2020.05.29  「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし
           - 方方女史の『武漢日記』(11)
 
田畑光永 (ジャーナリスト)
                      
 3月17日
 封城55日目。
 晴天。ごみを捨てに出る。木の枝越しに坂の下の満開の桃の花が見えた。いささか「灌木、春色の断ずるを遮らず 一枝の紅桃、墻より出る」といった趣を感じた。「文聯大院」(筆者の住む居住区)は人が見えないことを除けば、そのほかのすべてはいつもと変わらない。
 今日の発表では確認された新しい患者は1人だった。0はもう目の前だ。多くの重症患者もつぎつぎと救出されている。もっとも彼らは完全回復までにはまだ長い時間がかかるけれども。彼らが頑張り通して、苦しくてもまず生き残って、そこから治癒への道をゆっくり上がってほしい。今のところ役所が発表した湖北省の新型コロナ肺炎による死者はすでに3000人余りに上る。間違いなく人の意気を沮喪させる数字だ。病勢を終息させ、遺族を慰めることは非常に重要だ。病勢を通して見て、国が湖北救済に力を入れ始めてから行ったさまざまな措置はかなり有力、かなり有効であった。その一歩を踏み出すのが大変だった。
 たくさんのもっといいニュースも他省に伝えられている。友人たちのいるところ、どこでも皆、それを見ている。その中のもっとも重要な知らせは、武漢を除いて全省の各地、各市は生産再開が始まり、大勢の従業員、労働者は武漢へ帰り始めている、というものだ。われわれが最も聞きたかった、最高のニュースである。武漢がまたあの雑踏を取り戻し、生気溌剌たる情景が再現されるのを本当に見たい。
 武漢には実のところ、企業などよりもっともっと待ちきれない人たちがいる。それも少数ではない。多数いる。それは子女がよその土地にいる「空巣」老人と独居老人だ。こうした老人たちの普段の生活は介護士か時間制のお手伝いに完全に頼っている。春節には介護士も時間制のお手伝いもほとんどは家で年越しをして、年明けに出勤してくる。ところが今年は封城のおかげで大多数が決めた通りに老人の家に来ることが出来ず、老人たちの生活が大変なことになった。何日か前、知り合いの曾さんと彼のお母さんについて話したことがあった。
 武漢にはかなり有名な「老通城」という店がある。その名前は漢口(武漢市は長江とそれに左岸から合流する漢水によって大きく3つに分かれるが、漢口は長江左岸の下流の部分)では知らない人はまずいない。老通城の「豆皮」(トウピー、米と緑豆の粉と卵で作った薄い餅で米飯、肉、筍などを挟んだ食品)は武漢人に最も人気のあるおやつだ。創業者の名前は曾広誠という。大分、昔になるが、湖北省作家協会が文学プロジェクトの1つとして、地元の人から公募して地元のことを書いてもらったことがあり、曾さんはそれに応募してきた。
 彼が書こうとしたのは『漢口老通城曾家』。彼は創業者、曾広誠の一番上の孫であった。創業者は彼に多くの痛みを背負わせたが、一方では大きなエネルギーを与えた。曾さんはそういう家族の在りし日を書こうと決めたのだ。われわれは曾さんを選んだ。そして曾さんは粒粒辛苦の末、三部曲の形式で物語を完成させた。
 数日前、その曾さんが言うには、97歳になる母親が湖北大学の教員・従業員住宅に住んでいる。曾さんたち家族はみんなよそで仕事をしており、弟が1人だけ武漢にいる。しかし、住んでいるところが封鎖され、母親のところへ行けなくなってしまった。母親は1人住まいを喜ぶたちで、直前までは時間決めのお手伝い1人を頼んでいただけだった。母親は精神も身体も悪いところはなかったが、お手伝いも離れた場所で隔離、母親のところに行けないとなった。
 曾さんたち家族は慌てた。独居の老母はほとんど炊事はできない。生活の必要品を買うこともできない。集中配送にも参加できない。野菜など玄関前に置いていくだけだから、母親にはなんにもできない。毎日の食事をどうしたらいいのか。薬もすぐに飲み終わってしまう。おまけにスマホもウイチャットのだめ。必要があっても、どうして外と連絡するか。曾さんの言うには、「電話が壊れそうになるほど、焦りまくった」そうだ。
 幸いなことに湖北大学の居住区ではサービスを状況に合わせてくれた。野菜を届けても、それを調理することができない。野菜を届けただけでは母の問題は解決しない。母は温めれば簡単に食べられる饅頭と漬物などを欲しがる。そこで、また曾さんは居住区に助けを求め、居民委員会が調理済みのものを届けてくれるように手配した。そして大学病院の当直の医師にも連絡を取った。大学側の事務員も学生も関心を持ってくれて、品物を届けた時には、曾さんのお母さんが中に入って、何か頼む用事がないか待ってくれるようになった。そして蜂蜜の瓶の蓋や醤油の瓶の蓋が開かないと聞けば、同意を得て中に入り、蓋を開けた。
 曾さん曰く、毎日、母に電話するが、話し声は楽しそうだ。そして勉強好きの情熱を発揮して、私に屈原や李斯(いずれも有名な歴史上の人物)の話をしてくれる。母は毎日、創作を1000字ずつ書いていると言い、私に読んで聞かせる・・・。
 お母さんは「彼らは毎日3度、食べ物を届けてくれる。一生のうちこれほど大事にされたことはない。大学は本当に行き届いている」と言っているそうだ。
 97歳!1人で生活し、創作の文字を書きながら、これほど長くなった封城の日々をゆったりと暮らす。なんと頑強な太太であることか!尊敬、感服するのみ。しかし、長い目で見れば、老人にこんな形で生活させることは、やはり明らかに不適当だ。武漢で介護士や時間決めお手伝いに頼って生活している老人は千や万では止まらないだろう。その人たちは切羽詰まった気持ちで世話をしてくれる介護士やお手伝いが戻ってくることを待っている。さらに言えば、私自身だってそうだ。
 昨日、あるネット友達がブログにこんなコメント残した。「私のところは黄岡蘄春県、封鎖解除6日目。この2日間、仕事の決まった出稼ぎの人たちが貸し切りのバスで続々働き場所の都市へ帰って行った。湖北のいくつかの市は大体こんな感じ。それからその他の県や市でも自家用車で省を出て働きに行くのを認めている。全体として湖北は長期間、封じ込められていたが、今、状況はゆっくりと好転しつつある」。
 本当にいい知らせ!うちのお手伝いさんも蘄春の人、今日、早速連絡してみよう。ただ、聞くところでは道がまだ開通していないというから、武漢へ戻るにはまだ何日かかかるだろう。
 今日はもう1件、記録しておくべき重要なことがあった。湖北に来ていた応援の医療隊が今日、続々撤退し始めたというのだ。彼らは湖北がいちばん危ない時に危険を冒して助けに来てくれた。湖北人は全員が彼らに恩義を感じている。4万人を超える医療人員の誰1人も感染しなかった。よかった!われわれ恩恵を被ったものも一息つける。別れとなると、感慨は深くなる。今日、友人の間で見たビデオでは、医療隊が帰る際、家から出られない武漢人はそれぞれのベランダで、皆さん、有難う!ご苦労様!さようなら!と叫んだ。熱い涙があふれ出た。武漢の道々で人々はみな最高の礼義で白衣の天使たちを見送った。彼らがわれわれの都市とわれわれを救ってくれたのだ。
 聞くところでは、湖北の襄陽市では襄陽を助けてくれた医療隊員全員の名前を記録して、今後、区域内のすべてのA級観光地と25の星級ホテルではその人たちを終身無料とすると決めたとか。本当かどうか分からない。でも、私は「そうあって欲しい!」と思う。全湖北のすべての観光地をその4万人余りの人たちに開放すべきだと思う。
 勿論、感動の中には笑い話もある。四川省の医療隊が湖北省に出発する時、1人の女性隊員の夫が車の下で叫んだそうだ。「趙英明!無事に帰って来いよ、家事は1年ひきうけた!」。今、趙英明は無事に帰宅した。
そして早速、彼女は動画を友人たちに配信してこう言った、「友達の皆さん、この夫が毎日、家事をちやんとするように監視してください」。見た人たちは笑い転げた。彼女がその後毎日、家庭の様子を放送しているかどうかは分からない。
 この数日のいちばんにぎやかな話題は外国から帰ってくる人たちのことである。こんな言い方がある。中国は前半戦を戦った。中国以外の国は後半戦を戦う。留学生は両方とも戦う。つまり、新型ウイルス肺炎がひどかった春節の時、海外にいた留学生は続々と帰って来た。現在、中国はすでに蔓延を抑え込んで、湖北省も安全となった。そして今は諸外国が緊張しているのだが、留学生たちは今度はそこへ帰っていく、と。
 しかし、この言い方は正確でない。早くから外国にいた留学生たちは病気の蔓延がひどかった頃は、各地を奔走して国内に援助物資を送っていた。大いに力を尽くしていた。今はそれぞれ元の場所へ帰っているが、実際はそうだったことをはっきりさせておかなければならない。面白いのは大勢が私に今度のことをどう思うかと聞いてきたことだ。
 私には自分の子供のように心と心がつながっている気がする。もし私に子供がいて、海外にいたら、私もきっと呼び戻した。皆が英雄になる必要はない。それは許される。家に帰るということは、心の中で自分の国は頼りになると思っているからだ。それがその人の信頼感と愛国心だろう。抗日戦争当時、「逃難」という言葉があった。日本人が来たとなると、大勢の庶民は南へ逃げた。なぜその土地にとどまって「鬼子」(日本兵)と戦わないのか、などと責める人間は1人もいなかった。「逃難」は人間の本能だ。とどまって日本と戦うのは英雄だ。「逃難」して逃げたものはせいぜい英雄ではなかったというだけのことだ。まして自分でも英雄ではないと認めているのだから、なにも責められるいわれはない。
 海外にはまだ十数万人がいて帰国したがっていると言われる。中国はこんなに大きいのだから、各省はそれぞれ自分のところの子弟を帰宅させればいい。それだけのことだ。病気にかかったものは入院させ、そうでないものは帰宅させて隔離すればいい。ただ、病から逃れた過程や帰国後において、規則は守れなければならない。自分を守るために他人の利益を傷つけないというのは前提であり、常識だ。
 ついさっき1人の高校生がロックダウン解除のスケジュール表を届けてきた。:22日、別の場所に留まっていた人間はまっすぐに湖北省あるいは武漢市に帰ることができる。湖北省あるいは武漢に留まっていた人間は湖北省あるいは武漢を離れて目的地へ直行できる。24日、公共交通機関、地下鉄の消毒、運行再開の予行演習などの準備。26日、集合住宅敷地内封鎖解除、住民は居住区内で活動できる。29日、少区内封鎖解除。住民は保健番号、就業証明、自家用車、自転車、徒歩で仕事へ復帰。31日、企業での生産、市場取引を手順を追って正常化。4月2日、重点商業地区の正常化。4月3日、公共交通機関、地下鉄の運行回復、実名制で乗車。4月4日、空港、高速道路、動車(不明)、国道の正常化。学生さんはこのメモを渡して、こう付け加えた。「回って来たもので、真偽は不明です」。本当だろうとウソだろうと、大いに元気づけられる。生活が次々に正常に戻ることがはっきりした。
********(続)
訳者注:今回の後半の部分、つまり外国へ出ている子女が新型コロナ肺炎の蔓延時をどこでどう過ごしたかということを論じている部分は、正直なところなにがどう問題なのか、すっきりと分からない。あるいは中国人なら、こう書くだけでお互い理解できるのかもしれない。いずれにしろ、極力、原文の論理を外さないように訳したつもりなので、あとは読者の想像力で補っていただきたい。
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