつれて順調に打ち出し、公式戦全イニングに出場。29本塁打・92打点で二冠に輝き、新人王・ベストナインに選ばれる。

 私生活では東京五輪開幕の六四年、五輪コンパニオンの西村亜希子さんと結婚。二年後、長男・一茂(後にプロ野球選手、現在は個性的な人気タレント)が誕生するが、ほどなく珍事が持ち上がる。幼稚園児の一茂を長嶋が後楽園球場へ連れて行くが、試合後それをすっかり失念。独りで帰宅して亜希子夫人に咎められ、大慌てした。取材の折、この件を私が持ち出すと、苦笑しながら彼は言った。

 ――試合で打てないと、なぜだろうと考え込み、頭がそれで一杯になる。家で素振りを試みて原因を確かめねば、と気が急く。その余り、他のことは一切忘れてしまうんです。
 なるほど、と合点がいった。一点への精神集中が強過ぎる余り、その付けが回って他事がおろそかになる。私なども似た性向があり、同病相哀れむ思いがしないでもなかった。

就寝前に自宅地下室で行うバットの素振りは、彼にとって試合前夜に欠かせぬ儀式と言ってもいい。彼は著書にこう記している。「七~八種類もある相手投手の投球を瞬時にきちっと捉えるコツは、心の在り様にかかる。無垢な気持ち、純真さに勝るものはなく、言うならば自分自身に対する責任感です」。ストライク・ゾーンから少々高めに外れるボール球でも、打てると思えば構わず打ちにいった。相手の捕手が立ち上がって敬遠しようとした球を「大根切り」打法でホームランにしたことも度々ある。

 数々の「長嶋語録」の中で、私の胸に最も強く響いたのは、
 ――教科書的な野球は百㌫嫌い。勝つことに徹して客を白けさせる位なら、客を喜ばせて負けた方がよいと思う。客をないがしろにする野球はやりたくないから。

 生来へそ曲がりの私は「巨人(最近はソフトバンクも)・大鵬(いま白鵬)・卵焼き(アベ自民党)」が大嫌い。が、元巨人軍でも長嶋さんだけは別格だ。人柄にめっぽう面白味があり、「よい目は信頼に足る男の証明で、よい笑顔は愛すべき人間である証拠」(自著での彼の記述)を地で行っている、と感じるから。
Comment
管理人にだけ表示を許可する
 
TrackBack