2020.05.19 「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
      - 方方女史の『武漢日記』(9)

田畑光永 (ジャーナリスト)

3月15日
 引き続き好天。空が明るいと、心が弾む。数日前、同じ「文聯大院」(訳者注:文芸関係の人が住む集合住宅の呼び名?)に住む母方の姪が肉まん、焼売といった粉の食材を届けてくれた。2日間食べてみて、北方人がなぜ粉食を好むかが分かった。便利だからだ。粉食の半製品の数は多い。ちょっと手をかければすぐ満腹。
米を炊き、おかずをつくるのに比べると、便利で手間がかからない(ついでに断っておく。武漢では外出禁止なのになぜ私が文聯に行って品物を受け取ったりできるのか、とうるさく質問してくる人にお答えするが、私は文聯の敷地内に住んでいる。だからあなた方が居住区の入り口で食料を受け取るのと同じこと。うるさいことを言わないで!)。幸い私は粉食が大好き。2日ほど、炊事の煩わしさと後片づけなし。以前、テイクアウトのお弁当を買って、食べたらポイと同じ。
 友達のJWが彼女の弟の李さんが書いた文章を送ってきた。李さんには2人の友人がいて、ともに老年合唱団の団員。武漢では多くの退職老人が文化的な活動に参加している。とくにわれわれ世代は青少年時代に「文革」を経験した。当時、各学校には文芸宣伝隊があったから、歌ったり踊ったりできる人間が多い。現在、退職して暇になったので、その当時の芸術細胞が呼び起こされた。休日ともなれば、彼らは非常に活発で至る所へ出かけて行って公演、あるいは集会を順番にこなしていた。それが彼らの晩年を楽しいものにしていた。
 今年も同じはずだった。ところが猛然と襲ってきた新型ウイルスに大勢が命中した。李さんは2人の友人への懐旧の思いを綴っている。書き出しはこうだ、「包傑と蘇華健、2人の身近な友だちがこの正月に突然、命を落としたなどとは、どうしても思えない」。
 武漢には感動的な物語がある。息子が病気になった。90歳のお婆さんは家族が感染するのを心配して、自分で看病しながら病院の外来で5日5晩、病院のベッドが空くのを待ち続けた。やっとベッドが空いた。彼の病状が悪化して集中治療室へ入ったのだ。徐美武という名のこのお婆さんは看護師から紙とペンを借りて手紙を書いた。「息子、頑張るのよ、粘り強く病魔をやっつけるんだ。治療では先生の言うことをよく聞いて。息が苦しくなっても我慢、我慢、きっと治るから。血圧が正常なら、鼻からの呼吸を先生にお願いしなさい。お金を渡すのを忘れたから、500元を先生に預けておく。身の回りのものを買ってもらいなさい」。
 当時、この手紙を読んで泣かない人はいなかった。実の母親だったのだ。息子が60何歳になろうと、母親の中では彼はいつまでも息子だった。この息子こそ李さんの友達の包傑さんだった。残念なことに、この手紙を彼は読むことが出来なかった。翌日、この世を去ってしまったからだ。すべての親しい人たち、そして強い、誰からも尊敬される老母を残して。
 李さんが言うには、「湖北省の黄埔軍官学校(昔、広東省の黄埔にあった国民党の軍官学校)同窓会所属の芸術団が春節の懇親会に向けてプログラムの準備を始めた時に、包傑も黄埔の後輩だったから、人の紹介で芸術団に入った。入ったとたんから、彼はすばらしかった。喉がよく、声も訓練されていて、歌には感情がこもっていた。2日もしないうちに皆が彼を歌のトップに推薦した。今年1月17日の正午、省黄埔同窓会主催の懇親会があり、彼は立派にトップの任務を果たした。その時、彼は私のそばにいた。」
 しかし、包傑さんは1月18日にもう1つの懇親会に参加し、そこで感染した。「同時に3人が感染し、2人が犠牲になった」。
 武漢市にはもう1つ「希文合唱団」という民間の合唱団がある。1938年の創立で、最初のメンバーは希利達女子中学と文華中学の先生と生徒たちだった。改革・開放以後、老人となった彼らは「希文合唱団」を再組織した。メンバーは昔の2校の人間に限らず、社会全体に門戸を開いた。そして今年の1月にもかなりの活動ぶりであった。李さんの言では、彼と華健はともにテノールで、関係は密接だった。「1月9日、希文合唱団の一部の団員は范湖(市内の地名)で歌い、昼食をとった。これが華健と会った最後だった」。
 そして言う。「彼は仲間内ではとても活溌だった。なのに、急に影も形も見えなくなった。電話をしても出ない。チャットも同じ。皆、おかしい、なにか変だと感じた」。その後、蘇華健とはずっと連絡がつかないまま、訃報が来た。彼が亡くなったのは3月6日、ネット上にはまだ希文合唱団の歌が残っている。そのうちの1つ、「牽手」はとても感動的だ。あるいはみんな行きずりだ、風雨の中の。だからこそ思いが動く・・・「だから手と手が引き合う。来世もともに歩く。だから伴侶を得ての道に、振り返る歳月はない・・・」一曲の歌で自分の人生を歌いつくした。
 私は早いうちに隣人から、老年合唱団に感染者が多いと聞いた。新年と春節は彼らの公演の書き入れ時だ。そして彼らの年ごろは人づきあいがいい。李さんの文章には包傑、蘇華健お2人の写真が配されていた。すでに退職者とはいえ表情は精気にあふれている。もし警告があったなら、彼らは頻繁に公演に出かけ、一緒に食事をしただろうか?60歳前後なら現在の生活条件で豊かな文化活動を続ければ、さらに20年くらいはなんの問題もなかったろう。
 「人から人への感染はない。予防できる」。この言葉がどれほどの人を不帰の道に送り込んだことか。それを思うと、われわれ生きている人間は自分の生活を煩わせたくないからと、彼らを横死させた責任を明らかにすることに手を貸さないでいいだろうか?責任追及はしなければならないのだ?
 ここ数日、病気の状勢は引き続き好転している。武漢全体で毎日の新確定患者は一桁だ。もはや患者の数もそう多くないとなれば、出かけたり、仕事に戻ったりへの欲望はますます強くなる。このところ病気の話をする人はどんどん減って、逆に仕事復帰を語る人が増えている。ロックダウンは企業にとっても家庭にとっても、もはや耐え難いものとなっている。時間は長すぎるし、人間は抑圧されすぎ。政府はもっと機敏な政策を打ち出さねばだめだ。
よかったのは、今日、一部のすでに新規患者0となった地区へピンポイントで大型バスが乗客を乗せて走ったことだ。武漢の公共交通機関も明日から、一部企業の職場復帰する従業員の通勤のために動くことになった。これで今さら職場復帰取りやめ、封鎖解除なし、となったら、国の経済がやっていけるかどうかの問題どころではなくなって、多くの家庭が食べていけるかどうかの問題になる。
さて、私個人がこの2日間に出会ったことを話したい。
私はブログを始めてから、この方式が気に入って、毎日の記録を全部、ブログにのせてきた。すると、数日前から突然、何千という人間の悪罵が襲ってきた。大した勢いだが、理屈抜きで下品。疑問から憤怒までの過程を味わったが、今はもうなんの感覚もなくなった。というのは、その連中の大多数が私の書いたものなど全く読んでいないことを、私は見ぬいたからである。彼らは誰かが私が書いたもののほんの切れ端を読んで、悪意あふれる解説するのを聞いて、すぐ私を罵倒するのである。彼らは罵倒のための罵倒を浴びせ、罵ることを遊戯にしている。
勿論、中にはもっともらしい理屈をこねるものもある。しかし、その理屈にしたところで、勝手に選んだデマの上に組み立てたものにすぎない。デマの上の理屈など理屈ともいえない。愚かしい上に口汚く、見たくもないので、何人かは受け取り拒否リストに入れて見ないことにした。でも、今日午後、こういう罵声や屁理屈を残しておくのも悪くないと思いついた。
残しておけば、これらの悪態つきが誰かがはっきり分かる。どんな顔かたちか、共通点はなにか、どんなグループに属しているか、共同で注目している人間は誰か、誰のブログを回し読みしているか、誰と行動しているか、ウイルスの発生源を発見するように感染源がどこかが分かる。いつ同時に叫び声を上げるかを決めて、背後で煽ったり、そそのかしたり、仲間を組織したりしているのは誰か、以前には誰に悪罵を浴びせたか、などなど。
こういう一群を観察していると、得るところが多い。7,8年前に遡って、当時の学生たちをあおって「真面目なエネルギー」を動員しようとしたビラに出くわしたり、さらに彼らの指導者として推薦された一山の人名を発見したりする可能性がある。昔、ある部門の責任者だった1人にこう聞いたことがある。「貴方たちはなぜこんな連中に学生を指導させるの?やつらの中の何人かはやくざじゃないの?」惜しむらくは、相手は言うことをきかなかった。
現在は、あの頃けしかけられてネット上で「真面目なエネルギー」を発揮した連中が、指導を受けて今の彼らになっている。群れの中で走っている中の大勢はけっして悪くない。しかし、ネットの世界に入り込むと、それぞれの暗い面、悪い面を無制限に拡大することになる。
 インターネットには記憶がある。いいことだ。その上、この記憶はすこぶる長持ちする。だから、私のブログへのコメントを一つの定点観測点、この時代の生きた標本とすることができる。どの時代の記憶にも、美しい感動的な記憶もあれば、痛みと悲しみの記憶もある。しかし、残った痕跡がもっとも鮮明なのは間違いなく恥辱である。この時代に恥辱を刻むものはとても重要である。湧き上がるような悪罵と雑言はこの時代のもっとも強烈な恥辱を記録するものである。
 未来の人々はこれらを読んで、2020年にはウイルスが起こした疫病が武漢に蔓延したことと、もう一種の疫病が言葉の形で私のブログのコメントに蔓延したことを知るだろう。武漢における疫病の蔓延はこの一千万都市に前代未聞のロックダウンをもたらし、私のブログのコメントの疫病はこの時代のかくも鮮明な恥辱を示している。
 感染区に閉じ込められた受難者である私は生活上の些事と感想を日記に書いた。この日記は半分も残らないだろう。しかし、百人千人がよってたかって投げつけた悪罵は私の日記より永く残るかもしれない。
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